私の過去(ダメ整体師ストーリー1) | 筋トレ不要で健康寿命!永遠のチャレンジャーになる方法

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私の過去(ダメ整体師ストーリー1)

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これまでお話してきたことと

第1〜13話までと

ダブりますが、

 

人は一番隠しておきたい秘密を

さらけ出すと進化できると

聞いたことがあるのでやります。

 

私の整体師としてのダメさ加減に

ついてもさらにカミングアウトです。

 

かなりヘビーな内容ですので

閲覧には注意してください。

 

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「優柔普段、甘い考えな技バカ整体師」

 

私は地元で一世風靡をした今は無き、

大手製紙会社でコンピューターオペレーターの

普通のサラリーマンから脱サラしました。

 

そこから整体師になったのは

今から20年ほど前です。

 

開業当初はビギナーズラック?で

月25万円ほど売り上げもありました。

 

独身の実家暮らしで

昔、祖母がやっていた雑貨店の

仏間スペースに施術時には

カーテンをして、

 

毎月の家賃などもかからず、

その他光熱費などの経費も

ほとんどかからず十分な収入でした。

 

 

「まぁ、こんな感じなら

 整体師でもやっていけるな・・」

 

「お金はほどほどあればいいよ・・」

 

「自分の好きなウインドサーフィンが

 出来ればいいよ・・」

 

とそんな風に想っていました。

 

整体も2~3年やって徐々に慣れてくると、

 

施術で少し手を抜く事を覚え出したり、

施術の効率性を考えて出していました。

 

そんな手を抜く事だけを考え、

さらに施術を続けて行くと、

 

1日の施術人数が1人とか2人しかない、

 

いや時にはまったく0と

いう日も出てきました。

 

それでもまだ独身の身なので

 

「まあ1人で食べていくのには

 困らないか・・」

 

というぐらいの売り上げがあったことが

事の重大性をあまり深刻に

捉えることができませんでした。

 

当時は今やっていること以外の

いろいろな他の施術法に

対しての興味も出て来て、

 

短時間で劇的な効果を出すような

新しい治療法などの情報に

常にアンテナを貼っていました。

 

そうは言っても初戦、

今のようなインターネット時代では

なかったので、

 

そんな治療の新書などを

チェックによく本屋さんに

行ってました。

 

少しでも自分に出来そうで

面白そうな感じがする

治療ノウハウ本があれば、

 

購入して、すぐに臨床には

使ったりしてもいました。

 

当たり前ですが、

本を読んだだけでその治療法が

すべて理解出来る訳でもありません。

 

実際にはすぐにその療法を

自己判断でわかったつもりになり、

 

未熟者のくせに評価を下して、

ダメ出しまでしていました。

 

何とかして患者さんのリピート率を改善して、

 

施術効果が上がらない状態を

改善したいという想いがありました。

 

「治療技術が足りないからだろう?」

 

「もっと素晴らしい治療技術を習得すれば

 お客さんは来てくれるはず」

 

「もっと即効性のある治療法はないか?」

 

などという想いは

とてもありました。

 

開業して年数を重ねるうちに、

 

そんな想いが、ドンドン歪んだ感情に

シフトしてきました。

 

施術の方法論ばかりに執着する

いわゆる技バカ整体師になってきました。

 

患者さんとの話も

ふと気がつけば自分の技術の説明や

ウンチクばかりを話しています。

 

そして学んだばかりの

最新の施術法で無理矢理、

患者さんを施術しようとするのです。

 

その技で施術効果がなければ、

 

今度は以前学んだ中途半端な

別の技を押し付けるのです。

 

それではダメだという認識はあっても、

そんな自分勝手で技バカの闇に

さらに飲み込まれていきました。

 

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「妻にウソをついてセミナーに通っていました」

 

ここで私のプライベートの

ことをさらに知っていただいておいた方が、

 

この先の話しも受け入れていただきやすいと

想いますのでお話させてください。

 

実はこの話しは出来れば、

誰にも知られたくない、隠しておきたい、

 

振り返りたくない、

本当にイヤな自分の過去の醜態です。

 

でも、もしかしたら、

今現在あなたがかつての私と

同じような状況で悩まれていて、

 

あなたのお役に立つならということで

一応ここでお話しておきます。

 

私は約5年前に離婚しました。

 

結婚したのは、約16年前です。

 

元妻との出会いは当時流行っていた

婚活パーティーでした。

 

その頃は元会社の独身の先輩や友人と

よくガールフレンド探しに、

 

