(;  ̄▽ ̄)v- もう日付が変わってしまったけど、こどもの日だからか?ネットで「まんが日本昔ばなし」の最恐回ランキングをやっていて、以前↓これを買ってたのを思い出しました。私が子供の頃は土曜の夜7時からやってたなぁ。



 リアルタイムではそんなに気にしてなかったけど、製作陣が豪華だったんですね。ナレーションと声優を市原悦子さんと常田富士男さんの2人だけでこなしていたのも凄かった。心暖まるお話や笑えるお話も多かったけど、不気味だったりひたすら怖いお話もありました。↓これは「耳なし芳一」。当然あるわよね。


 これは「雪女」。あまりにも有名な怪談ですが、民話には似たお話が多く、ネットの最恐ランキングには黒部が舞台の「十六人谷」が挙がってました。峻険な黒部の山奥できこりの若者が不思議な美女に「明日 山で大きな柳の木を見つけても伐らないでください」と懇願されるも、他に15人の先輩がいていちばん下っ端なので聞いてもらえない。柳の大木が伐り倒された晩、作業小屋で雑魚寝をしてるとあの美女が入ってきて、他のきこりに口づけしたかと思うとクチャクチャ咀嚼して舌を食いちぎってる。そして

「あんたが止めていればこんな事にならなかったのに・・・」

 と唇から血をしたたらせつつ迫るのですが、若いきこりはナタをふるって命からがら逃げ帰る。その顛末を年老いてから囲炉裏端で若い美女に向かって語るのだけど、その美女はご飯を持ってきた隣人には見えていない。老いたきこりは「恐ろしかったが、あの女はこの世の者と思えないほど美しかった」と言いますが、翌朝 舌を食いちぎられて死んでいた。柳の精が何十年も経ってから復讐に来たのですが、とり殺された老きこりは恍惚とした表情だったそう。「雪女」よりも残酷描写があり、そこはかとなくエロティシズムも漂うお話です。


 南会津が舞台の「イワナの怪」。4人のきこりが日照りのさなかに山に入りますが、しんどいし川が渇水で水量が少ないので毒流し(根流し)をして手っ取り早くイワナを捕って稼ごうと考えます。

 毒になる木の根をすり潰して灰に混ぜてるとそこに僧侶がやって来て、「そんな事をしたら川が死んでしまう。お前さんらの子供が魚だったらと考えて殺生はやめておけ」と諭し、きこり達は納得したふりをして僧侶にご飯を振る舞います。翌日 川に毒を流すとたちどころに大小のイワナが麻痺して浮かび、喜び勇んだきこり達は流れを遡って大きな淵まで行きますが、そこにとんでもなく大きなイワナが浮かんでいた。しかし腹を裂くと米飯がたくさん出てきて、昨日の僧侶は淵の主だったと分かる。それを見たきこりの1人は即死し、他の者も気がふれてしまいました。

(* ̄ー ̄)v- このたぐいの民話はバリエーションがあり、江戸の堀浚いで捕られた大ウナギが前の晩に人に化けて人夫に「捕らないでくれ」と懇願し、麦飯を振る舞われたのが腹から出てきたというものも。自然からの警告や懇願を無視してはいけないという訓話ですが、この「イワナの怪」は主が化けた僧侶の登場シーンや結末が怖かったそう。通は「タイトル文字のフォントとBGMでヤバい回だと分かる」との事で、ゴールデンタイムにトラウマ回が流れたので覚えてる人が多いです。


 ダントツの1位を引き分けたのはまずは「吉作落とし」で、これは宮崎県に実際にある傾山の言い伝え。切り立つ断崖に生える岩茸採りを生業にしていた吉作という若者が綱1本を頼りに断崖を懸垂下降して茸をこそげ採るのですが、いい茸を求めて普段行かない高い崖を下りて岩棚から登ることも下りることもできなくなる。登山でありそうなお話で、吉作は3日間声を張り上げて助けを呼びますが、人が来ない奥山で、身寄りがいなかったので誰も異変に気づかない。里まで届いた声は反響で人の声に聞こえず、人々は化け物だと怖がってさらに行かない。空腹と寒さに衰弱した吉作は小石がゆっくりと断崖を落ちるのを見て「自分もあんなふうにふわりと下りられるんじゃ?」と思い  岩棚から身を躍らせます。

