道の両側に巨岩がそびえるようになってきて、階段もこんな感じ。けっこう起伏が出てきます。


 下を見ると岩の隙間にロープが張られてて、今は通れない箇所だけど順路や侵入禁止区域が区切られてます。昔はイベント時でなくても通れたようだけど、1人で来て転落したら見つかりにくいかも。


 今は桟道を通って「鬼の岩屋」へ。ここでも巨岩の隙間をくぐります。


 あまり気にしてなかったけどこの下は岩が入り組んでいて、けっこう高低差があるんですね。隙間から落ちないように進みます。


 ここが下の岩くぐりの中間出口。通行不可でなければ探検してみたいけど、1人だと心細いかな。鬼の岩屋のところが出口になってます。


 巨大な花崗岩がせめぎ合ってるところで何とも言えない圧がある。ここは県下の心霊スポットのひとつで夜に火の玉が出るそうだけど、夜に来る人がいるのかと。照明設備は無いのでよほどの好き者でも危ないと思います。


 のぼり旗が見えてくるとゴール。巨岩の間に張り巡らされた桟道を進みます。


 見下ろすと岩くぐりの終点。今は通れない区域ですがなかなかのスリルがありそうですね。最近はガイドさんつきのツアーがあり、日にちが合わないのでまだ参加した事がないです。


 ここが「鬼の岩屋」の前。立派な説明板があり、由来が刻まれてます。


( * ̄▽ ̄)v- 言い伝えによると後白河天皇の時代(1100~1200年)にここに「関の太郎」という山賊が棲みついていて、里に下りては乱暴狼藉を繰り返していたのだそう。それが都に伝わって誅伐せよとの院宣が下り、遣わされた討伐隊により捕縛され処刑されたとか。討伐隊は御嵩町の願興寺で薬師如来のお導きを得て、祭礼にやってきた「関の太郎」を成敗。その首を都に持ち帰ろうとしましたが途中で重くなって運べなくなり、埋めて塚にした。その「鬼の首塚」が御嵩町の国道21号沿いにあります。

 関の刀鍛冶の徒弟が逃げて山賊になったと言われますが、院宣を喰らうほどのやらかしぶりはかなりだったかと。願興寺のお祭りに女装してやって来たのを捕まったとあり、人恋しかったんでしょうかね。各地の鬼伝説にはこういう山賊を「鬼」としたものもあるんじゃないかな。


 出オチですが中にいる「関の太郎」の写真が入り口にあります。ここは大雨の後に土砂が流入しやすいので来ても立ち入り禁止になってる時があり、そういう時用かな。この日は入れました。中にはセンサーライトがあり、5分間の点灯なので緊張します。まごまごしてると明かりが消えてウワアアア!なので要注意。


 それでは潜入。脳内に川口浩探検隊のテーマは必須です。


( * ̄▽ ̄)v- つたない潜入動画をどうぞ。最奥に牢名主のように「関の太郎」が鎮座しており、その脇にもイイ空間があります。寝起きしてたのはそこだったかも。

        

ギャガーーーーーン!! こちらが「鬼人・関の太郎」。青鬼状態です。


 ライトが消えないうちに退却。1000年前によくこんなとこに住んだなぁ。昔は岩の隙間をくぐって出入りするしかなかったので、討伐隊もむやみに近寄れなかったんでしょうね。乱暴狼藉さえしなければひっそりと暮らせたろうなと思いながら後にしました。


 隙間から覗くと巨岩の下は迷路のようになっていて、迂闊には立ち入れない感じ。昔はもう少し自由に通れたようですが、ちょっと危ないすね。今は通行禁止区域が多いのも仕方ないかな。