これは六親眷属幽魂塔。昭和48年に見つかったもので、六親眷属とは父母兄弟や子供や孫などすべての親族の事で、明智城の一族を弔うもののよう。何となくここまでは来たいなと思いました。



 自然石に文字が刻まれただけの素朴なもので、今は小祠に祀られてます。これはここに埋まって頭だけ出していたそうで、掘ってみると人の大腿骨と鎧の金具と小柄(刀装具)、腐食した衣類の一部が出てきたそう。明智城の将兵か攻め手のものか分かりませんが、うちの方では城跡から人骨が見つかるのは珍しい。検索すると島原の乱があった原城とか、豊臣秀吉が攻めた岩手県の九戸城など人骨が見つかった城跡は複数ありますね。


 見つけたのは隣の八百津町や可児市兼山の方で、在野の郷土史家かな? 供養塔は故意に地中に埋められていたようで、説明板では逆臣の一族を手厚く葬ったとバレるとお上に咎められるので隠したとありますが、時期はいつだったんだろう?

(* ̄ー ̄)v- 明智光秀が謀叛人になったのは明智城落城からずいぶん後年なので、それでお上を憚るにはだいぶスパンがある。江戸時代くらいに地元の方が供養塔を埋めたんだろうか? 供養塔があまり古くないやうな。

 合戦の後の遺体はどうしていたのか検索すると名のある武将は大将方が回収し、雑兵はその地元のお寺や里民に迷惑料を払って埋葬してもらう事が多かったそう。放置される場合もあり、そういう時は地元民が自発的に埋葬したのだそう。でないと感染症が発生したり、水が汚染されるからですね。ここはどうだったか分かりませんが、落城の直後にふもとのお寺や里民が遺体の埋葬をしたんじゃないかな。鎧をつけた武者はここに埋葬され、供養塔が埋められたのはもう少し後で、ここに遺体が埋まってると知られてる時代なんじゃないかなぁ。

(* ̄ー ̄)v- 明智城落城の直後なら、弔うのを憚るのは攻め手の斎藤義龍だと思います。「本能寺の変を起こした明智光秀の一族」を弔うのを憚るならもっと後の時代のはずで、私は前者じゃないかなと。まず戦没者の埋葬が先にあり、それが済んで落ち着いた頃に供養塔を埋めたのでは。きちんとした埋葬と供養がままならなかったのでせめてもの思いとか、祟らないでほしいって気持ちの表れなんじゃないかなと。光秀あんまり関係なくない?とは思いますね。


 この先は見張り台になっていて行き止まり。この乾曲輪は下の搦手道から攻めてくる兵の監視と迎撃のための曲輪のようです。埋まってた骨は改葬されたかそのままなのか分からず、ひょっとしたら他にもまだ埋まってるか土に還ったかも。この近辺の山城の中では生々しい痕跡があるところです。
 

 今は鬱蒼とした木立の中に佇む六親眷属幽魂塔。戦没者がひっそりと眠っているようにも見えるし、夜に来たら鎧武者や足軽と出会ってしまいそうな雰囲気です。


 ここからは来た道を戻る。野鳥のための巣箱がありますね。日射しが降り注いでホッとするような眺めでした。


 これも供養塔や墓標ではないかな? 発掘調査をすればもっと詳しい事が分かるかも。ちょっと気になりますね。


 水の手や腰曲輪は帰りに見るとこんな感じ。この左上に乾曲輪があります。こちら側は自然の地形を生かした遺構が残ってるんすね。


 この堅堀の上に六親眷属幽魂塔があります。帰りの方が日当たり良くなってて掘られた跡が分かりやすかったです。


 この木立の間に鎧武者が見えたらちびる。人骨が出た山城跡と思うといろいろ妄想してしまいますねぇ。帰り道にぼんやり考えてましたが、私は明智光秀にはあまり好感が無いんすね。謀叛人だからではなく、なぜ織田の重臣になってからここで一族の供養をしなかったんだろうかと。

(* ̄ー ̄)v- それは本当にここの出身だったのか?が前提になりますが、苦労人で相当に頭の切れる人だったはと思うけど、どこか人離れした冷酷さも感じるんすね。織田信長とはまた別の冷たさで、なぜそう感じるのか考えてたら、 ここに落城した一族の供養塔を建てたのが光秀ではないからで、ああそうかとひっそり納得しました。明智光秀に関しては、何が確かなのか分からないところが多いせいもあるんですけどね。


( * ̄▽ ̄)v- おお、下りる時には気づかなかった、今年初のフユイチゴ。冷たくて甘酸っぱかったです。


 これは何の花かな。本丸の展望台のすぐ下に咲いてました。これからは林道に花が無くなるので貴重です。


 鬱蒼とした緑木立からまた明るい黄葉の本丸に出る。この日はこちらを先に見ましたが、二度嬉しい色彩でした。気持ちも晴れますね。


 七ツ塚に垂れかかる渋柿。黄葉との対比がいいなと思いました。


( * ̄▽ ̄)v- 車に戻る途中の紅葉の美しいこと。ちょうど光が射していて、燃えるように見えました。


 ここが今期ベストの紅葉かな。この後にメインの荒川豊蔵資料館に行きましたが、ここでの紅葉は初めて見たので新鮮でした。