(*  ̄▽ ̄)v- 流れ旅の前にフォルダを空けるためにクレイジージャーニーいっとこう。テーマ曲が癖になりますね。出典は映画「スラムドッグ・ミリオネア」で、インドミュージックかっけぇ。土俗的かつオサレです。


https://youtu.be/QcA7P3xazdE 


 来たわ奇界遺産の人。世界各地のトンデモだったり怪しかったりする景色を撮り続けるフォトグラファー・佐藤健寿さんが、今回は南太平洋のバヌアツ共和国に行かれてました。

 佐藤健寿さんはイエティ伝説を求めてヒマラヤにも行かれてて、その著書で知りました。そこでは地底世界シャンバラにも言及されていて、昭和オカルトブームが基礎教養だった世代にはたまらんですばい。クレイジージャーニーでは前に米国の砂漠で開かれる「バーニングマン」って巨大なアートイベントを取材されていて、ついでに寄ったのがエリア51でたぎりました(笑)  今も規制線に近づくと謎の車が警告のように現れるんすね。矢追純一御大の木曜スペシャルではワクワクしました。

( ;  ゜▽  ゚ )v- さて今回は?と思って見てたらウワアアアアア諸星大二郎御大の「マッドメン」きたーーーーーーー!! これはパプアニューギニアを舞台にしたお話で、諸星御大は最近すっかり丸くなられたけど昔は血沸き肉躍る土俗的な作品が多かったです。


 宗教学・民俗学の分野には「積荷信仰」というものがあり、祖霊や異界から来る神さまが飛行機(飛翔体)でやって来て恵みをもたらすというものだそう。

(* ̄ー ̄)v- 多いのはメラネシアと呼ばれる海域で、ミクロネシアとポリネシアに接する諸島域。パプアニューギニア・バヌアツ・フィジー等を指し、黒い肌の人々が暮らすところ。その辺りは大戦中は英国とフランスの共同統治領になっていて、今もニューカレドニアにはフランス領がある。その島々では白人が飛行機で富(積荷=カーゴ)を運んでくると信じ、それを待ち望む信仰があったそうです。


(* ̄ー ̄)v- 連想したのは南米のアステカ帝国にやってきたスペイン人ですが、アステカでは肌の白い神(ケツァルコアトル)が恵みをもたらしに来ると信じられてたので歓迎して征服されてしまった。海のある地域では海の彼方からやって来る来訪神の神話がよくあり、農耕の技術とか作物の種を授けてくれるというのが古い神話になってます。

 けれどもメラネシアの積荷信仰は近代に発生したもので、どこの国にもある創世神話よりずっと新しいんすね。白人の学者さんはカーゴ・カルトと名づけましたが、それは狭義の解釈だという指摘もある。カルトという言葉はもともとは「ある対象を熱狂的に崇める小規模の集団」という宗教的な分別でしたが、今は反社会的な教えや活動をする集団ってイメージが強い。メラネシアでは英仏の共同統治領だった頃に生まれたもので、諸島のあちこちで散発的に「住民が興奮状態になった」事があったそうです。

 一行がまず向かったのはサント島で、そこにはミリオンダラーポイントという場所があるのだそう。そこは英仏の共同統治領でしたが、第二次世界大戦の時に日本軍の南進に備えるために米軍が進駐したんすね。大戦時の資料館もありました。


 今はバヌアツ共和国に属するサント島に進駐した米軍は、上陸したここにたくさんの車両などを遺棄して去ったそう。そこを「百万ドルのポイント」と呼んでいるのは、米軍が置いていったモノが島を豊かにしたから?と思いましたが、そうではないみたい。当時を知る島の人々に話を聞いたところ、彼らは「あの頃は裸同然の暮らしをしてたからトラックの価値も分からなかった」と語りました。遺棄されたモノはそのままだったんすね。


 そしてカーゴ・カルトは白人の呼び方で、もっと現地に即した呼び方は「ジョン・フラム運動」なのだそう。サント島の方々は「それはここではなくラマカナのもの」だと教えてくれました。一行はタイヤがパンクしてるセスナ機でそちらの島に移動。離発着できるものなのね・・・・・・・


 なんでも2月15日が「ジョン・フラムのお祭り」で、ラマカナ村は祭りの支度の最中でした。住民は昔ながらの生活ですが、スマホを持ってる人が多かった。電子機器は少なめでも活用されており、もはや未開の地ではない様子。佐藤健寿さんはバヌアツでは牛より貴重な豚をお土産に持っていき、後ろからついてくディレクターさんは「かわいそう・・・」と呟いてました。子豚を持っていって、育てて食べて下さいってお土産なんすね。きめ細やかです。


