私の課題かも | 瀬尾の独り言

瀬尾の独り言

ニュースや、近況、思いついたことをダラダラ書いてます。
ひとりごとなのでご容赦下さい

「花の慶次」というマンガがあります。
原哲夫さんの作品で、連載してたのはもう20年以上前になるのかな?パチンコにもなったから知ってる人は多いかな?
その中で私の好きなのは地味だけど
奥村助右衛門という人。
彼は主人公の前田慶次の友達で、前田家に仕える武士として登場します。
彼のイメージは「正しい人」
慶次が秀吉から、傾奇御免(どこでもカブいて良い。って許されたこと)を頂いた後
彼の命を狙う加賀忍者の頭領をたった七言で死に追い詰める「正論の恐ろしさ」を持ってる人。
正しい、ってことがどれだけ強いかを教えてくれる。

けど、正しいって一体なんだろう?

話は変わるけど、私の車にドライブレコーダーを付けました。
フロントガラスに付けた画面には私が見てる景色が写ります。
でも、カメラのレンズを通した景色は私の目で見るより小さく、遠くまで見えないです。
同じ景色を見てるのに同じには見えない。
それと同じように、私と誰かが同じ物を見ても、同じには見えないし、感じ方も違うかも知れない。
私の正しい、は誰かの正しい、とは違うかも知れない。

奥村助右衛門には前田家の為の、加賀忍者には自分の正しい、があったはず。
奥村助右衛門が恐ろしいのは、そこに自分の欲とかが無く、家の為の大義名分があったから。
正論の刀を大上段に構えて斬りつける。それは正しいことだとは思う。

でも、時には「許す」ってことも必要じゃないかなあ?
私にも正しい、が有るように、あなたにも正しい、が有るんだよね。ってお互いが違うんだって認めることもできないのかな?
私には、そうすることが出来るのか?
何だかそれが私に与えられた課題みたいに感じる。
旦那や、姑、今更好きになることはできないけど、相手を許す。って出来る?って、誰かに問われてる気がします。