(* ̄ー ̄)v- 怪異はまったく無いですが、人間そのものの思考の変容がおそろしくリアル。九州と言えど晩秋の1000m以上の山で、きっと低体温症と餓えに陥ったものかと。現代でもあり得るちょっとした判断ミスから起きた悲劇で、これは恐いすね。

 そして同じくらいタイトルが連打されたのは「飯降山」。福井県にある800mちょっとの山で、白山開山者の泰澄が登ると飯が降ってきたという山ですが、このお話は凄まじい。ふもとのきこりが語り部で、ある時 3人の尼さんが山に修行に入るのを見て「寝る所もないし殺生は禁じられとるから草やキノコを食べるしかない。修行というのは厳しいものじゃなぁ」と思います。

 尼さんは年配の女性がリーダーで、少し若いおっとりした女性ともっと若い女性を率いる感じ。ふもとのきこりはリーダーの尼さんを「何とも慈愛に満ちたお顔じゃった」と振り返り、山に入る度は何かと気にかけ、自分のお弁当を差し上げたりします。しかし尼さん達の主食は山のキノコや植物で、とくにいちばん若い尼さんは時々へばりそうになりますが、年長の尼さんが励まして念仏三昧の日々を送っていました。

 そのいちばん若い尼さんが、ある朝 空が光って何かが山に降ってくるのを見る。そこは頂上で、駆けつけると切り株の上に3つのおにぎりが乗っていました。先輩を呼んで「どなたかの施しでは?」「確かに降ってきました」と言い合いますが、リーダーの尼さんが「これはみほとけからのねぎらいでしょう」と言い、3人は久しぶりの米飯をありがたく頂く。次の日もまた次の日もおにぎりは降ってきて、3人にはそれが当たり前になってきました。

 しかしある日 いちばん若い尼さんが 誰かが鳥を捕まえて焼いて食べた痕跡を見つける。彼女はリーダーに「上の尼さまがおにぎりでは足りないと思って殺生したのでは?」と伝え話し合いになりますが、名指しされた尼さんは自分ではないと言い募る。リーダーは「言い争っても仕方ない。ここは鳥のためにお経をあげましょう」と納め並んでお経を唱えますが、その最中にいちばん若い尼さんは、2人が自分を見ているのに気づく。表情こそ微笑んでるけど何か違う。若い尼さんがおののいた次の場面で悲鳴が響き、尼さんは2人になっていました。

(; ̄ー ̄)v- 3人でお経をあげる前の、リーダーと2番目の尼さんのやりとりがまた恐い。テクテクと山道を登りながら、リーダーがこんなふうに言うんすね。

「あなた、ひもじいですか?」

「は、はい」

「もっとおにぎりを食べたい?」

「えっ・・・・・はい」

( * ̄▽ ̄)人  「私もですよ」

 こ、恐ぇえ・・・・・その後におそらく2人はいちばん若い尼さんを崖から突き落として死なせてしまう。ふもとのきこりはそれまで彼女らが採っていたキノコが採られなくなったのと、若い尼さんがいなくなったのに気づきますが、尋ねると「病で伏せっている」と言われ、それはいかんとまたお弁当を差し出します。

 リーダーともう1人の尼さんは若い尼さんを消したら3つのおにぎりを2人で食べられると思っていましたが、おにぎりは2つしか降って来なくなる。空の弁当箱を前に木にもたれて脱力する2人はこんな会話を交わします。

