(* ̄ー ̄)v- これもある意味登山。また書き直してきたか高村薫御大。「レディ・ジョーカー」では全面改稿の文庫版三冊が財布にトマホークでした。

 最初に読んだのは「マークスの山」で、北岳がすべての始まりかつクライマックスでした。映画化されて柳ヶ瀬の自由劇場まで観に行きましたが、大画面で「カンチと対極の萩原聖人」におののき、後に黒沢清監督の「CURE」で再確認。怪物だわと思ったものですた。

 その後著作をいろいろ読みましたが、犯罪小説で純文学を書く方なので最初っからいろいろ緻密でしたが年々ドストエフスキー化が進行中。女流で実際の犯罪事件を題材に小説を書く作家さんは桐野夏生氏や岩井志麻子氏がいますが、高村薫氏には女の情念みたいなものが無いんすね。女の感情的なところ、主観にとらわれるような所がなく、精密機械のように文章を組み立てなおかつ純文学。最近は政治問題について新聞にコメントを書く時もあり、初期の荒削りなところがなくなって寂しい気も。

(* ̄ー ̄)v- 連載→ハードカバー版→文庫版で改稿してくる事が多く、個人的には最初のものが好きだったり、文庫版まで改稿したものが良かったり。「レディ・ジョーカー」や「リヴィエラを撃て」は文庫版の方が好きで、「神の火」はハードカバー版の方が好きです。

 実際の犯罪事件を題材にしたのは「レディ・ジョーカー」と本作で、こちらは多分 闇サイト殺人事件と世田谷一家殺害事件を下敷きにしてます。闇サイトで知り合った二人の男が歯科医の一家を惨殺し、その捜査~裁判の過程を書いたものですが、相変わらずの情報量の多さに目眩がします。捜査や立件に関わった人々の描写より調書や上申書の方が多い(涙)  ライトな犯罪小説なら省かれる「お役所仕事」をきっちり入れてます。

(* ̄ー ̄)v- 読み手はそこを踏み越えて、捜査や公判に携わる「人々」の内面に思いを馳せ、常識では短絡的すぎる犯人たちの内面(という樹林帯)をさまよう感じ。「レディ・ジョーカー」では冒頭からグリコに送られていた怪文書(脅迫的なものではなく、かつてグリコで働いていた時の淡々とした回顧録のようなもの)をビール会社に置き換えて延々と書き、本作では被害者一家の13歳になったばかりの女の子の朝の光景をじっくり描写。今回ものっけから重厚です。

 前作の「我らが少女A」の時から若者文化を取り入れるようになり、吉田戦車の火星田マチ子が出てきてビックリした。合田刑事が理解に苦しんでたけど、高村御大はあの「女の幸せ、それは親友が好きになりかけた男を天高く持ち上げる秋の午後」とかをどう読んだんだろう。本作では犯人がパチスロのミリオンゴッドにハマッてる描写がありましたが、4号機時代の鬼のような機種の頃のはずだけど、御大打ったのか。相当に知識と覚悟と元手がないと打てない機種だったぞ(涙)

 サンデー毎日に連載の時は「新冷血」というタイトルでした。トルーマン・カポーティの「冷血」も二人の犯人による一家4人殺害事件で、それが念頭にあったんですね。犯罪事件を文学作品にした最初のものと言われます。

-v( ̄▽ ̄;) 事件記事というものにも文学作品と呼べるクオリティのものがあり、私が好きなのは↓この朝倉喬司氏。こちらは男性ですが、情感に訴える名文を書かれてました。

( * ̄▽ ̄)v- 昼休みに過去に書いたものを書き直したので雑な文章になりました。高村御大の気合いには敵いませんな。