( * ̄▽ ̄)v- あ、少し日が射してきた。神滝から地震除け不動まではちょっと高低差があり、ピンクリボンの道標もあるけど岩棚列沿いに下りると行きやすいです。



 ここは岩棚列の南端で、神滝と違って岩に苔がありません。こちらは湿気が少なく日当たりも良いからかな? 岩はとても硬いチャートで、深海の放散虫というプランクトンの殻が堆積して化石化して隆起したもの。それが明治時代の濃尾地震や姉川地震でずれて押し出された箇所です。そう思って見ると岩肌がそんな感じ。


 これは剥落して落ちたもの。チャートには色鮮やかな層がよく入ってますが、含まれる成分によっていろいろです。風雨にさらされて日当たりのよい場所には濃いピンクや深緑や黒、その間に石英のような白い筋が入ってますがここでは地味。海無し県だけど海の名残りです。


 尖塔のようにそそり立つ岩塊が古代の遺跡みたい。七宗町の納古山や各務原アルプスの明王山では色鮮やかで、ギザギザの層が足場や手をかける箇所に適してます。中濃から北尾張にかけて広く分布しており、岐阜城のある金華山もチャートの岩山。県の岩石に指定されてます。


 装飾みたいな層がたわんでいて、硬い岩なのにどんな圧力がかかるとこうなるのかな? もともとはひとつの岩塊だったのが地核変動で分断された感じ。山城があった頃はよい防壁だったんじゃないかなぁ。


 ここを回り込むと地震除け不動。雨はまだ降らず、冬の柔らかい日射しが射してきてました。寒椿などの青葉がなければ陰々滅々としてそうです。


 ここが地震除け不動。ふもとの八神不動尊の奥の院で、岩の隙間にできた岩屋に祀られてます。奥行はなく天井が高いすね。左右から岩塊がもたれ合った隙間です。


( * ̄▽ ̄)v- こういう場所は割と行者さまゾーン。修験者が籠ったり石碑石仏を祀る事が多く、神仏習合の頃の名残りが見られます。現代の行者さまがお札を納めてる事もあり、山国あるあるです。稀に見かけることがあり、御嵩町の鬼岩公園で山伏姿の方とすれ違った時は驚きました。いちばん多いのは御嶽教ですが、小規模の教団が無数にあり把握は難しいっす。


(* ̄O ̄)v- あれ? これまでには無かった木仏を発見。円空仏ともまた違うおもむきだけど不動明王かな? そんなに新しくない気がするけど、誰かが奉納したようでした。ひょっとしたら先の能登地震の余震鎮めかもですね。まだ時々揺れているので心配ですよね。


 これは剥落した自然石だと思うけど、形が石碑っぽい。人はそれらしい石があるととりあえず置きますね。時を経ると意味を帯びてくる気がします。何かの目印とか磐座かもしれない。


 こういう小さな祠は低山でよく見ます。これもお社なんすよね。よく見ると内側に不動明王の火焔のような紋様が刻まれてました。不動明王も刻まれてるかな? 覗くと見えるのはこのくらいです。


 こちらが多分 地震除け不動明王。明治時代に祀られたもので、北峰の白滝不動明王の方が時代が古いです。山城ができる前から山じたいが信仰の対象だったそうで、水分けの山、雨乞いの山だったんじゃないかなぁ?


 この表面が滑らかな石も古墳の奥壁のようで、線刻はないかとしばし凝視。嵌め込まれてるだけだと思うけど、けっこう長くそのまま保つものですね。こうして地震を封じてるように見えました。


 岩屋の右側の岩壁には擦れた跡があり、その上に蛇が這うみたい。たくさん絡まってるとアンコール・ワットみたいになる気がします。


 岩屋の左側の岩肌。北峰では春にイワタバコの花も咲くそうですが、こちらはどうかな? 春の山野草が待ち遠しいですね。今朝はニュースで鈴鹿山脈だったかな?にバイカオウレンが咲いたと言ってました。あちらの方が温暖なのだなぁ。


 あとは急傾斜を下って登山道に戻る。下りる途中に舞台のような岩があり、平坦なところでちょっとひと息。いい物見岩だなや。


 よし転ぶことなく登山道に復帰。道の向こう側にも椿の木がたくさんあります。


(*  ̄▽ ̄)v- あ、まだ綺麗な落花があった。見上げても咲いてる花は見えず、花を愛でながら歩くのはもう少し先になりそうでした。


 ちょっとだけ鮮やかな色が見えるチャートの欠片。あの岩棚列もよく磨けばこんな感じかも。本城山ではこういう欠片はレアですね。


 またカエル岩の横を通って来た道を戻る。車に戻った時に雨が降り出して、いいタイミングで下山できました。


(;  ̄▽ ̄)v- もう靴は完全にご臨終(笑)  一昨年からの相方ともお別れです。ちと寂しいかな?