( * ̄▽ ̄)v- 見てみぃポイントから川に下りてみる。水量は多い方で、日よけのように川を覆う青紅葉がきれい。小雨でもとても明るく感じます。
こちらは下流側。水の透明度はいつもこのくらいで、深いところは少なめ。少し前まで重機を入れて護岸工事してました。この釜戸という地区は大雨が降ると国道19号沿の法面が崩れやすく、たびたび工事してる印象です。
( * ̄▽ ̄)v- 川の近くのそういう地域には竜の言い伝えが多いような。遠山氏が祀ってた竜神はたぶん木曽川のことで、治水が大変だったからかと。苗木城の別名は「赤壁城」で、城下に流れる木曽川に棲む竜が白い漆喰を嫌って塗るたびに剥ぎ落とすから白く塗らなくなったそう。宗家の岩村城は女城主で知られますが、本丸の近くに「霧ヶ井」という井戸があり 城が攻められたら秘蔵の大蛇の骨を投じると霧が湧いて城を隠してくれたとか。竜にゆかりの深い一族だったんすね。
この川原にはヤブランが咲く。期待して下りてみたら花はもう終わってて、花と同じ藤色の茎に鮮やかな緑色の実がついてました。これから熟して漆黒の宝珠に変わります。
いつも上手に撮れないミズヒキ。これも雨に濡れてつややかです。
大きな葉に小さな花がちょこんと乗ったように見えたミゾソバ。
珍しくはないけど群生だとひときわ鮮やかなツユクサ。ここは標高が高くないのでそんなに珍しい山野草は無いですが、ひとつひとつ見るのは飽きないです。
川原はそんなに広くなく、一通り見て引き返す。出入り口はこんな感じで、小雨で石段などが濡れてるのがイイ風情でした。
遊歩道に戻ると道の脇に石仏が並んでます。これは三十三所観音というもので、三十三の観音霊場のそれぞれのご本尊をひと所にまとめたものをそう呼ぶんですって。ここにあるのは近くにあった極楽寺というお寺の三十三所観音で、昔は信濃善光寺四十八ヶ所の41番札所だったとか。大阪から信濃善光寺までの48ヶ所詣りがあったそうで、40番は多治見市の永保寺。42番は長野県飯田市の阿弥陀寺で、ここからはけっこう遠いすね。
( * ̄▽ ̄)v- この竜吟峡の入り口のそばには竜吟山天猷寺という古いお寺があり、極楽寺はそこの住職さんの隠居寺だったそう。天猷寺はこの釜戸地区を本拠とした釜戸馬場氏の菩提寺だそうで、武田信玄家臣に馬場美濃守(信春)という武将がいたので繋がりがあるのかな? 歴史漫画「センゴク」では鬼美濃と呼ばれる老獪な戦術家で、長篠の戦いで家臣から離反されつつあった武田勝頼を逃がして殿軍をつとめ討死。元々は甲州の生まれですが、美濃国の馬場氏を継いだので美濃守なのですね。美濃国守護の土岐氏の傍流で、そのひとつに釜戸馬場氏がいたみたい。武田氏家臣に美濃守とは珍しいような気がしますが、東濃は武田氏と織田氏の狭間なのでどちらとも婚姻を結んでいて複雑なんすね。
極楽寺は明治時代の初めには廃寺になっており、天猷寺はそのままだけど神仏分離令に引っかかったかも。そこにあった三十三所観音がここに移され、あと一の滝の周りに不動明王が3躯と文殊菩薩が1躯あり、全部で34躯の石仏が現存しています。三十三観音の3躯ほどは失われたみたいです。ここは心霊スポットとして紹介されてもいますが、調べてみるとまっとうな歴史があり興味深いすね。
( ・ ̄▽ ̄)v- 花が終わった後のヤマアジサイ。これはこれでみずみずしいグリーンの花に見えますね。
そして御嶽大神などを祀る石碑。右隣には木曽の黒沢口開山者の覚明霊神、左隣には木曽王滝口4合目に祀られてる十二権現の石碑もあり。御嶽大神とは国常立命・大己貴命・少彦名命の三柱の総称です。