┏( ;∀;)┓今 書いた記事がタッチミスで全部消えたのは呪いか何か?・・・・・長くなるけど気を取り直して再度いきます。一昨日は「ワールド極限ミステリー」で、懐かしの口裂け女が取り上げられました。


 口裂け女は1970年代の終わりに全国に広まった都市伝説?で、登下校中の小学生がよく遭遇してました。赤いコートを着た髪の長い女性で、今は珍しくないけどマスクを着けている。



 そして「私きれい?」と尋ねてきて、綺麗だと答えると「これでも?」と言ってマスクを外す。その口は耳まで裂けていてウワアアア!! さらに「綺麗じゃない」と答えると、鎌かハサミか包丁で襲われる。逃げようとしても100mを3秒とか5秒で走るので逃げられないと言われました。


 最初に噂を報じたのは岐阜日日新聞だったそうですが、番組では1978年の名古屋タイムズが紹介されてました。噂の始まりが岐阜県だったというのは大人になってから別冊宝島の「うわさの本」で知りましたが、リアルタイムで騒がれてたのは小学生の時でしたね。これとツチノコの両方を見たという同級生がヒーローになってました(笑)


 うちの方ではそこまでではなかったけど地域によってはパトカーが出動したり、学校で「口裂け女が出没するので気をつけて」ってプリントが配られる事もあったそう。「コートを着てマスクを着けたロングヘアの女性」はどこも共通でしたが、走る速度とか振るう凶器、何故そんな姿になったかは地域によって様々でした。


 何故口が耳まで裂けてるのかは「美容整形手術の失敗」が多かったと思います。それで理性を失った女性が病院から脱走したとか、三人姉妹の1人がそんな姿になったのを他の2人が不憫がって、同じように口を切り裂いたってバージョンがありました。


  襲われそうになったら「ポマード」と3回叫ぶと怯むので逃げられると言われ、その理由はこの番組で知りました↓ こんなお医者さん厭だ(涙)  あとべっこう飴が好きなので差し出すと見逃して貰えるとか、本当にあちこちでいろんな属性がついてましたね。うちの方では特に赤いコートではなかったです。赤だとあれかな? 人さらいの赤マントってのがありましたよね。トイレの花子さんも赤い吊りスカートで、血を連想する色が伝統になってると思います。ホラー映画の女幽霊も、白装束を思わせる白い服が最近は赤になっているような。貞子が飽きられたんじゃないかなぁ?


 口裂け女はネットもSNSもない時代に短期間で全国制覇した都市伝説で、民俗学的には「最後の口伝えの妖怪」とも。まだ人面魚や人面犬もあったと思うけど、口裂け女は1979年の春から夏にかけて驚異的なスピードで全国に伝わりました。社会学では「噂の伝わり方」の興味深いケースとして扱われます。

( * ̄▽ ̄)v- 流行り病のように爆発的に騒がれて終息した後は「あの人は今・オカルト版」みたいな扱いでしたが、数年前の夏に岐阜市の柳ヶ瀬商店街で空きビルをお化け屋敷にしたイベントに出てました。プロデュースはオカルト研究家の山口敏太郎氏で、私もこれは行かねばと思って挑みましたね。


 これは決め顔で、口裂け女はオーディションで選ばれた綺麗な方でした。サイン入り生写真や唇の形をした赤いベビーカステラもありましたね。背後から「私きれい?」と言いつつ追って来るのですが、前から来ないのはお客に反射的にどつかれたりされない為かと。中の音は外に流れるようになっていて、受付の人に「いい反応をありがとうございます!」と言われたのは良い思い出(涙)  「ウワアアア綺麗きれいすっごい綺麗!!」とわめいて逃げておりました。ポマード忘れた・・・・・


 その柳ヶ瀬商店街であばれる君が「いつ口裂け女の話を聞きましたか?」と聞き込みをすると、異口同音に「八百津に出ると聞いた」という回答が。来たわ加茂郡八百津町。ただでさえ命のビザの杉原千畝氏の生誕地なのに、心霊スポットで県下トップ3に上がる二股隧道を有し、最近は日本一の岐阜バンジー(高さ215m )で鳴らす欲張りセットの町。岐阜県でもそこが口裂け女の発祥地と言われます。


 ↓まだ赤く染まってないけど北海道まで広まりました。関東は少し遅く、最後に北海道まで伝わったよう。関東は沿岸地から人面犬が広がりましたよね? 人面魚は山形県からでした。


 たぶんこれは国道418号から杉原千畝記念館に向かう辺り。うちの方より町の面積の大半が山で、中心部と高地との標高差がエグいです。この辺りでは破格に高い見行山(905m)に登った時、恵那市と美濃白川町にまたがってるのを体で知りました(涙) 高い地区の久田見の油揚げとヤマコノ調味の素(醤油)は神。あと今は関西電力が丸山ダムを増設しております。


 八百津町が発祥というのもずいぶん後に知りましたが、どの辺で目撃されたんだろう。どうやら八百津町から岐阜市経由で新聞に取り上げられたみたいすね。


 その八百津町で聞き込みすると、地元の方は「噂を初めて聞いたのは1976年」と語られた。おお、新聞報道より2年早いわ? そもそもの口裂け女はどんなふうに目撃されたんだろう?


