バッキバキでインパクト抜群の長老はアケシバイさんというお名前で、興味深いことを語ってくれました。



 英仏の共同統治時代に米軍がやって来た際、島民のトム・メレスという人が米兵の中にジョン・フラムを見つけたそう。ジョン・フラムは「我々がタンナの伝統を守る」と言い、それを聞いた兵士(上官?)がバヌアツ国旗と星条旗をフラムに渡した。そして英仏に投獄されていた村長たちが解放され、それを祝うお祭りが始まった。最初に訪れた「祭りの村」とよく似たお話ですが、島民が米兵の中にジョン・フラムを見つけたという点が異なりますね。「祭りの村」では獄中の村長たちの前に精霊として現れたと語られてました。


(* ̄ー ̄)v- うーん。この当時だと南方戦線に出征していた水木しげる御大が脳裏によぎるなぁ。いつの間にか現地民と仲良くなってたんですよね。そういう兵士が駐留米軍にもいて、現地民と円満な関係の方が何かと楽だから上官が「ならお前がパイプ役になれ」と命じたとか?

 それだとジョン・フラムはタンナ島の精霊でなく、生きた人間という事になる。いや元々 来訪神のような精霊がいるとされていて、好意的な米兵にそのイメージが託されたのかも。とりあえずジョン・フラムは米軍全体ではなく1人のようですね。

 ジョン・フラムとは何者なのか。それを探るために一行は次の村に向かいますが、その途中でスタッフさんが車から「何あれ、プーチン?」と声をあげました。何やら白人男性が描かれた看板がありますが、おお!! これをプーチンと呼んだら英国民が全力で怒るわ?  似顔絵のクオリティ高いなぁ。


 おおおおお。前回の放送の後、Wikipedia先生で積荷信仰について調べたら「へえぇ」と思ったフィリップ王配信仰がきたわ?  ジョン・フラム運動の亜流?として生まれたのが英国の故フィリップ殿下を崇める信仰で、女王の配偶者だからフィリップ王配信仰と言うのだそう。これも紹介されるとは思いませんでした。


 今度の村はバッキバキじゃない。より都会的に洗練された村長さんが取材に答えて下さいました。とても誇らしげに「この村にはフィリップ殿下の魂がある」と語られました。



 起源はジョン・フラム運動よりもずっと近年で、ここはヤオーナネン村というそうですが、1974年にフィリップ殿下が訪問していて、王室の人々が乗るヨットを出迎えた当時の村長さんが「この人こそが救世主だ」と感じたそう。フィリップ殿下は白い軍服を着ていて、とても神々しく見えたよう。共同統治時代から英国王室の存在を知らされていたのもあるのかも。


  そして2015年にバヌアツは大きな台風に見舞われ多大な被害が出ました。ヤオーナネン村の村長さんはすがる思いで英国王室の別荘・バルモラル城に支援を請う手紙を出し、フィリップ殿下はそれに応えてくれた。「おかげで皆が助かって  子供も元気になりました」と村長さんが語ってました。共同統治時代は島民への締めつけが厳しかったけど、そのご縁で良い事もあったんですね。村はフィリップ殿下に伝統の棍棒を贈って謝意を示し、殿下がそれを持つ写真を大切にしてました。


 このフィリップ王配信仰も積荷信仰の一種とされてます。遠い英国の白人が救い主で、恵みをもたらしてくれるって事ですね。その後 バヌアツの首都で英国の王族とカヴァを飲んだ事もあるそうで、まさか口噛み?  それだったらノブレス・オブリージュが極まりまくりだなぁ。「貴族が義務を負うのなら  王は更に重い義務を負わねばならぬ」って概念で、やんごとなき身分の御方は世間に無私の奉仕をせねばならない。フランス発祥の概念ですが、英国王室にはとくに求められるものだそうです。王子が従軍するのもそれだけど弟さんアカンわ。タリバン兵ぬっころしたとか自伝に書いたら反撃来るやろ。。。


