祭りの痕 其の一
『乙女の日本酒ぷろもーしょん “2026 昭和101年のキャバレージャック!』 年に一度の祭が終わりました。
ご来場の皆様に、感謝をお伝えする前に、今日は、私が 乙女ぷろ をやめない理由…… っていうか、私の 乙女ぷろ への思いっていうか…… 乙女ぷろについて書きます。
きっと、とても長く書いてしまいそうです。
面倒だろうけど、出来れば最期まで読んで、そして、乙女ぷろ を理解してほしい…… そう願っています。
⚫︎ 『乙女ぷろ』を立ち上げた理由
2011年3月11日、東日本を襲った未曾有の大地震。
報道で、家族を、友を、家を失い、泣く力さえ失くしてしまった人々を見るたび、私はテレビの前で涙を拭っていました。
そして同時に、日本中に蔓延する自粛ムードに疑問を持ちました。
今、無事に過ごせる私たちに出来ることは消費じゃないか! 消費することで経済の流れを、歩みを止めないことは被災地の力になるのに…… そう強く思いました。
少しでも多く義援金を送りたい!
それが、『乙女の日本酒ぷろもーしょん』を立ち上げた理由です。
私に出来ること、それは、” 日本酒 “ というアイテムを使うこと以外にないと思いを固めました。
当時既に、数十軒の飲食店が共同で催す、賑やかな日本酒の試飲会的なイベントはいくつかあったので、それとは一線を画した内容にしたいと思いついたのが、女性の酒造家にスポットを当てるということです。
圧倒的に男性が多い酒造業で、女性がいかに技術を磨き、力仕事をこなし、労働基準法適用外の現場で生き抜いてきたのかを伝える。
探究心、想像力、実行力と、類い稀なるコミュニケーション能力を持つ酒蔵の女性たちに、どこか無気力で、安直に迎合し、事勿れを願う現代人を鼓舞し、その心に酒を灯すことによって、被災地はもちろん、日本を元気にしたい!
そのためには、既存の日本酒愛飲家だけではなく、日本酒の扉をノックしたばかりの人により一層、普段は日本酒を飲まない人の興味を惹く内容にすることも重要だと考えたのです。
なぜなら、その頃の日本酒業界は、まだまだ業績の安定に苦心する小さな酒蔵が多く、底上げが必須課題だったからです。
愛飲家が、ここぞとばかりに怒涛のように酒を飲み回るイベントではなく、酒造家一人一人のキャラクターを活かし、意外な素顔や、思いもよらない横顔、酒造りに対する思いなど、その作品である日本酒の味わいとともにお客様に感じ取っていただけるイベントをやる、そしてその収益を被災地に届ける。
こうして、2011年5月26日、『乙女の日本酒ぷろもーしょん』は生まれました。
どこで、どんな人が、どんな思いで造っているのか。
それぞれの酒蔵や酒造りの光景が映し出されるオープニングムービー、迫力ある音楽に乗ってステージに上がる女性酒造家、愉快なトークショー、音楽アーティストによる生ライブ……。
日本初の、唯一の女性酒造家のプロモーションイベントの誕生でした。
一度きりのつもりでやった乙女ぷろを毎年開催することになったのは、女性酒造家たちの「続けてほしい!」という熱烈なラブコールがあったこと、何より、「また来年も来るからね!」っというたくさんのお客様の声があったこと。
北区中崎町の地域コミュティーホールからスタートした乙女ぷろは、以降、廃校になった小学校、スチール撮影に使われる巨大スタジオ、大川沿いの広場、ディスコ・マハラジャ…… と会場を変え、その時々の会場を活かしたプログラムで臨んできました。
マハラジャでの開催で、私が考案した “ 酒造りダンス ” を300人のお客様と一緒に踊ったことは、今ではキラキラの思い出です。
そして、2020年、世界中に暴威をふるった新型コロナウイルスによって、乙女ぷろは開催を見送ることになるのです。
⚫︎ 復活!
