とても情報量の多かった後編もそろそろ終盤。ジョン・フラムがタンナ島に最初に現れたグリーンポイントのあるこの村には、実際にジョンと会ったお婆さんがいるのだそう。



 あまり笑わない佐藤健寿さんが「ええ?」って感じで苦笑いしてました。取材中に次々と新情報が入るので「マジで?」という心境なのかな?  


 そのお婆さんの家に案内される途中にもジョン・フラムの痕跡があり、いっけん何の変哲もないヤシの木立の中に自然石のテーブルが。これは昔  村人がジョンと一緒に鶏を食べたというテーブルだそうで、村人は割と足で蹴ってた(涙)  聖地の捉え方が私たちとは少し違うのかもですね。元々ある精霊信仰の場では違うんじゃないかな?


( * ̄▽ ̄)v- 佐藤さんはここにキリスト教の影響を感じてましたね。イエス・キリストが弟子と食卓を囲む事には意味があった。この村に7年間毎日来て夜にはいなくなっていたというジョン・フラムは村人を集めて説法のようなことをしてたそう。宣教師が連想されるのは妥当かと。


 もうひとつ、木の根元に立てかけられた石もありました。これは英仏の共同統治時代に西欧の価値観を押しつけられて苦しんでいた村人の願い(元の暮らしへの回帰)をジョン・フラムが石に込めて置いたもので、「私はこれが無くなったら戻って来られなくなるから守れ」と告げたそう。不意に神話めいてきましたね。


 特に囲いも何もなく、言われなければ通りすぎてしまいそうだけど佐藤さんが撮るとこれも小さな奇界遺産。何の変哲もない石だけど、伝統的な生活回帰のムーブメントのよすがになってるんだなぁ。神話というものはリアリティを追及していくとこういうモノかもしれませんね。


 ここがグリーンポイント。ジョン・フラムはどうやって現れたんだろう? 船で上陸したのか、駐留地から陸路で来たのか。米軍の駐留は、7年間毎日来たというジョン・フラムの出現時期と合うんだろうか?


 ここでは案内してくれた村人が「英国政府のニコルという人が村を焼き払った」と語ってました。ジョン・フラムが現れたのはそんな時期で、村人に「殴られても相手を許しなさい」と説いたそう。これは間違いなくキリスト教の教えで、大戦前から西欧の宣教師が来ていて反発していた筈なのに、ここでは自然に受け入れられたよう。駐留した米軍に聖職者がいた? 単に現地民が蜂起とかしないように「まあまあおさめて」と懐柔する役割の兵士がいたかもですね。


(* ̄ー ̄)v- けど言葉だけの「まあまあおさめて」に効果は無いすよね。キリスト教的な慰撫を島民が受け入れたのは具体的な恵み、投獄された村長たちの解放や元の生活への回帰が叶ったからでは。英仏共同統治領に間借りした程度の米軍にそこまで権限があったのか?って疑問はやはり残りますが・・・・・・・・


 この村にはジョン・フラムの石碑があって、「これを米兵と言われるとちょっと」って絵が冠されてました。佐藤さんいわく「これはイメージ化されたジョン・フラム」で、タンナ島の元々の精霊信仰として描かれてますね。精霊の王となる若者は島の外に出て、強い女性と結婚して帰ってくる。カーゴ・カルト(積荷信仰)とは別のようであり、積荷信仰で遠くから恵みを運んでくるのは祖霊でもあるとされるので「だいたい合ってる」 のかな? 


 この村は最初に紹介された「祭りの村」とどちらがジョン・フラム運動の発祥地かで争って裁判になり、正当な発祥地に認定された方だそう。なので立派なモニュメントを建ててるんですね。島民の陳情を聞いたジョン・フラムは英仏に働きかけ、同時に島民には「伝統行事と生活様式を守り、土地を手放さず、女性と争わない。これを守れば幸せが訪れる」と説いたそう。きっと懐柔、調略のたぐいだったけど、島民にとっては恵み(カーゴ:積荷)だったんでしょうね。


(* ̄ー ̄)v- こちらが幼い頃に実際にジョン・フラムに会ったというお婆さん。たくさんの家族に囲まれてインタビューを受けてくれました。


 メリーお婆さんは「まだ幼かったから私は怖くてあまりジョン・フラムを直視できなかった」と言い、それでも「肌は黒くも白くもなかったわ」と重要な証言をされました。黄色人種だろうか? ヒスパニックだろうか?  今の暮らしは「老いたから体の不自由はあるけど、孫たちを見られるし人生を楽しんでる」そうでそれはいいなぁと。


( ̄O ̄*) 立派な道路とかができて、昔  ジョンが言ってた通りになって驚いてるわ。


 とも語ってた。バヌアツの人々は米軍の駐留地で労働者としてインフラ整備に携わっていて、米軍の撤退後には町ができていたそう。少し奥地では服を着ない昔のままの村もありますが、それが近代的なインフラと両立してるんですね。


 フィリップ王配信仰の村を除くと、祭りの村ではジョン・フラムは精霊。カヴァの村では米兵であり精霊。発祥地の村では人間(米軍関係者)。それぞれに解釈が違うけど、英仏と島民の仲立ちをした存在というのは揺るがないよう。東京より小さな島でこれだけ違いがあるのなら、世界各国で神話がいろいろ違うのと、微妙に似たところがあるのも頷けそう。タンナ島は昔は文字が無く、口伝えの文化だったのも大きいでしょうね。伝言ゲームがそのまま伝わっていかないのと同じ事で。



 最後の最後に偉い人キタ。なんとバヌアツ共和国初代大統領にお話が聞けました。握手しつつのカメラ目線がさすがです初代大統領。お若いですねぇ。


 初代大統領のソコマヌ氏はタンナ島に4年間住んでた事があるそうで、ジョン・フラム運動について独自の見解を持っておられました。


(  ̄▽ ̄) 第2次大戦時に駐留米軍が島民に多くの物資を与え、インフラ整備のために2000人が雇われ正当な賃金を得ました。


(  ̄▽ ̄) その米軍が去った時に島民が感じた思いが信仰に繋がっていると思います。キリスト教徒が「いつかイエス・キリストが帰ってくる」と信じているのと同じです。


 いろいろと矛盾してるようですが、タンナ島の人々は宣教師が持ち込んだキリスト教の教義をジョン・フラム運動に結びつけており、古くからの精霊信仰もミックスしてる。神話というものは言い伝えから出来ており、実際にあった出来事を脚色したりしていて、タイムマシンでもし検証できるなら  それは歴史を見る事なんでしょうねぇ。近代に生まれたジョン・フラム運動(カーゴ・カルト)は植民地の歴史なのだなぁ。


 どこの村ものどかな印象で、今は毎日あくせく働かなくてもその辺にあるものを食べたり活用して暮らせている様子。こんな戦中戦後もあったのかと新鮮でしたね。


 結局はジョン・フラムの個人特定には至らず。WW2の時代に生まれた神話でも分からないものなんですね。勉強になりましたキリッ!!