( * ̄▽ ̄)v- 本来はこれのシーズンなのに、コロナ禍の方が怖いなんて厭な世の中ですね。先日の何だコレミステリーSPで懐かしの怪奇ネタが登場したので、懐かしみながら見てました。


 初出は1976年(昭和51年)の日本テレビ「ルックルックこんにちは」。私はリアルタイムでは見てなくて後の怪奇特番か何かで見ましたが、夏の怪談トピックに紹介された「生首掛け軸」の目が放送中に開いたってお話です。


 ↑もうこれだけで怪談トピックなんですが、これだけではなかなか後世まで語り継がれないのが怪談ジャンルの険しいところ。とりあえず今はこの掛け軸で怪談トピックはやれないんじゃないかなぁ?

 接写だとダイレクトなので引きで二幅。渡邊金三郎・僧 光惇と名前が書かれており、前者は幕末の京都奉行所の与力、後者は水戸の東清寺というお寺の僧侶なのだそう。

(* ̄ー ̄)v- 渡邊金三郎は文久2年(1863年)にあと3人の同僚と東海道石部宿に宿泊していたところを尊王攘夷派に急襲されて粟田口に首を晒され、江戸幕府による攘夷派への弾圧が動機のよう。僧侶の光惇はその翌年にあと1人の僧とともに京都の宿屋で襲われ、三条河原に首と胴体を晒されたとか。「帝の調伏や攘夷義士の廃法を祈願した」とされ破戒僧の汚名を着せられたとあり、いずれの襲撃にも「人斬り以蔵」こと岡田以蔵が関与したとも言われます。


(* ̄ー ̄)v- そんな血なまぐさい「晒し首」が掛軸になっているのは、元は記録のために絵師が晒し場で写生したものが巡り巡って掛け軸に表装されて古美術品として流通したのかも。この二幅が青森県の正傳寺というお寺に納められていて、ワイドショーでそれを伝える最中に、視聴者から「いま掛け軸の生首の目が開いた!」って電話がテレビ局にかかってきたそうです。


 開いたとされるのは渡邊金三郎の生首の右目で、ちょうどカメラ目線になるように眼球が動いたとも。今は加工動画の全盛期であまり珍しくないですが、この時代にはショッキングで後々まで語り継がれてます。


 テレビ局も視聴者からの電話ですぐに映像をチェックできる時代ではなく、制作会社からビデオテープを取り寄せてやっと気づいたそう。アップでなく引きで撮られてる映像なので、電話した人はよく見てたなぁと。そう言われて見るとそのようにも見えるって映像でした。


 淡々と紹介される住職さん。もとは一般のお宅にあったけど、掛けてある部屋に誰もいないのにガタガタ物音がする等の怪異が続き、お寺に納められたそうです。


「こちらでも何かありますか?」とスタッフさんに尋ねられ、微妙なニュアンスで余韻をにじませる住職さん。「ああ・・・それは・・・」みたいな感じがジャパネスクでした。


 番組ではモザイクはかかってませんでしたが、さすがにエグいかなと加工してみる。かなり写実的な梟首(晒し首)図です。殺害してから晒すために切断したものかと。当時の絵師は胆が座ってましたね。


↑右目が開いたとされる瞬間。ジャストタイミングで蝿が止まって開眼したように見えたとも、それだと蝿にしては大きすぎるとも。日本画には角度によって見え方が変わる技法もあるそうですが、この絵にはそんな技法は使われていないとも。虫だとしたらジャストミートですよね。


(; ̄□ ̄)v- ↑はっ!? と思いましたが、けっこう催しに貸し出しされてるよう。お貸しして下さると言っても、掛け軸の前で一晩お泊まりでした。


 一晩見守ったけど変化なし。それはまあそうかなぁ。


 仮説はたくさんありますが、再現できなければ「真相は不明」なんすよね。未確認飛行物体がUFOなのと同じようなもので。それでも懐かしく、今あらためて紹介される怪異談になったんだなぁと感無量でした。