 うん埋まってきた。次に向かったのは「長老の村」で、そこにはフィリップ殿下に対面した村長さんがご存命だそうです。

(; ̄ー ̄)v- ちょっと驚いた。他の村からそんなに遠く離れてないのに、ここがいちばん伝統的な暮らしをしてました。男性はこうで女性は腰ミノのみの半裸。佐藤健寿さんはいい写真を撮られますね、静止画像でもテレビカメラとは全然違う。プロだわぁ。


 あらスーツ姿も素敵。ヤパ村長さんは英国君主公邸のエジンバラ城でフィリップ殿下に謁見されており、この取材でも殿下への尊敬と感謝を語られました。


 この村にもナカマルと呼ばれる広場があり、これはタンナ島の村々では宗教的にも大切な場所なのだそう。ヤパ村長はフィリップ殿下を「聖なるナカマルから名を受けた存在」だと語りました。

( ̄ー ̄) ・・・殿下のおかげで我々は昔ながらの伝統的な生活ができている。我々の生活規範は「人を騙すな」「盗むな」「女をいじめるな」だ。我々はここでそれを子供たちに語って受け継いでる。


 佐藤健寿さんが補足しており、タンナ島では「精霊の王になる若者は遠い島に渡り旅を経て、強い女性と結婚して帰ってくる」という言い伝えがあるのだそう。島民、とくにここや前のヤオーナネン村ではその神話がフィリップ殿下にぴったりマッチしたんじゃないかって事でした。佐藤さんの撮る村人の写真がいいですねぇ、水木しげる御大が戦地で癒されたのもこういう人々だったのでは。今からここで暮らせと言われると無理ですが、楽園のようですねぇ。


( ; ̄▽ ̄)v- ↓来たわ宮古島のパーントゥ。南のナマハゲはトラウマ度が違いますね。やっぱり沖縄は南洋文化だわ。島尻地区というところのコレが洒落にならないそうで、仮面をつけて蔓草をまとい全身泥にまみれた3人の来訪神が集落を駆け回り、老若男女も家も車も構わず泥を塗りつけてくるのだそう。聖なる井戸の泥で、塗りつけられたらしばらく臭いが取れないけどそれが厄祓い。数百年前に宮古島にやってきた来訪神で、民俗学では「まれびと」とも。異界からやって来る霊的なモノであり、神の本質的存在だとも。フィリップ王配信仰も、その基とも考えられるジョン・フラム信仰もこういうモノではないか?と佐藤さんが語られてました。

 フィリップ王配信仰は厳密にはジョン・フラム運動とは違い、後者は「誰がジョン・フラムなの?」が謎のまま。神話としての形態は似てますが、やはりジョン・フラムの方が時代が古くて詳細が掴めないんすね。ここで本題に戻り、撮影隊はすべての始まりという「グリーンポイント」に向かいました。


 言い伝えでは最初にそこにジョン・フラムが降り立った。そこならより詳しい事が分かるはず。期待が高まります。


 この村は近代的。と言うか「長老の村」だけが未だに洋服を着ず昔のままのようで、それが不思議。村によってずいぶん違うんだなぁ。


 ここは「ジョン・フラム降臨の地」のプライドがとても高そう。一行は最初から「ここがジョン・フラムが初めて現れた場所ですか?」と尋ね、村長さんは「その通りだ」と即答してました。


 しかも「1933年から7年間毎日来ていた」?・・・いちばん初めの「祭りの村」では、投獄されていた村長たちがジョン・フラムの予言により解放されたのは1957年2月15日だと言っていた。それよりずいぶん前から来ていた?・・・・・・・・


 毎日来ていろいろ説いていた。・・・・・・・宣教師? 佐藤さんが「それは人間なんですか?」と問いかけると、村長さんは「そうだ」と即答しました。


(; ̄O ̄)v- ・・・即答だ。ジョン・フラム降臨の村が「精霊でなく人間」と捉えてるのはとても重要かも。やはり超自然の存在ではないみたいすね。