当時流行っていた

恋活パーティーに行くことに

パッションがありました。

 

そこで偶然出会った元妻と

意気投合して付き合い出しました。

 

当時、32才ぐらいだった自分には、

 

両親や周りの目、世間体による

結婚願望はかなりありました。

 

そんな中で元妻と一年ほど付き合い、

 

「コイツと結婚でもいいかな?」

 

と想っていた矢先に子どもが

出来て結婚が確定しました。

 

出来ちゃった結婚ですね。

 

でも、

 

「子どもが出来た・・」

 

と元妻にコッソリ告げられ時には

正直うれしかったです。

 

元妻も

 

「自分のことを好きだ!」

 

と言ってくれていました。

 

でも、

 

私自身は正直、元妻のことを、

めちゃくちゃ好きで好きで

ということはありませんでした。

 

実に酷い話しですが、

 

「子どもが出来ちゃって結婚と

 いうのもコレも人生かな?」

 

というぐらいに想っていました。

 

これで男として一人前という

誇らしい気持ちもありました。

 

しかし結婚し、

子供も生まれても、

 

親としての自覚というか、

 

私の根本的、現実逃避、

甘い考えは変わりませんでした。

 

整体院の集客ができない原因を

自分の技術力が足りないからだと

想っていました。

 

そんな理由でまだ技術習得の

セミナーなどに通っていました。

 

私のセミナー通いを

金銭面からまず心配し

反対する妻に

 

元妻は、

 

「えっ、また勉強に行くの?」

「この家のどこにそんな余計なお金があるの?」

 

と言った妻の冷ややかな反応に

私はいつもビクビクしていました

 

「どうせ、またセミナーに行っても

 ダメに決まってるよ!」

 

「英二君は自分の事しか

 考えていない自己中だよ!」

 

「家族、子どものことを

 まず第一に考えるのが普通じゃないの?」

 

とも畳かけられました。

 

私も負けずに、

 

「これはお前達の将来を考えて、

 これから稼ぐためにやってる投資なんだよ!」

 

「今度は間違いない、

 この先生はスゴい先生で本物だよ!」

 

「絶対、今度のこの技術さえあれば、

 すぐにセミナー費を回収するぐらい集客できるから」

 

「これがダメなら本当に廃業するから!」

 

 

元妻は、

 

「ホントこれが絶対最後だよ!」

 

と半ばあきれらながらも、

 

でも実はこれでセミナーも

最後という気もさらさらなく、

 

例え、

 

「これでうまく行かなくても

何とかなるだろう・・」

 

という甘い逃げ道を残した

酷いウソの約束を元妻にして

セミナーに通いました。

 

そうやって元妻を無理矢理納得させて、

当時120万以上もするセミナーを

受講しました。

 

ちょうどその年、

10年満期の定期預金を

その資金に当てました。

 

そのセミナーのために毎月2日間、

東京へ通いました。

 

日々の売り上げもないので、

交通費を捻出するのも苦しく、

 

交通費を出すのも大変な状況で、

 

JRの鈍行電車を使い、

約3時間かけて通いました。

 

ほぼ1年間、

毎月通いました。

 

そのセミナーはかなり特殊なセミナーであり、

通い続け知識を得たという知的欲求を満たす

自己満足感はありました。

 

まるでヤクザ映画を見た時の逆パターンで

行きは血気盛んに帰りは自宅に近づくにつれ、

明日の予約無しの現実に落ち込む。

 

元妻の本能を見抜く

女の鋭い勘の通り、

 

いくらセミナーを通いを続けても

 

私の整体院の経営状態は、

一向に変わりませんでした。

 

セミナーで習った技術は、

不安を持ちつつ、真似てみて、

実践してはいました。

 

しかし、人生への覚悟、

 

根本的な部分で腹が決まっていない

自分では施術効果も出るわけも

ありませんでした。

 

自分でもその認識もあり、

この120万円のセミナーで

学んだ療法を使いこなしていくことに

絶望も感じていました。

 

こんな中途半端な想いの施術では

当然のごとく患者さんからの

その施術の評価は良いモノにはなりませんでした。

 

「あ、痛たたた~」

「まだ痛いです!」

「最初とあまり変わらないですが・・」

 

患者さんの口から一番聞きたくない言葉を

よくいただきました。

 

なかなか結果が出ない原因が

自分自身にあるのも省みないで

すぐに見切りをつけて、

 

ドリフターズのいかりや長介ごとく

 

「さあ、次行ってみよう!」

 