 町の案内板では観光スポットから外れてる。これは地元の人しか知らない場所みたい。


 ここで意外だったのですが、八百津町で目撃された口裂け女は「道端にただ立っていただけ」だったそう。全国に名を轟かせたアグレッシブさはまったく無く、これはこれで出くわしたらかなりのインパクトだけど何故?・・・・・・


 情報誌の記者さんがそれについて調べておられ、元は明治時代のお話だったのではないかと話されました。これも各地に似た民話がありますが、若い女性が夜に山を越えて恋人に逢いに行く時に  山賊などに襲われるのを防ぐために丑の刻参りの扮装をしていたとか。


 丑の刻参りの作法では口に櫛をくわえるとも聞きますが、この女性は三日月形に切った人参をくわえて夜道を通ったそう。すると口が耳まで裂けてるように見え、出くわす人はおののいて近寄らないので安全だったと。


 みなぎる「八つ墓村」の田治見要蔵テイスト。この扮装で逢いに来られる恋人は「お、おう・・・」だったんじゃないのかな? ある意味 愛という呪いをかけられてそうですねぇ。


 そしてこれは岐阜県の隣の滋賀県に伝わる言い伝えだそうで、これも「噂の伝播」ですね。明治時代に目撃された「何か尋常ではない女性」に丑の刻参りの扮装をした女性のイメージが投影され、さらに後年の1976年にまた別の不審者に投影された・・・・・・・のかな?


 うちの方では 今は建て直されて綺麗になってる精神科の病院があり、別冊宝島の「うわさの本」ではルポライターの朝倉喬司氏がそれに触れてました。私が聞いた噂では口裂け女はそこから脱走したとされていて、昔は心療内科とかクリニックが今ほど普通に無かったから偏見を持たれやすかったんですね。朝倉喬司氏は事件のあった場所の歴史を丁寧に調べるライターで、民俗学のフィールドワークに通じる魅力的な文章を書く方でした。佐渡から来た瞽女さんが事故で亡くなった話にも触れていた。「心霊探偵」こと小池壮彦氏や、オカルト・クロニクルの松閣オルタ氏がリスペクトされてますね。


 八百津町に端を発した口裂け女の噂がなぜ今の形になったのかは、うはは。まさかここでつボイノリオ氏がご登場とは(笑)  ラジオパーソナリティーかつシンガーソンガーですが、


( ;∀;)v- 代表曲がコレ。私の世代の中部東海民なら1度はお聴きになってるかな? ♪あーる日金太が歩いているとぉー♪


 つボイノリオ氏が語られたのは、1976年にラジオ番組に八百津町の「ただ道端に立っていただけ」の口裂け女の話が投稿され、それが取り上げられると続々と「マスクを着けていた」「私きれい?と尋ねてきた」等、続々と目撃談が投稿されて「1週間ごとにディテールが肉付けされていった」との事でした。なるほど、ネットが無くてもこうして都市伝説が作られていくのですね。

 週に1回のラジオ番組で、ハガキや封書による投稿なので今のネットの都市伝説よりずっと時間がかかるものだけど、投稿者が「口裂け女」というお題で大喜利をやるようにディテールを凝らし、番組で取り上げられるのを競った。ああこれは某巨大掲示板のオカルト板と同じだなぁ。昔からそうだったんですねぇ。


 口伝えの部分もあり、八百津町から噂が伝わった岐阜市はもともと繊維街で、今は廃れてきたけど各地の業者さんの出入りがあった。そこで世間話として仕入れられた噂話が「出荷」されたのもあるんだそうです。噂話は社会に深刻な影響を与えるものは「風説の流布」として出どころを辿られますが、口裂け女だとなるほどそうなのか。面白いですね。
 

 言われてみれば噂という字は「口を尊ぶ」になってますね。もともとは口伝えで、「口から口へというプロセスで、脳で精査するまで行ってない」とも解釈できそうです。

 伝わりやすい噂には↓こんな下地があるそうです。70年代後半はもう交通インフラが整って、田舎でもよそから不審者が来やすくなっていた。子供が小学生のうちから学習塾に通える豊かさと、学歴至上主義へのストレスも生まれていた。オカルトネタはストレス解消の意味も持ち、より「もっともらしい話」が人を惹きつける。そうだなぁ。


( * ̄▽ ̄)v- 最近は「知らんけど」に集約されますね。ダーッと語って「知らんけど」で落とす。芸人さん発祥だと思いますが、「知らんなら言うな」って突っ込みはあまり聞かないすね。便利なシメになってる感じ。

 
どこぞの信用金庫が破綻するって「風説の流布」みたいな事件はなかったですが、口裂け女は小学生の通学路に非日常を潜ませた怖い噂でしたね。口裂け女に鎌で襲われるかもしれないってのはちょっと(涙)   振り返れば懐かしいですけどね。