青空の下を走り抜けるワイドビューひだ。名古屋から富山まで行く特急で、家族で乗っていった事があります。ここはJR飛騨萩原駅で、線路を渡った先に萩原御前山の登り口。里から頂上が見えない奥深い山で、頂上に織田信長が岐阜城の鬼門封じに黄金の観音像を置いたと言われます。

(* ̄ー ̄)v- 世界の何だコレミステリーも取材に来て、それを見て登りに行きました。標高は1646mで阿寺山地の最北端。桜洞・上村ルートの2つがあり、どちらからも行きましたがまあ遠い遠い遠い。一合目からだと気が遠くなりますた。頂上の観音像は初代・二代目は盗難に遇い、三代目の像はがっつんがっつんの鉄格子のついた祠にあります。もう黄金ではないのが残念。
  

 レトロな趣のある飛騨萩原駅。岐阜県では下呂市金山町から飛騨国になり、車も岐阜ナンバーから飛騨ナンバーに変わります。ざっくりと飛騨金山→下呂→飛騨萩原→飛騨小坂→飛騨高山という感じかな。こちらは飛騨街道の萩原宿にあたり、駅の周りは栄えてます。


( * ̄▽ ̄)v- 萩原御前山に登った時に立ち寄ったら駅の中にお洒落なコーヒースタンドと雑貨店があったので久しぶりに来てみましたが、観光案内所に変わってました。ちょっと残念。

 駅前に「諏訪城跡」があり、下の公園は行った事があるけど城跡はまだだったから行ってみました。水路の脇で紅色も鮮やかなミズヒキを発見。きれいですね。


 城跡であり諏訪神社でもある。もともと神社があった所に初代高山藩主・金森長近が支城として築いたもので、金森長近は羽柴秀吉に従って飛騨に侵攻してそれまでの支配者だった三木自綱を追い出しますが、その時ともに戦った佐藤秀方(美濃鉈尾山城主)にここに入ってもらったんですね。

(* ̄ー ̄)v- 佐藤秀方は美濃国の旧武儀郡の領主で、正室は金森長近の姉。関市の高澤観音に供養塔がある佐藤方政はこの秀方の息子。それまでは金森長近と聞くと飛騨の名君というイメージしかなかったのですが、生まれは東濃の多治見(旧土岐郡)で、美濃土岐氏の傍流の出身だと初めて知りました。美濃国守護の土岐成頼の孫にあたり、織田家の重臣になった人。本能寺の変の後に羽柴秀吉につき、秀吉と対立した佐々成政が「さらさら越え」をして徳川家康に助力を乞いに行った時、それに協力しようとしたのが当時飛騨国を掌握してた三木自綱だったので、秀吉は飛騨に侵攻したんすね。

 そこで三木自綱を追い出した金森長近が飛騨を治める事になり、姻戚を結んだ佐藤秀方が支城の萩原諏訪城に入った。その2人のホームの美濃国旧武儀郡や関市が飛騨と関わりが深いのを、あちこち訪れるうちに少しずつ理解できました。こういうのは地味に楽しいです。


 もともと諏訪神社が先にあり、築城の際に移転したものをまた戻したそう。一国一城令というのが出て廃城になった後しばらくは金森氏が高山に行き帰りする際の逗留所になっていて、また諏訪神社に戻したのだとか。境内がお城の本丸にあたるそうで、石垣とお堀が残ってます。
 

 裏から入る。赤鳥居になっていて、うちの方では少なめですが総本社は説明不要の諏訪大社。同僚に伊那谷の人がいますが、御柱はあちこちに立ってると聞きました。岐阜県では諏訪神社でもあまり見ないかな?


 社叢が町の天然記念物に指定されてました。山城ではなく平地に建てられた城跡ですが、石垣があり一段高いところになってます。


 けっこう広くて境内社も多い。拝殿と本殿の横から境内に入りました。


 おお、紛うことなき諏訪神社。メインの祭神は国津神の建御名方富命とその后の八坂刀売命。天津神に敗れて諏訪に鎮座した神さまで、狩猟神であり蛇神でありいくさ神でもあるという諏訪大明神(お諏訪さま)ですね。


 諏訪信仰はとても起源が古いもので諸説ありますが、東北が弥生時代に入った頃でも頑なに縄文時代の狩猟採集を続けていたと言われます。なので神社でも鹿の頭やウサギやカエルをお供えする儀礼があったり、建御名方富命が8歳の男の子を依り代(大祝)に選びそれにつき従う神官長が代々継承されるとか、とても独自性の強いもの。建御名方富命が諏訪湖に鎮座した時に敗れた一族(守矢氏)が神官長の家系であったり、諏訪氏という氏族が今もたくさんいるのだそう。ちょっとワクワクしますね。


( * ̄▽ ̄)v- 諏訪大社はさすがに誇張でしょうが「木落としで死ぬのは恥。立て柱で死ぬのが名誉」の御柱祭が有名で、普段おやきは長野が発祥だとか長野はザザ虫食いやがってとか隣合わせの県ならではのネタ論争がありますが、御柱祭のある長野には勝てない。さらに長野の方は「あれは諏訪のものだ」と言われ、長野県でもお諏訪さまは少し特異のようですね。ものすごい土俗のパワーと言うか、狩猟民の底力を感じます。

 角川映画の「天と地と」で、川中島の合戦の最中に武田勢から巫女さんがデカい太鼓をドンドン鳴らしながらやってきて上杉勢に銃撃される場面がありましたが、あれが諏訪信仰だったんだなと。いくさ神の側面があるので武田氏が奉じていて、武田信玄の妻で嫡子の勝頼の母は諏訪御寮人といい、諏訪氏の人でした。戦国時代でも諏訪氏は名族だったんすね。


 お稲荷さんとお神輿の蔵。祭礼はとても豪華なもののようでした。


↓遠く離れた飛騨でもこれはすげーや。一度来てみたいものです。


 境内(もと本丸)はとても広くてすっきりしており、境内社も端正。駅前で賑わう場所ですが、ここだけ清浄でよい雰囲気でした。


 いいところだなぁ。巌立峡の帰りに立ち寄ってよかったと思いました。