石段を上っていくと11号窯跡に立つ「黄瀬戸の壺」の石碑。これは荒川豊蔵氏が夫人が亡くなった時に自作の黄瀬戸の壺にお骨を納めた時の気持ちを知人の松岡一男氏が詩に詠んだもので、松岡一男氏は検索してもあまりヒットしないのですが愛知大学の教授かな? 苔むして全文の判読は難しくネットでも見つからないです。
その少し上の12号窯跡には「陶心」の碑。安土桃山時代の古窯跡で古志野の陶片を見つけ、それを随縁(縁にしたがうこと)としてここで作陶に打ち込まれたモチベーションですね。
表面は苔むしてるけど文字は深く刻まれて、むしろ苔が引き立ててる感じ。土岐市に入ると焼き物の会社かな?の社屋に「土と炎」と大きく書かれてますが、この2つは土岐市や多治見市などの焼き物づくりの地域を象徴するものです。夏に暑いのは焼き物づくりのせいかと揶揄されるほどなんすね(笑) 盆地だからですキリッ!!
窯の中には器が焼かれる焼成室があり、効率的に高温を保つ仕組みになってます。美濃焼は1300~1400℃で焼かれるもので、焼く間は目視で炎の色を見て薪を追加し温度調整をしないといけません。護摩行にも似ていて、荒川豊蔵氏は途中で倒れそうになることもしばしばだったとか。ずっと同じ火力で焼く訳ではなく、微妙な調整は経験で身につけるしかない。今も同じやり方で作陶する窯元や個人窯がありますね。ああこれは炉の中の火だなぁ。単色でなく濃淡があり渦巻いてる。
火の粉のような黄葉も光る。「黄瀬戸の壺」には「今自分があるのはお前のお陰だ。自分の我儘を受け入れてくれた」という夫人への感謝の言葉と共に「できあがる作品を見るお前の目がこわかった」という心情の吐露もある。焼き物は焼き上がらないと結果が分からないので、夫人の献身に見合う作品が出来たかどうかが怖かったんでしょうね。
後半には「壺、壺、壺」という詠嘆がある。いかに惚れ込んで打ち込んできたにせよ、そのさなかにあれば「こんなもののために」と感じる時もあったのでは。好きな事を仕事にすればやり甲斐こそありますが、純粋な愉しみは損なわれやすい。自作の黄瀬戸を夫人の骨壺にした思いには慟哭も含まれていたんじゃないのかな。ああ光が斜めに射して凄いなぁ。金の滝とか何か尊いものみたい。
昨年末はまだ青葉も多く、日射しの当たり方が炎の温度差のように見えました。消えたらいけない。もっと薪をくべないと。
( ; ̄▽ ̄)v- ずっと見上げてると首が痛くなるけどたくさん撮りました。ここは夜間ライトアップは無いですが、晴天の午前中の日射しが良い特殊効果になります。何枚撮っても飽きないですねぇ。
お風呂場跡に下りると下は日陰になっていて、少しの時間のあいだに景色がずいぶん変わります。明暗がすごくくっきりしますね。苔が光る道になってました。
ゆっくり見納めて引き返す。この華やぎも次のシーズンまでお別れです。