「・・・何を考えているのです?」

「いえ、何も・・・・ただ時々、死んだあの子の事を考えます」

「それは私も悔いています。けれどもおにぎりは毎日降ってくる。これはみほとけが私たちをお許しくださった証だと思いますよ」

 ( * ̄▽ ̄)人  私はね、生き延びる事こそがみほとけに近づく事だと思うのですよ。

 ・・・・・リーダーの尼さんがにこやかに破戒してこの笑顔。いやいやいやいや不殺生どこ行った? まず最初に鳥を焼いて食べたのは2番目の尼さんっぽいですが、リーダーはそれを凌ぐレベルに変容してました。

( * ̄▽ ̄)人  そんなに気に病むのなら、あの子のためにお経をあげに行きましょう。

 にこやかに告げるリーダーが恐い。2番目の尼さんは並んで読経する最中、リーダーが自分を見ているのに気づく。笑っている。負けじとこちらも笑顔で応じますが、また谷に悲鳴が響き、尼さんはリーダー独りになりました。

( ; ̄O ̄) はっ、もしや!!・・・・・・

 厭な雰囲気の焚き火の跡のそばではたと我に返るリーダーの尼さん。彼女はいつもおにぎりが降ってくる切り株を目指して駆け出しますが、切り株には何も乗っていない。2人いた時は2つ降ってきていたおにぎりは、もう二度と降ってきませんでした。

 ふもとのきこりは尼さんたちが気がかりでしたが、冬は山には入れないのでどうしようもありませんでした。しかし春が来て、家の外に出たきこりは、暗い木立から山姥のような荒んだ身なりの老婆が出て来るのを見て固まります。

「・・・おお、やっぱりそうだ。あなたでしたか」

 ざんばら髪でボロボロの着物はもう袈裟とも呼べず、それでもニコニコと笑う山姥は、きこりに向かって手を合わせます。

( * ̄▽ ̄)人   わたくしですよ・・・・・・・


 これが実質の「まんが日本昔ばなし」の最終回だったそうで、私は見逃していたのでYouTubeで視聴しましたがこんなん放映したんすか(涙)  実際にある民話を脚色したのは「ぼのぼの」で有名ないがらしみきお氏で、この人には割とダークな作品がありますが、流石というか恐すぎました(涙)  これの後に「にんげんっていいな♪」ってエンディングテーマはちょっとブラックすぎですなぁ。

( * ̄▽ ̄)v- 絵柄は可愛いけど、視聴すると脚本といい場面ごとのアングルといい大人向けと言っても遜色ないクオリティです。実写だと尼さんの仮面のような笑顔がやりすぎになってしまいそうかな? 初めは仏さまみたいな微笑み方が、絵は同じなのにはっきりと邪悪なものに見えてました。

 餓えに苦しんだ果てではなく、キノコや植物の合間にご褒美のように降ってくるおにぎりが「もっと食べたい」「旨いものを食べたい」という欲を引き出してしまった。食べようと思えば食べるものがあるのにそれでは嫌だ。仲間を殺めても食べたい・・・・・・これはもう餓鬼道に堕ちているのに、リーダーの尼さんはそう思ってない。悪い意味でメンタルが強すぎで、人間がいちばん恐いというのがピシピシ来ました。

 ひょっとしたら最初の若い尼さんは崖から突き落とされただけで、2番目の尼さんは喰われたかもしれない。そうでなければ年配のリーダーが冬を越すことは出来ないだろう。そんな見方もできる恐いお話です。山行の恐ろしさも感じられますね。本来は単身でやるもので、開山者クラスはやはり違うかも。本来の民話では干飯だったともネットで見ましたが、山にまつわる民話は恐ろしいものが多いですね。危ない場所だからって戒めでもあるんでしょうけど。

( ; ̄▽ ̄)v- こどもの日にふさわしくないかな?と思いつつトラウマ回をいくつか追ってみました。民話っていいですねぇ。サイナラ、サイナラ・・・・・・