この赤い鳥居の先が奥の院。谷間の突き当たりにあり、大きな岩屋の中に823年(弘仁14年)に刻まれた不動明王像があります。


 入り口付近にはいちばん古い霊神碑や石碑石像があり、両脇の岩壁に沿うように配置されている。倶利伽羅剣や不動明王像も見られます。


 御嶽神社と刻まれた石碑もあり、由来がよく分からないものも。古くても平安時代よりずっと新しいと思いますが日当たりが悪く湿気の多い場所のため苔むしていて凄みのあるところ。いかにも奥の院という風情です。


 古い石碑はこうして写真に撮った方が文字が読みやすい。大日大聖不動明王とは不動明王が大日如来の化身のひとつとされるからですね。修験者は不動明王を奉じ行を通じて一体化することを願いましたが、その不動明王は大日如来でもある。大日如来は密教の中心仏なので、平安時代以降の山岳修験には密教が色濃く関わってたんですね。


 この石碑には「南無三十六童子」の両脇に「八大童子」と「八大龍王」の文字がある。三十六童子とは不動明王の眷属で、そこから八大童子・二大童子にピックアップされた2トップが制多迦童子と矜羯羅童子なんですね。八大龍王は法華経の守護者であり、修験道の祖とされる役小角が奈良の大峯山に祀ったもの。神社もあり、神仏習合色が強い。ここには鳥居がありますが、こうした石碑を見るとやはり仏教色が濃厚なんですね。私はまだまだだけど、ひとつひとつ理解できればもっと面白いと思います。


 谷の最奥はこんな感じ。両側から岩壁が迫ってきてて、氷柱が見えます。今日も雪が降ってるのでもっと積もってるような。


 見上げると大きな岩屋があり、これが迫間不動尊の奥の院。山中不動院の奥の院もこうした大きな岩塊の下に岩屋がありましたが、こちらは少し高いところにあります。中2階に籠堂が造られていて、初めて来た時はよく造ったなぁと感嘆しました。


 岩屋に入る前に滝の隣に並ぶ石碑石仏を見る。不動明王や倶利伽羅剣のほかによく分からないものがあり、山姥像のようなものもある。岩壁に生えた草から氷柱が垂れていて、周りは冷気に満ちてました。


 これが岩屋の横にある「ふどうの滝」。今はほとんど水が流れておらず凍ってました。ここと中央不動尊から下に流れる小川があり、それが迫間不動尊全体に満ちる湿気の源かな。


 滝の下、ここに滝行の方が立たれるのだと思いますがいかにも寒そうに凍ってました。苔がまとう氷とそこから垂れる氷柱がとても綺麗。日当たりは良くないけどキラキラ輝いて見えました。


 それでは岩屋めぐり。参拝順路は右からで、真ん中に手水舎がある。いつも職員さん?が環境整備に来ておられるので挨拶して入りました。


( * ̄▽ ̄)v- 手水舎の脇にある、見ると気になるモノ↓  やけにクッキリした筋の入った石と、割れた土器のようなものが意味ありげに置かれてます。気になるわー。


 あ、少し手ブレた(涙)  岩屋は少し掘り広げてあるかもですが、まるで鍾乳洞の入り口のよう。いつも蝋燭が灯っていて、お線香の香りが満ちてます。


 上る途中にある籠堂。太鼓があり、ここでお籠りをするようです。しっかりした造りで畳が敷いてあり、ここで夜を明かす事もあるのかなと。


 石段を上がったところにも石碑あり。こうして写真に撮ってみても文字はよく読めませんでした。