 緑色のポロシャツ姿なのが村長さんで、かつて英仏に拘束された昔の村長さんの孫なのだそう。英仏の共同統治時代は現地民への締めつけが強く、それが「ジョン・フラム運動」発生の背景なのだとか。未開の部族を連想するような「カーゴ・カルト」は植民地で生まれた社会運動だったんですね。


 始まりの根源は古く、もともとラマカナ村の人々はウネン神という創造神を信仰してました。けどそこに西欧のキリスト教宣教師がやって来て、島民を教化しようとした。さらに近代に英仏がやって来て統治領にして、昔から信じられていた精霊信仰やそれに基づく生活様式を捨てろと働きかけたんですね。


 抵抗したいくつかの村の村長は捕縛され投獄された。するとそこに「ジョン」と名乗る精霊が現れて、「もうすぐアメリカという国がやって来て友になってくれる」と告げたそう。そうしたら本当に米軍が進駐し、囚われた村長たちを解放して、島民に元の伝統的な暮らしをするようにはからってくれたのだそう。それが1957年2月15日で、ラマカナ村ではその日を祝い、解放してくれたジョン・フラムの再臨を待つようになったとの事でした。


(* ̄ー ̄)v- 進駐した米軍は英仏と違って現地民に寛容で、バヌアツでは現地民が進んで米軍の補給部隊に加わったそう。西欧からの移民で創世神話を持たない米国がここでは来訪神みたいになってるのが面白いすね。日本に進駐したのとは事情が違い、英仏の統治領に間借りした程度なので現地民にはフレンドリーだったよう。村長たちが解放されたのは大戦終結後なんですね。英仏共同統治領で、撤退する前の米軍にそんな権限があったんかなぁ。

 とりあえず「ジョン・フラムとは何者だ?」という疑問を残したまま現地観光。うわーーー本当にSF映画に出てくるような風景だ。でもちょっと待って標高361m? それでバリバリの活火山なのこれ?


( ; ̄□ ̄)v- 火口の近くまで行ける。バリバリですやん。佐藤さんはドローン撮影もプロで、えっドローン溶けませんか? かなり火口の深くまで攻めてました。


 噴火してるやん!!  うわあCGじゃない、モノホンの溶岩だ! こんなん落ちたら一瞬で溶けてしまうというか、蒸発しますよね。すごい土地だわぁ・・・・・・


 佐藤さんが撮るとこう。プロは違うわ。てか学研ムーの表紙みたい。きれいな青い海に浮かぶ火の島なんだなぁ。



 それではお祭り。驚いたことに島民が軍服を着て、星条旗を掲げ小銃に見立てた竹の筒を持って行進してました。行進も本格的で「捧げ筒」の所作も完璧。解放者の米軍をそんなにリスペクトしてるんだ。行進の後には複数の村によるカスタム・ダンス(伝統的なダンス)が披露され、これがこの地のカーゴ・カルトの真実だと佐藤さんが語ってました。


 一般的な積荷信仰は「信じていれば祖霊や海の向こうの神が積荷を運んで来てくれる」という受け身的なものですが、ここの積荷信仰で重要なのは積荷じゃないんすね。ジョン・フラムが来ると予言した米軍は島民に「元の伝統的な暮らしに戻りなさい」と告げた。英仏にキリスト教を押しつけられ生活規範も変えられそうになってた人々にとって、いちばん有難かったのは元の暮らしへの回帰でした。


 そういう声はラマカナ村の人々からも出ており、「座って恵みを待つ信仰ではない」なのだそう。現地民は進んで米軍の補給部隊に加わっており、元の暮らしを取り戻したのはその対価だと考えてるんですね。何も行動せずただ享受した恵みではないって認識で、これが植民地でも自分たちのアイデンティティを保った「社会運動」にあたるそう。おおー、そうなんだぁ・・・近代に生まれた神話はリアリティがありますねぇ。


(* ̄ー ̄)v- ジョン・フラムとは「John From America=アメリカから来たジョン」が語源とも、フラム(ほうき=英仏を一掃するほうき)とも考えられるそう。これ英仏との仲立ちをした米軍の将校じゃないんかな?  ジョン・フラムを待つ踊りをソロで踊ったおじさんが、興味深いことを語ってました。


 ジョン・フラムは村長たちを集めて暮らしに関する陳情を聞き、それをまとめてフランスに伝えた。それによってタンナ島の人々が救われたそう。これやっぱり中間管理職みたいな米軍将校がジョンなのでは。きっともう故人だろうけど、こんなふうに救世主になってると知ったらどう思うだろうか。


 検索したらその後も我こそがジョン・フラムだと宣言した人がちらほら出ていたり、最近では故フィリップ殿下(エリザベス2世王配)を来訪神とするフィリップ王配信仰もあるのだそう。神話というものは近代にも生まれるんですね。へえぇと思いました。

 次回は明日。ジョン・フラムとは誰なのかに迫るみたいです。特定まではいかないかもだけど、気になりますね。