(*  ̄▽ ̄)v- 先週の金曜は夕方からの勤務になったので、午前中に力技で飛騨小坂へ流れてきました。下呂温泉から飛騨萩原を通りすぎて飛騨小坂へ。巌立峡の入り口の小坂川のキャンプ場にたくさんテントが張られてて「いいなぁ」と思いました。
そこから「くらがり八丁」という林道に入る。ここは御嶽山開山者の覚明行者が飛騨小坂口を拓いた時に通った道で、昔は鬱蒼とした山道だったよう。あと少しで巌立峡に着くところに「覚明水」という湧き水があります。
覚明行者は1719年(享保4年)に今の愛知県春日井市で生まれ、真言宗と天台宗を修め四国八十八ヶ所を巡るうちに「木曽の御嶽山を開くように」とのお告げを受けたそう。その頃の御嶽山は開祖を役小角とする霊山で、尾張藩により75~100日間の重潔斎を経た一部の修験者しか登れませんでした。
(* ̄ー ̄)v- 覚明行者はそれをもっと軽い潔斎で登拝できるように先鞭をつけた人。1785年(天明5年)に先達として信徒を率い御嶽山の黒沢口から登頂。その後1791(寛政3年)にこの飛騨小坂口を拓いたとされますが、木曽の黒沢口を拓いた時すでに68歳で、翌年に御嶽山の二の池で亡くなったと言われるんですね。後から王滝口を拓いた関東の普覚行者が立ち往生してる覚明行者と対面し、錫杖を鳴らすと倒れたって言い伝えがあります。なので飛騨小坂口を拓いたのは覚明行者その人ではなく、後を継いだ先達さんではないのかな。御嶽山は覚明・普覚行者の2人が大先達とされ、どちらかを祖とする講があります。尾張から飛騨と木曽にかけては覚明講が主流ですね。尾張の人だから。
なのでここはひょっとしたら、飛騨小坂口の開山を願って叶わなかった覚明行者の遺志を継いだ行者さまが拓いて、自分の名を冠さなかったかも? 覚明行者との一体化を望んだ開山者だったかもしれず、それは緩やかに「開山者=覚明霊神」として定着したような。今はもっと高い濁河温泉口が飛騨側の登り口になっていて、それでもこちらから行ってる行者さまがいるみたいすね。このお札けっこうあちこちで見かけます。湧き水は今は飲用に適さないと看板が立ってますが、冷たく澄んでます。顔を上げると道路の真ん中に猿がいて、通りすぎるのをちょっと待ちました。
もう少し先には「牛の鼻づら」。ここは御嶽山が大噴火した時に岩壁から溶岩が流れ落ち冷えて固まった「巌立」の一部で、風化や水の浸食で分断されて残った小巌立にできた洞穴です。
屈んでくぐらないといけないですが、浅くても内部は洞窟感が十分。溶岩が作った洞窟で、鍾乳洞とはちょっと違うおもむきです。
その隣に車が停められるスペースがあり、ここはヤマツツジが咲くところ。青葉に濃い朱色がよく映えてました。
その下に下りると広い駐車場。連休後半で、朝の8:30でも観光バスが来てました。正面にそびえるのが巌立で、高さ72m・幅120mの大岩壁。54000年前の御嶽山の大噴火で流れた溶岩が岩壁を流れ落ち冷えて固まったもので、表面には細かい柱を連ねたような柱状節理が見られます。岩は両輝石安山岩と言い、どうしても脳裏に北斗の拳の岩山両斬波がよぎる(笑) 「ただのチョップでは?」「秘孔関係あるんですか?」ってツッコミが多いけど、北斗神拳の奥義ですキリッ!!
(*  ̄▽ ̄)v- ここが滝と溶岩台地のトレッキングのベースキャンプ。滝にはガイドさん随行でないと行けない所があり、ツアーのお客さんはここで説明を聞いてからスタートするもよう。私はフリーで行ける所までです。
1人で行けない滝一覧。下呂市は落差5m以上の滝が200余りあり、この飛騨小坂はとくに美しい滝が多いところ。新緑から初夏は良さそうですねぇ。いつか見てみたい。
トイレを済ませ、環境保全協力金を300円納めて出発。駐車場は無料なのでとても有難い。協力金を納める所で地図が頂けて、落石などで通行止めがある時は丁寧に説明して下さいます。
遊歩道の入り口はヤマツツジとヤマブキが満開で、足元にも季節折々の花が咲く。うちの方ではヤマブキの花期は終わりましたが、こちらは気温が低いからまだまだ綺麗です。
そびえる巌立を見上げて嘆息。溶岩が流れ落ちた後に木がまた芽吹いて育ったんですね。いつの間にかパワースポットという表示が出てて「お、おう・・・」だったんですが、まあそうかな。
下の方は風化で崩落していて、岩壁の真下までは行けません。下に小坂川が流れていて、これから滝見遊歩道(旧御嶽山登山道)を進みますが 渓流の見どころも多いです。