2024年5月12日、乙女ぷろは、5年の歳月を経て復活を遂げました。
タイトルは、開催の希望を最後まで捨てず、ポスター制作までしていた2020年を忘れまいと、『乙女の日本酒ぷろもーしょん2020+05 』とし、サブタイトルは、毎年オープニングコールとしてお馴染みだった “ 飲っちまいな‼︎ (やっちまいな) ” を採用しました。
メンバーは、幻となった2020年のまま。
口幅ったくて普段は言いたくないことですが、私が “ カリスマ日本酒バイヤー ” と呼ばれていることは皆様ご承知の通りです。
まだ無名の新人酒造家、無名の日本酒を発掘し、紹介し、様々なメディアに協力を仰ぎ、メジャーへと押し上げるパイオニアとして知られています。
そんな私が、2020年に乙女ぷろで大阪デビューを果たしていただこうと目論んでいた『越生梅林』醸造元・佐藤酒造店の佐藤麻里子杜氏。彼女が、元々素晴らしいものだった酒造技術をさらにアップグレードして大阪入りしてくれたことは、コロナ禍と呼ばれ、怯え、退屈し、健全な気風を失いがちだった中でも、磨き鍛えることを怠らなかった気概を感じさせる、頼もしい出来事のひとつでした。
とは言え、5年という歳月は、乙女ぷろに、スタッフの高齢化という現実を突きつけました。
主催者の私はアラ還(笑)。
初年度からお手伝いいただいているベテランのボランティアスタッフも、50を過ぎた者がほとんどです。
当イベントは、ポスター、タイトル幕を始め、お客様にお配りする出品酒リストやオリジナルグッズに至るまで、全て手作り。それぞれ日々の仕事を抱える中での持ち帰り作業。また、当日は、一人一人の機転と想像力に加え、力仕事が後をたたない戦場のような現場。
私に至っては、開催1か月前から連日の2時間睡眠。
気力も体力も明らかに衰えている。
“ もう以前のようには出来ない ” という後ろ向きな溜息を飲みこみながら、乾いた元気を出す。
開催を決めた瞬間から、無様に老いた自分と向き合うことは、苛立ちを伴う辛い作業でした。
2025年のサブタイトルは『バーベキューだよ、全員集合』。
この年は、杜氏屋の30周年でもあり、周年記念と乙女ぷろを合体させたイベントとし、200人でバーベキューをしました!
そして2026年。。。
サブタイトルは『昭和101年のキャバレージャック!』。
今回開催のコンセプトについては、次回のポストでお伝えしたいと思います。
他の日本酒イベントと違って、乙女ぷろは杜氏屋の一店開催です。
企画、制作、集客…… 全国あちらこちらからお迎えする女性酒造家たちに恥をかかせないように、スタッフの負担を少しでも軽くするために、神経を擦り減らし、こと細かく準備を整える一人きりの戦いにも似た日々は、私から笑顔を奪い、口角をだらしなく下げるものでした。
でも…… 。
晴れて当日を迎え、続々と会場入りする女性酒造家たちと再会を喜び合い、「待ってたよ〜!」と口々に叫ぶお客様をお迎えすると、私は息を吹き返すのです。
MCとしてマイクを握り、それぞれに付けたキャッチコピーに乗せて女性酒造家たちを紹介するとき、私は心地よい緊張感と、リアルな夢の世界にいる幸福感に満たされるのです。
「作家である恵利さんの書かれる文章は、その土地や酒蔵をたとえ見たことなくても瞼に浮かび上がらせ、えもしれない余韻を心に残す、そんな魔法の言葉です。私は毎回イベントに出るたびにそこに痺れるのです」。
澤田酒造(愛知県常滑市) 蔵元・澤田薫ちゃんが、こんな風に言ってくれています。
先にも触れましたが、乙女ぷろを語るうえで、絶対に割愛してはいけないことが、ボランティアスタッフのこと。
私の我儘にとことん付き合ってくれる仲間たちのこと。。。
早朝からの荷積み、荷卸し、セッティング…… 。朝から夕方まで立ちっぱなしの、一円の得にもならない過酷な現場にも関わらず、
「お客様の笑顔がどんどん増えていく、素敵な休日でした!」
「たくさんの方が楽しそうにお酒を飲まれていて、蔵元さんも楽しそうで、とても素敵なイベントに参加させていただきまして、本当にありがとうございました!」
「多くの出会いのある場にお招き頂いてありがとうございました。お酒を愛している蔵元さんと、お酒が大好きなお客様達が、あんなに近い距離で交流出来るイベントだがらこそ聞くことが出来る声、学びのある、そしてあっという間な時間でした。またお手伝いさせて頂けると幸いです!」
こんな感想を寄せてくれます。
もう一度、澤田酒造蔵元・澤田薫ちゃんの言葉をお借りします。
「天才恵利さんを支える旦那さんのりょうさんや、常連ボランティアスタッフの皆様、ピチピチ大学生スタッフさん、彼らの存在無くして乙女ぷろは絶対に成り立ちません!」
乙女ぷろは、大人の学祭です!
いい歳をした大人たちが、損得勘定なんて忘れて、全員で一つの目標に向かっていく。
夕陽に向かってみんなで走って行く昔の青春ドラマみたいで、笑われるかもしれませんが(笑)
祭を終えた今、私は、来年の5月第2日曜日のことを考えています。
まず会場を決めて、その会場に合った企画考案、メンバーの選考…… 気力も体力も衰えた、苛立つ、辛い…… たくさんの弱音に彩られた私が、来年どんな乙女ぷろをやるか、楽しみにしていてください!
酒蔵で働く乙女たちのために、最高のプロモーションの場を作る。それが私の使命だから
中野恵利 拝

