北斗七星の配列で小さな穴が穿たれているというケンシロウ岩(当社基準)。北斗七星のひしゃくが裏返し(ひしゃくが上向き)に描かれていると言い、くびれた上部の上に北極星が見えるそうで、これ以上ない妙見信仰の場のようにも感じます。これはケンシロウが服破りをした瞬間ね、しつこい私。今はわかりやすいように蛍光塗料が埋め込まれてて、イベントの際は夜に北斗七星が浮かび上がるそう。来てみたいすね。

(* ̄ー ̄)v- メインの岩屋岩蔭遺跡の巨石は「流紋岩質溶結凝灰岩と濃飛流紋岩の巨石の上に、北から濃飛流紋岩の巨石が覆い被さっている」のだそうで、それはこの妙見谷の岩質とも堆積方向とも異なるのだとか。どちらも火山活動でできる岩で、今の位置に納まるまでには「回転と移動を伴っている」そう。地滑りや崩落によってここに止まったというのが一般的な見方で、それならここは大昔はもっと高い山だったのかなぁ。

 火山活動でできた巨石が地殻変動で落ちてきたのか滑ってきたのか。ここは超古代文明の「な、なんだってー!!」な超テクノロジーを期待したいけど、ピラミッド建造やモアイの運搬並みの人手が要りますよね。人工物ならこんなんどうやって積みますのん。


(* ̄ー ̄)v- 巨石列は自然生成でも、それを古代の人々が何らかの目的で利用してたのは間違いない。リサーチセンターさんが検証して提唱してる「古代の太陽カレンダー」説にはグッとくるロマンがありますが、そうではないって見方もまた存在するんですね。読み比べるのも面白いすよ。

 ケンシロウ岩から右に散策道が伸びていて、進んだ先には「線刻石のある巨石群」がある。もう見えてますが道の右下にあり、そこも折り重なる巨石の隙間が空間になっていて中まで入れる。巨石の外壁には特定の季節に太陽光が当たる角度が線刻で示され、太陽光が当たる位置に穴が穿たれているとされてます。


 巨石で私の車が隠れてます(笑)  こちらは道沿いに巨石が林立してて、下りるとちょっとした神殿の回廊のよう。メインの岩屋岩蔭遺跡とはまた別のおもむきのある巨石列です。
 斜面の上にも巨石がある。よそでは恵那市の笠置山の上部がこんな感じで、巨石に線刻や盃状穴がある。「雨を我らにと願う」って意味の楔型文字が刻まれてるとされ、雨乞いの祭祀の場だったと言われます。笠置山はふもとにもメンヒルがあったりして、巨石信仰が盛んだったよう。ロマンですね。頂上の岩屋にヒカリゴケが自生してることでも有名です。


 それでは「線刻石のある巨石群」へ。ここから固定ロープを伝って巨石の間に下りられます。


 きれいに割れた巨石を見て、先日テレビニュースで見た「那須の殺生石が割れた」を思い出す。思いっきり割れてましたよね、九尾の狐(玉藻前)の封印が解けたかと。原因は不明だけど岩は染み込んだ水分が凍るとその体積が膨らむから、凍って溶けての繰り返しで岩が割れたのではとの事でした。これもそうなんじゃないかなぁ。


 これは人工的に切り出したみたいに見えますね。花崗岩には内部に立方体をつくる節理があり、まわりが風化するときれいな立方体の岩が残るそう。これはどんな成り立ちなのかな?


 きめ細やかな解説板。こちらは4つの巨石がややランダムに寄り集まってるポイントで、主に夏至の頃の太陽観測ができるそう。ここではない「東の山巨石群」の解説もあり、おおまかな巨石の配置が分かります。


 この解説板でいうDの巨石は散策道の上にあり、道の下の巨石群から直線上の空に北極星が見えるそう。偶然でないなら凄いですね。


 解説板でいうCの巨石は上の方がきれいに割れてずれていて、そこに木が生えている。さりげなく長い年月を経てるのが分かりますね。割れてから根づいたみたい。


( * ̄▽ ̄)v- そして「ここで唯一の記号表現」が刻まれてるとされるAの巨石。写真で見た方が分かりやすいですね。もちろん線刻は柱状節理じゃないかとか、楕円形に穿たれた穴は自然にできたものじゃないかとも言われてます。でもこの解説板を見ると「おおーーー!」と思いますね。


 楕円形の穴や線刻は若干風化してきてるけど、そこからそろそろと岩屋に潜入。川口浩探検隊で育つと、こういうシチュエーションがこの上なくたぎります。


 きめ細やかなことに中にも解説板と、夏至の頃に上から射し込む太陽光の角度を示す矢印がある。本当に手間暇をかけて観測されてるんですね、頭が下がります。


(*  ̄▽ ̄)v- 潜入の様子を動画に撮ってみました。手ブレはご容赦を。雰囲気が伝わるといいなぁ。