いちばん高い一の滝。下から13・23・44mで合わせて80mとはキリがよいですね。額からは汗がしたたりますが、吹きつける滝ミストでとても涼しかったです。


 落とし口を見上げると圧巻。黒っぽい岩に白い水しぶきが煙るよう。その下に岩を伝う流れが見えてます。



( * ̄▽ ̄)v- 滝だからこんな音だけど、暑い日のクールダウン用に録ってみました。


 再び分岐点に戻って登る。岩山の頂上はもう少し上で、そこを経由してあと2つの滝に向かうんですね。
 

 見下ろす一の滝はこんな感じ。ここは滝の真ん前には立てず、浅い淵が下の二の滝に続いてます。


 頂上は標高300mほどのよう。この石段を上りきった左側に岩のピークがあります。


( * ̄▽ ̄)v- ここにもモチツツジが咲いていた。花があると嬉しいものですね。


 岩のピークは岩伝いに奥まで続いてますが、この先は行き止まりで道はなし。行き止まりの左手の大きな岩に大きな蜂の巣を見た事があり、遊歩道もないので行かない方がよいかと。


 ここがいちばん高いところ。しばし休んでまた遊歩道に戻ります。


 下の方に白い花が見えました。あれがさっきひと枝落ちてたヒトツバタゴかな?


 岩山の向こう側に下りる。こちら側は日陰になっていて、ちょっと薄暗かったです。


 4つ目の円明の滝が見えてきました。落差は20mで、ここと最後の二天の滝で宮本武蔵が滝行をしたのだそう。


(;  ̄▽ ̄)v- イメージ的には剣豪の修行には総落差80mの一~三の滝の方がふさわしいような気がするけど、雰囲気はなかなかの円明の滝。こちらの方が瞑想しやすいかな?


 名は宮本武蔵が生じた流派によるとの説明ですが、円明と聞いて私が浮かぶのは「白隠禅師座禅和讃」。ちと長いけど引用するとこう。


 衆生本来仏なり  水と氷の如くにて
 水を離れて氷なく  衆生の外に仏なし
 衆生近きを知らずして  遠く求むるはかなさよ
 譬えば水の中に居て  渇を叫ぶが如くなり
 長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず
 六趣輪廻の因縁は  己の愚痴の闇路なり
 闇路に闇路を踏みそえて  いつか生死を離るべき
 夫れ摩訶衍の禅定は  称歎するに余りあり
 布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等
 其の品多き諸善行  皆この中に帰するなり
 一座の功をなす人も  積みし無量の罪ほろぶ
 悪趣いずくに有りぬべき  浄土即ち遠からず
 辱くも此の法を  一たび耳にふるる時
 讃歎随喜する人は  福を得ること限りなし
 いわんや自ら回向して  直に自性を證すれば
 自性即ち無性にて  すでに戯論を離れたり
 因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し
 無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
 無念の念を念として  うたうも舞うも法の声
 三昧無礙の空ひろく  四智円明の月さえん
 此の時何をか求むべき  寂滅現前する故に
 当処即ち蓮華国  此の身即ち仏なり


( ̄▽ ̄;)v- 最後の方にちらっと円明と入ってるだけですが、テンポよく何となく意味も伝わる気がしたので全文引用。円明というのは「明らかに悟る」状態で、剣術には剣禅一致という概念があるのだそう。宮本武蔵が若い時に称した円明流というのも禅語によるものなんでしょうね。