堅堀の上にある分岐点。右に登ると6段の曲輪を経て頂上(本丸)へ、左に進むと神滝に下りられます。初めて来た時はここを登ればもう頂上かと思ったけど予想以上にまだ先でした。



 天文23年(1554年)に廃城になったとありますが、ネットに少しある記録だと年代にばらつきがあります。村の言い伝えが廃城から既に百年以上経ったものなんですね。築城年もさだかでないですが、ふもとの村と今の美濃市の上有知村との間で山論(境界線を巡る議論)があった時に地頭の斎藤某が北の峰に産土神の不動明王を置き居館を建てたとあり、それが山城の始まりだったかも。城主は斎藤道三以前の美濃斎藤氏の人で、嫡流ではなかった感じ。ただ道三の時代に美濃国守護の土岐氏の最後の後継争いがあり、その争乱で落とされた城だろうと言われてます。


 この日も頂上の本丸跡までは行かず、メインは神滝。道標に従って木立の間の細い道を進みます。


 歩きながら右手を見ると人工的な斜面があり、これは自然の斜面を切り取った切岸かと。この上にけっこう広い平坦な曲輪(スペース)が設けられていて、これが本丸まで段々に続いてます。頂上にかけて広い斜面があるのを活用したのですね。山城はその山の地形に合わせていろんな形があり、それが醍醐味かも。近くの富加町の加治田城は狭い尾根に沿って細長く作られており、攻めにくいため「却敵城」とも呼ばれました。標高はそんなに高くなくても急峻で奥深いと攻めにくいんすね。県下でいちばん高いところにあるのは中津川市の苗木城で、標高700m台だったかな? 東濃の名家・遠山氏のお城です。本家筋の恵那市の岩村城も立派ですね。


( * ̄▽ ̄)v- けど私は山に還りかけてるこういう山城の方が好きかもしれない。進んで行くと今度は下り道になり、ここからはちと足元注意です。


 保存会の方々が道を分かりやすくして下さってるからスムーズに下りられますが、枯れ葉が積もってて滑りやすいのでそろそろと下る。張ってあるロープは道を示すものなので、掴まって体重をかけるほどの強度はないので要注意。


 下りていくと登山道への分岐があり、ここを右に緩く登っていくと出られます。そちらから来るのがいちばん最近に作られた神滝への「楽々コース」なんですね。今下りてきたのは崖挑戦コースの次に整備された道です。神滝に行く道は3つあるんすね。


 分岐点のそばに岩棚列の端があり、春にはこの岩にショウジョウバカマが咲きます。前の週に来た時はもうここから氷柱があったけど、あーこれは無いなぁ。ふもとの駐車場の砂利が凍ってなかった時点でそうかなと思ったけど、1度できた氷柱は溶けてしまったようでした。


 もう少し下りたぬかるみの先が神滝。うはは、氷柱ナッシングだわ? 難しいものですね、夜に氷点下が続かないといけなくて、この辺りはまだ温暖ということか。飛騨高山まで行けば違うけど、美濃国の真ん中(中濃)は年々雪も少なくなってます。もっと西だとこの間 関ヶ原がえらい事になってましたが、あそこは日本海側から寒気が来るのと伊吹おろしが来るので降雪量が多いっす。伊吹山は登山道が崩壊したと聞きました・・・


( ; ̄▽ ̄)v- ここに氷柱がたくさん下がってどんどん立派になるんですけどね。前回 育ち始めてたので期待したけど昼が暖かかったのか。うむ残念。


 けど苔むした岩壁が色鮮やかでいい感じ。もっと先の北峰にはもっと高い岩壁に囲まれた「白滝」があり、そこではパールシャンデリアが見られるそう。下に伸びる氷柱だけでなく、丸く珠のように凝った氷の集まりができると聞きますが、なかなかの自己責任コースなので厳冬期にまだ行けてません。ここでこうならそちらもまだだなぁ。


 前回はこのくらい氷柱が育ってました。昼に溶けなければまた夜に凍ってだんだん大きくなります。昔は子や孫の熱冷ましのために村人が採りに来てたそう。大事に持って帰ったんでしょうねぇ。


     ここは滝と言っても岩壁や垂れる草をしずくが伝う程度で、氷柱はないけど耳を澄ますとしずくが落ちる音が絶えずしてました。運動不足の解消とリフレッシュのために来て、しばしぼーっとするのも良いものです。天気がいいと枯れ葉の上を鳥が歩く音が聞こえますが、この日は静かでした。やはり雨の予報だったからあまり動き回ってないのかな?  

       

 ちょうど今日 登山の催しがあった筈ですが、氷柱はあったかな? 大切に整備されてる山で、手頃で登りやすくて見どころの多いよい山です。


 岩棚列に沿って地震除け不動を経て登山道に下りる。丈高い寒椿の木が多く、見た目よりずっとしっかりした幹を伝って下りていきます。