( ; ̄▽ ̄)v- 昨日は美濃三不動のラスボス・迫間不動尊を巡ってきました。各務原市から来ましたが、その名の通り谷間なので一部アイスバーンで緊張しました。各務原市のふどうの森、各務野自然遺産の森というのがある区域で、ここが迫間不動尊の駐車場。ここに来るまでにも複数の登山口があり、これから尾根上に登るハイカーも見かけました。
これまでは案内図の右端に見切れた坂祝町の猿啄城展望台と明王山まで。そこまでは尾根伝いに来ましたが、今回はダイレクトに迫間不動尊から少しだけ尾根に登ります。
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(* ̄ー ̄)v- 久しぶりに来たらQRコードつきの案内板が立ってました。関市はこういうところにマメな印象。ここは美濃三不動でいちばん古い霊場で、規模もいちばん大きいです。
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駐車場の上に産直市場があり、道路を挟んで売店兼食堂の「極楽茶屋」。その奥に鳥居があってここからが境内です。
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ここは昔 友達に連れて来てもらったのが初めてでしたが「え?ええ?」というのが初感想でした。お寺なのか神社なのか不可解で、入ると分かりますがえも言われぬインパクトがあり、美濃の珍スポットと紹介されてる事もあります。(あと心霊スポット)
( * ̄▽ ̄)v- 後から少しずつ御嶽教の霊場だと分かってきて疑問解消。この近辺のお不動さんゾーンの中心とも言えますが、もとは800年台に密教系の行場として始まったところに御嶽教が拠点を置いたよう。御嶽教は今は神道に属しますがここは独立した宗教法人で、まあその何だ。方向性はだいたい合ってると言うか「行者さまは細かい事はあまり気にしない」。一見カオスですが、山岳信仰色に満ち溢れたよい所です。
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まずは入り口から先が一段目で、奥から石段を上ると本堂や護摩堂。さらに奥の院があってそこから尾根上に登れます。尾根上には八方不動のお堂があり、その先に夕暮不動明王の石碑と迫間山。迫間城という山城があったところで、この日はそこまでの予定です。
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( * ̄▽ ̄)v- 入り口の鳥居をくぐると右手に池があり、谷間で日陰になる場所なので凍ってました。前の日に中濃地域もけっこう雪が降ったんですね。モノクロで綺麗だなと思いました。
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もうすぐ3月だけど先週の流れ旅とはうって変わった冬景色。尾根上は日当たりがよいのであらかた溶けていましたが、雪の迫間不動尊もいいものだと思って下からまいります。
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日当たりのよい所はこんな感じ。林立してるのは御嶽教の霊神碑で、亡くなった先達さんの顕彰碑のようなものです。御嶽山のふもとには2万基あると聞きますが、うちの方では路傍や山の中に1~数基がひっそり立つもので、ここが今のところ私が知る最大規模。お墓とは少し意味合いが違うと思いますが霊園のように区画が分譲されていて、この一帯の御嶽教の地盤の強さを見る感じ。
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御嶽山開山者の1人・覚明行者は尾張の出身で、もう1人の普覚行者は関東の人。それ以前から御嶽山は信仰の山でしたが、江戸時代にこの2人の大先達が庶民層に登拝の道を拓いたんですね。それ以前は厳しい精進潔斎を経た行者しか登ってはならず、庶民層はお布施を払って偉い行者さまに代理で登拝して貰っていた。もうそのシステムが確立されていたので、軽い潔斎でも登拝できるようにした覚明・普覚行者は旧来の勢力に妨害を受けることもありました。
(* ̄ー ̄)v- 岐阜県側の飛騨小坂口、長野県側の王滝口や黒沢口は今は登山者が行き来しますが、それを拓いたのがこの2人の大先達。それに連なる先達さん方は亡くなると魂は御嶽山に還って修行を続け、現世には霊神碑を残します。大先達から「覚」の一文字を頂いた行者名を刻むことが多いですが、女性には入ってない事が多いような。「姫」の一文字をここではよく見ます。
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(* ̄ー ̄)v- 御嶽講を知らないうちはカオスな珍スポットだと思ってました。鳥居をくぐった先に弘法大師も立っていて、ネットでは「不動明王=真言宗という図式を越えた何か」って感想を見たこともあり。たぶん800年代にここを行場としたのは天台系(山王系)の修験僧だと思うのですが、こちらでは真言宗の方が後々まで残りやすかったかも。行場に像があるのは断然に最澄より空海なんすよね。空海の方が全国津々浦々歩いてるイメージのようで。
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そして天狗。尾根上にもいます。なかなかキリッとした男前な目をしてますが、山伏のメインイメージですね。山を飛ぶように駆ける修験者がこう見られたものだと思いますが、山伏と行者は似て非なるもののようにも感じます。とくに御嶽山だと白装束のイメージが強いからかな。定期的に登拝されていて、登山者がおお!と目を見張るとよく聞きます。霧の中から現れたら驚くでしょうね。今の御嶽教は神道だけど、山伏にはもう少し仏教要素があるような?
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