悠木千帆名義時代は知らない。
私が名前を覚えた子ども時代にはすでに今の名前だった。
『新古今和歌集』だったか(これ、曖昧。確認ツールが今そばにないので、間違ってたら後でこっそり修正シマス……)にあった和歌からとったという二つ目の名前、「夜8時以降テレビ禁止」な家庭に育った私が知ってるのは、「そうでない方はそれなりに写ります」のCMでだけだったけど。
それでも、インパクトの強い俳優という印象だけはずっともっていて、でも実はテレビドラマは何一つみていないままである。
役者としての映像をほとんど見ないのに、高校生時代に読んだある雑誌記事の印象が未だに褪せないから、私にとって特別な存在だ。
ある雑誌記事とは「役者として母として」と題したロングインタビュー。
掲載誌は『暮らしの手帖』。
(渋いと言われましょうが、当時の私の愛読雑誌。家にある娯楽系の雑誌と言えば、これか「きょうの料理」くらいしかなかった)
(私自身はこづかいで買った漫画を読み狂っていたけどね)
今、あらためて調べてみたら1986年3、4月号に掲載されているので、私が高3の頃ってことだ。
数頁にわたるインタビューを、当時何度も、何度も読んだ。
テレビをろくに見ず、「役者」という人は遠い別世界の人、という固定観念があった私は、そこに語られる人間性に魅了されたのだ。
てらいのない、嘘くささのない語り。
「テレビに出ている有名人も、同じ人間」なんて、当たり前のことを、初めて実感したと言おうか。
同じ人間。
それでいて語っていることは、その人となりがくっきりと色濃く出たもので、やはり凡庸な感性の人ではないという印象はさらに強くなった。
今でも覚えているのは、一人娘のことを語っているところ(タイトルが役者として、とあるのだから、仕事の話もたくさんあったのだろうけれど、あまり記憶にない)。
(以下、残念記憶の持ち主が覚えていることなので、実際の通りではないことをおことわり)
赤ちゃんの「ややこ」から付けた名前(といっていたような気がする)。当時9歳(とあった気がする)。
子どもをあまり構い過ぎるといけない。ほったらかしで育てているけど、だからこそ自分で物事を工夫するようになっている。
例えばブカブカのTシャツだったら、自分で裾を結んで着ている、とか。
でも、家の暖房がよく効いている環境で、アトピーになっちゃった。やっぱり構い過ぎはだめね(みたいな口調)。
当時、自分がまだ親に養われている立場だったこともあって、「わー、お子さん、面白い~」なんて、子どもの立場で読んでいた。
親目線になっている今この記事を読んだら、どう思うのだろう。当時汲みとれなかっただろう「母として」のニュアンスを、少しは感じることができるようになっているだろうか。
先日たまたま見ることができた、映画「日日是好日」の完成試写会。
杖をついて挨拶に登場された姿は、映像よりもさらに小さくて、頼りなくて、でも喋りは健在で。
言いたいことはぴしゃりと言う。けれども、周りへの気遣いは忘れない。
この絶妙なバランス感覚が、最後まで愛されたゆえんだと思う。
挨拶の言葉に茶道講師役を「なんとかなるだろうと思って引き受けたけど、なんとかなりませんでしたね。もう年寄りなのでお点前は広い心でみてやってください」みたいなことを仰っていた。
映画の中で、お茶の先生として生きておられたと思う。
もしかしたらお点前はぎこちなさもあったのかもしれないけれども、その存在感で全てを包みこんでいた。
心よりのご冥福をお祈りします。
付記
成人して随分経ってから、少し言葉を交わす機会を得たことがある。お腹に娘がいた頃のことだ。
「子どもはいいわね」ということを、仰ってくださった。
その娘が今年二十歳になる。
今だからこそ、「母として」のお話、もっと聞きたかったなぁ、と思う。
(いろんなところで語っておられたのを、私がキャッチしていなかっただけかもしれないけれども)
今まで私の小さな掌の中で、こっそり大事に温めていた「小さな思い出」で、こういうところで書くのは違う気もするのだけれども。
それでも、どうしてもいいたくて呟かせてもらった。