小径の突き当たりと上にも巨石があり、右下にあるのは「線刻のある巨石群」。どの岩も季節の節目ごとに太陽観測ができるとの説明板がありますが、こちらは巨石と巨石の間が回廊のようになってます。
向こうに見える舗装路が県道から下りてきた道で、少し先に駐車スペースがある。もっと先には公衆トイレやテニスコートがあるようだけど、まだ行った事がありません。
全体図はこうで、妙見神社になってる岩屋岩蔭遺跡とはまた別に、少し間隔を開けて巨石が寄り集まってるのが「線刻のある巨石群」。ここからは少し遠い「東の山巨石群」の石の配列も載ってます。
こちらは夏至の頃の観測の痕跡があるのだそう。写真で丁寧に解説されてますが、線刻や楕円形に穿たれた穴は風化のため肉眼ではあまりよく見えません。「この角度と形に太陽光が当たるよ」と写真で見るとおおーとなりますね。
巨石の間の狭い隙間が洞穴のようになっていて中に入れます。そこにも説明板と光が射し込む角度が矢印で示されていて、手をかけてるなぁ。
光の射し具合で季節の節目を観測してたと言われる巨石は関市の高賀山の8合目の不動岩屋もそうで、そちらではここほど明言してないけど説明板があります。雨乞いの山で巨石に雨を受けるための盃状穴や祈願の線刻文字があるのは恵那市の笠置山。日本ではもともと自然信仰で巨石を拝んでて、磐座(神が降りてきたり宿るもの)として神社の拝殿の裏にあったりします。大昔はここもそういう場所だったのかな?とは思います。
また洞穴や洞窟は異界や胎内を連想するもので、暗いから畏怖を抱かれた。けど火が使えるようになったからか、人が住むようにもなったんすね。郡上市の縄文洞は史跡名は「安久田地獄穴遺跡附(つけたり)縄文土器」で、鍾乳洞が地獄と見られたと同時にそこが住居に使われたことを表してます。大規模観光洞の大滝鍾乳洞のそばですが、照明がないので懐中電灯で入る気合いが必要な鍾乳洞っすよ。怖いのなんの。住居跡は出口付近で、今は鍾乳石の発達か崩落で塞がれてますが大昔は開口部だったようです。
巨石の狭い隙間。これは線刻とされる箇所ではないですが、自然の岩もこんなふうに人の手が加わってるように見えるんすね。だからややこしい。
内部には人工的に見える穴もありますが線刻は柱状節理、穴は自然に気泡のように出来たものという見方もあります。ここは比較的何度も調査されてますが、まだ自然由来か人工かって結論は出てないんですね。巨石じたいも古地磁気学的調査というのがされたそうですが、回転などを伴う力でここに移動したとあり、人為的な移送より地滑りや崩落でここに止まったと考えるのが自然かも。なら大昔は山体がもっと大きく高くって、それが崩れたことになるかなと。