と過去の技術やノウハウ本のみで

マスターしたつもりの施術法を、

 

その場しのぎで自信がないまま

試すようなことをやっていました。

 

そんな状態なのでこれまでも

リピートしてくれた患者さんも

 

「今回は何をされるのか?」

 

ハラハラしていたと想います。

 

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「鳴らない予約電話、携帯から何度も電話・・」

 

そのような状態で私の整体院は

3日間ぐらい予約電話も

鳴らないような危機的になっていきました。

 

「店の固定電話が壊れているのではないか?」

 

と自分の携帯電話から

店に電話をかけたりする事が、

 

2度、3度どころでは

収まりませんでした。

 

また時々自分の中に、

患者さんに対して、こんな感情が

浮かび上がって来ることもありました。

 

「こんな画期的な素晴らしい治療法の良さが

 わからないなんてなんてバカな患者だ!」

 

「もっと苦しめば、いずれわかるはずさ・・」

 

「意識が低いヤツには関わらない方がいい・・」

 

今想えばどうしようもないヤツですが、

当時は人をバカにするような心では、

 

整体師としては失格だと想いながらも

患者さんを裁き、差別していました。

 

精神が未熟だからだと想い、

 

知り合いにとある宗教を薦められ入信し

一生懸命祈願したりもしました。

 

その他の自己啓発的な

心の勉強講座などにも

没頭したこともあります。

 

「ありがとう、ごめんなさい、感謝・・」

 

などと言うポジティブ言葉も

言ってはみましたが

 

「さあ、改善しなきゃ承知しないぞ!」

 

と言った気持ちで状況は

良くなるはずがありませんでした。

 

相変わらずの苦しい経営状態は

何も変わりませんでした。

 

それもそのはず、悩むだけは悩むが

実際の行動や集客、経営に

結びつくような努力からは逃げていました。

 

私が整体師になった理由は、

一人で気ままに好きな患者さんに

感謝されながら仕事ができると想ったからです。

 

私は、昔からあまり人にモノを頼んだり、

一緒に何かをやることが苦手な方です。

 

つまり人間恐怖症、人間嫌い、人間不信、

コミュニケーション下手でした。

 

また、当時、自分の小学生の子ども達に

自信を持って

 

「お父さんは整体師だぞ!」

 

とは言えませんでした。

 

お金を稼げていなかったというのは

もちろんですが、

 

整体師という仕事に対しての

本当の存在意義、誇りがなく、

自分自身にも迷いがあったからです。

 

もちろんそこまでモノゴトを考えないで

 

「オレはそんな難しいことは考えないよ」

 

「喰って行いくためにやっているだけだよ」

 

「マッサージだけ、整体だけをやって

 その場だけでも患者さんに

 満足してくれればいいよ・・」

 

このように、

 

「そこそこの役割や範囲を決めて

患者さんと付き合えばいいんだ!」

 

という想いになったときもありました。

 

私は患者さんの今悩んでいる症状に

対する本当の想いを理解したり共感せずに、

 

ただ自分の整体という手法にこだわり、

そのやり方だけで患者さんを

コントロールしようとしていました。

 

「自分が今まで習ってきた技術を使って、

 症状改善して患者さんに信頼され、

 認められたい」

 

という理由で自分自身の都合優先で

患者さんに対し施術を押し付けていました。

 

結果的にお客様の信頼を得ることが、

できなかったということを

その後もさらに思い知る事になっていきます。

 

 

「超過酷な労働、深夜新幹線工事アルバイトで

 生活費を稼ぎ、惨めでも整体師を

 辞められなかった訳」

 

二人目の息子が生まれた辺りから、

 

それでも何とかやって来れた

整体院の経営がさらに悪くなってきました。

 

当時は月収17万円までに落ち込んだため、

 

定休日も無しで突然の電話や来院の

飛び込みのお客さんにも対応していました。

 

元妻もそれはしょうがないことと

不本意ながらも納得してくれていました。

 

昼間の整体だけでは経済が厳しいので

夜勤の新幹線保線作業員などの

仕事も始めました。

 

実働時間が長くても4時間で

1万円の高給アルバイトですが、

 

超~ハードな肉体労働で

1日も持たないで現場から途中で

抜け出してしまう人間もいるような仕事です。

 

私は前職の茶農家の経験もあり、

 

力仕事や体力には自信がありましたので

仕事自体はこなす事はできました。

 

しかし深夜の仕事から早朝に帰って来て、

 

お風呂に入って寝て、

整体の予約が入っていれば、

 

