今日は朝から胃カメラを飲んだので山には行けず、ちょっとだけの流れ旅。職場の健康診断で引っかかって、人生初の胃カメラでした(笑)

( ̄▽ ̄;)v- 点滴で麻酔を入れての検査で、看護師さんが「完全には眠らないくらいです」と説明して下さったのですが爆睡しました。目覚めたら別室のベッドで寝ていて、凄いぞドラマみたいだわ!! 車椅子で移動したと聞きましたが、検査の記憶もまったく無し。全介助で車椅子に移乗されてベッドで仰臥位にされたのか私は。振り返れば、検査開始時に医師の後頭部しか見た覚えがございません。

 麻酔が醒めるまで2時間くらい爆睡して、結果はまた後日との事で爽やかに流れてきました。今日は御嵩町クルージング、初めに国道21号沿いの「鬼の首塚」に寄りました。


(  ̄▽ ̄)v- こちらが鬼の首塚。鬼と言うか山賊ですが、説明板にあるように昔この近くの鬼岩の岩窟(鬼岩公園)に住みついていたヒャッハーな「関の太郎」が退治され、その首を都に運ぼうとしたらここで重くなって運べず、ここに埋めたそう。民話だと○○の首とかお地蔵さんとかお寺の鐘がよく途中で運搬不能になって、そこに埋められるパターンがよくありますね。中には面倒くさくなって運ぶのを止めたものもあるのかも。



 もう少し国道をまっすぐ行くと、御嵩町と瑞浪市にまたがる奇岩で有名な鬼岩公園があり、そこに「関の太郎」が住みついていたと言われる岩屋があります。中にコンクリート像が牢名主みたいにドヤ顔で座ってますが、大雨の後とかだと岩屋は入洞禁止になるので要注意。私はこの間はじめて入れました。

(  ̄▽ ̄)v- 全国あちこちにある鬼伝説は、実際は山賊とか漂着した外国人だったりするんすね。朝廷に従わない地方の豪族も都から見れば鬼や妖怪だったから、葛城の土蜘蛛、飛騨の両面スクナとかもその扱い。関の太郎は関の刀鍛冶の徒弟くずれがヒャッハー化したみたいです。でも女装して里の祭礼に来て討たれたのか、人恋しかったのかもしれませんね。



 まだ名残りの紅葉があり、水鉢や地面に積もってました。黄色とのグラデーションのある葉ももう散ってしまいますね。


(  ̄▽ ̄)v- また車で少し走り、途中で左折して謡坂という地区へ。ちょっと山に入りますが、そこに「七御前」という史跡があります。

 御嵩町は中山道の伏見宿・御嵩宿という宿場がある町で、伏見宿の方はあまり史跡はないですが、中心部の御嵩宿は宿場町のたたずまいがあり、この謡坂地区は街道上にある。皇女和宮が徳川将軍家に降嫁するお輿入れ行列が通った道で、休憩のために設けられた「御殿場」もあります。謡坂(うとうざか)という名は、昔は鬱蒼として険しい峠道だったので「歌でも歌いながらでないとやっとれん」だったからだそう。


 昔はじめて知った時は意外でしたが、ここは潜伏キリシタンの遺物が見つかった場所。道路工事の際に点在していた古い五輪塔などを移動させる時、それまでは詳細不明の中世の仏教史跡だと思われていたここから、十字架を陰刻した石が出てきたんですね。

 それを受けて近い範囲から同様の石や子守観音に擬した聖母子像、神社拝殿から「天主之拝」と墨書きされた板などが見つかった。1600年代に美濃崩れ(濃尾崩れ)と呼ばれる隠れキリシタンの一斉摘発がありましたが、ここでは昭和56年まで信徒がいたと思われていなかったし、その記録もなかったそう。私は20代の時に知りましたが、隠れキリシタンと聞くと九州しか浮かばなかったのでとても意外でした。織田信長が寛容だったのは知ってたけど、そこ止まりで。


 それまでの私の感覚では御嵩町と言えば亜炭で、明治時代から昭和初期まで採掘が盛んだったこと。あと柳川町長襲撃事件と、古墳が多いこと、最古のゾウの化石骨が出てること。ここに至る途中の竹藪にも中切古墳という古墳があり、石室には入れませんが、古いものが多いところではあります。

(* ̄ー ̄)v- 七御前という史跡名の由来もよく分かりませんが、それは道沿いの聖母子像の裏の事で、これが道路工事の際に一ヶ所にまとめられた五輪塔など。五輪塔は確かに7つあるような。


 カトリックの名古屋教区に正式に信徒受難の史跡と認定されていて、聖母子像などはいつもきれいにされてます。裏の五輪塔群にも定期的に信徒さんがマリア像などをお供えされていて、新しいものもありました。ずいぶん前からお女郎さんを思わせる赤い着物の日本人形がありましたが、だんだんのっぺらぼうになって、もう完全に苔むしていた。なぜ日本人形なのかは分かりません。