少し仮眠して自宅から仕事場に

向かう日々でした。

 

そんな睡眠不足の生活であれば、

整体の施術行為自体にも影響が出ます。

 

そうなれば施術に対して

情熱を持って向かう気持ちや

エネルギーもなく、

 

結果的に満足な評価もしてもらえない、

こんな悪循環にもなっていきました。

 

またそんな昼夜仕事の環境で、

自由なお金もないので、

 

子供たちを頻繁にどこかへ

連れ出せることもできませんでした。

 

子供は男二人だったこともあり、

 

ベタベタなフレンドリー関係でなく、

 

黙ってても理解しているという

無口な昭和の父の用な姿が

私の理想でした。

 

旅行など、遊びに連れて行ってあげる事も

あまり満足に出来ませんでした。

 

それでも自分なりに

子供は愛してはいましたので

少し時間があれば公園に行ったり、

 

夏は地元の川の河口で

ウインドのボードに乗って遊んだり、

 

公園で自転車に乗ったり、

 

スケートボード、一輪車を乗ったり、

鬼ごっこをしたりしていました。

 

子どもを教えながら、

 

自分も一負けず嫌いの性格から

一輪車が乗れるようになったのは

自慢でもあります。

 

そんな家族のひと時の時に、

 

整体の予約はよく掛かってくるのが

皮肉なもんです。

 

「何でこんな時ばっか電話が

 かかってくるんだ!」

 

と呪ってみたり、

 

「予約の電話がかかっては来ないか?」

 

と子供と遊びながらも

ビクビクしてました。

 

予約を受けられなかったり、

 

せっかくの現金収入ゲットの

チャンスを逃してしまったりした時は、

 

一緒に遊んでいた家族のせいに

したことも何度かありました。

 

実にヒドイ親です。

 

そんな自分も嫌で情け無く、

 

こんなで心から家族と休みを

満喫する気持ちにもなれませんでした。

 

当時、子供たちには、

俗に言う父親らしい太っ腹な姿

 

「好きなモノ、何でも買ってやるから、

 何でも言ってみろ!」

 

と言えたことがありませんでした。

 

欲しいモノをただ我慢させ、

 

ただあきらめさせることを子ども達に

植え付けてしまったのではという

不甲斐なさはありました。

 

今でも胸がグッと締め付けられ、

 

「自分はなんてちっぽけな

 ダメな父親だったんだろう」

 

と苦しくなる事があります。

 

貧乏とは人間の尊厳を奪うと

よく言われますが、

 

まさしくその通りだと

身に染みて実感しました。

 

当時は夫婦ゲンカも絶えず、

 

「ねぇ!頼むから、廃業して、

 普通の安定したサラリーマンになって!」

 

「定年退職してからまた整体、

 やればいいじゃないの!」

 

と言う妻と、

 

それでは後でかならず

整体を辞めてしまったことを、

 

家族のせいにするような

嫌な男になると想っていたので、

 

整体院廃業は絶対イヤでした。

 

ここまで未熟ながらも

10年以上もやってきた整体です。

 

ある程度、整体と言うものの全体像、

世の中での位置付けは

観えているつもりでした。

 

そして確信はないのに、

 

「あともう少しで結果は必ず出るんだ!」

 

という整体をあきらめきれない想いも

ありましたが、

 

「このまま負け犬で元のサラリーマンには

 絶対に戻りたくない!」

 

という、ただ意地の

気持ちが強かったです。

 

元妻の両親にも自分が整体で

稼げていないことを

 

「整体なんてダメじゃないの」

 

と常にバカにされているという

雰囲気が伝わってきて

 

「何とか見返さなければ・・」

という意地もありました。

 

「でもやっぱりそれは自分本位なのか?」

「家族のためにイヤなサラリーマンに戻るのか?」

 

そんな葛藤も含め、

何とか成功して整体を続けたい私と、

 

それを何とか止めさせたい妻との

間での言い争いは一度や二度では

収まりませんでした。

 

結果的には妻とはそんな心の溝は

なかなか埋まりませんでした。

 

私とすれば、

 

もっと相手の感情的なやり取りをして

お互いを成長させて行くのが

夫婦という理想がありましたが、

 

元妻とはそんなやり取りが

なぜかうまく出来ませんでした。

 

それでもそこでお金があれば、

また違った展開もあったかも

しれませんが、

 

実際、私はお金がないので

何事にも説得力がありませんでした。

 

そんな関係性が続いていくと、

 

自分はタダの無能な人間だという

劣等感がさらに高まっていきました。

 

続く。