上からアステカの太陽神ウィツィロポチトリ、夜の神テスカポリトカ。ナスカの太陽神インティ。中南米~南米は多神教で、とくに太陽神が重要でした。


( ̄∀ ̄)v- 世界中の創世神話はどこか似た所がありますが、中南米~南米の神話も天地創造から沢山の神々が生まれて対立や婚姻を経て緻密に体系づけられてます。人身供儀は複数の神のために行われましたが、マヤでは終末期はほとんど毎日やっていた。太陽が沈むのは太陽神が活力を失うことだったから、それを補うためだったんすね。


マヤでは映画「アポカリプト」に描かれたように、末期では近隣の他部族から生贄を狩り立てるようになっていた。元々のマヤ人には生贄の慣習はなかったそうですが、トルテカ人の流入からそれが始まったとか。マヤ人の死生観は「死は終わりではない」だったので、少なくとも初期の生贄は国民の社会的役割で、神のステージに上がることとして名誉になりました。


それがだんだん戦争捕虜や奴隷に変わった。ひょっとしたら信仰心が形骸化したり、人々の内面の格差の意識が高まったのかもしれない。祭政一致が惰性化し、古代ローマのように闘技場で殺戮ショーをやり続けないと社会が維持できなくなったのかも。マヤは衰退し、後に栄えたアステカも同様で、スペインに征服された際は生贄狩りをやられすぎた他部族が協力していました。


中南米のアステカはスペインのコルテス、南米のインカはピサロに征服されました。インカにも生贄の慣習はありましたが、生きたまま体を損壊するほどダイレクトではなかった。皇帝は太陽神インティの化身とみなされ、そこは太陽ウィツィロポチトリを皇帝と同一視まではしていなかったアステカとは違います。


( ̄ー ̄)v- インカの太陽神インティは今もアルゼンチン国旗の真ん中に鎮座する。「赴く地の気温を上げる男」「地球温暖化の原因」の松岡修造さんが違和感なく模されてますが、生贄まで捧げられてないのは幸いっすね。たまにエジプトの太陽神ラーにもされとります。


2枚目はアステカの夜の神テスカポリトカ。太陽神ウィツィロポチトリと対立する神ですが、軍神としてのウィツィロポチトリの顕現と同一視される事もあるためか、どちらにも生贄の心臓を捧げる儀式がありました。この頭蓋骨は1年間テスカポリトカそのものとして大切にされ、儀式で生贄になった若者のもの。生贄はテスカポリトカがそうだと信じられていた健康なイケメンで、豪勢な暮らしと選りすぐりの4人の乙女(テスカポリトカの妻)を与えられ、祭りの時まで王侯なみに大切にされました。


都築道夫か高木彬光だったと思いますが、子供の頃にミステリー作家の短編小説のアンソロジー本で、おそらくテスカポリトカの生贄を題材にした作品を読んだ事がありました。マヤやアステカを専門とする考古学者が湖のほとりの別荘に娘を連れて避暑に来ていて、ちょうど留守にしていた時に、別荘のあたりをうろうろしていた宿無しの若者が娘さんと意気投合するんすね。


娘さんは女子大生で、若者を別荘に入れて深い仲になってしまう。おまけに父親が大切にしているマヤやアステカの蒐集品を見せ、骨でできた笛を「気に入ったならあげるわ」とやってしまう。そして古代の遺物に何の知識もなかった若者と、古代アステカで「神人さま」と呼ばれる若者の様子がオーバーラップしていきます。


神人さまは奴隷か捕虜だったけど、本人もよく分からぬうちに贅沢三昧の暮らしを与えられ、4人の美しい乙女を妻として酒池肉林の毎日を過ごしている。やれと言われているのは骨笛を吹くことだけで、よく分からないけど毎日幸せ。しかしその暮らしが1年続いたある日、館に使者が来て、青ざめた乙女から「あなたが神になる日が来ました」と告げられます。


現代では帰宅した考古学者が娘のやらかした自堕落に憤り、別荘に入り込んでコレクションの笛を吹いてる若者を見て激怒。怒りのままに若者を刺殺してしまいます。


古代アステカでは輿に載せられ歓喜する群衆の前を凱旋する若者が、御者に促されて骨笛を吹く。彼は目の前のピラミッドを見て「これからあのてっぺんで生きたまま心臓を抜かれ、死体は転げ落とされバラバラにされて食べられる」と理解しますが、もう恐怖はなく、選ばれし者の恍惚感しかない。叩き壊すよう言われた骨笛は前の「神人」の骨で作られたもので、次は自分の骨で作られる。そして4人の花嫁も、泉に突き落とされて死ぬ……


現代でヒッピーの若者を刺殺した考古学者は、駆け込んできた別荘番にこう告げられます。


(; ̄○ ̄) ……先生、お嬢さんとお友達が乗ったボートが転覆して、4人とも…………


夏休みで東京から遊びに来ていた友人が3人。学者の娘も含めて4人の乙女が湖に沈んだ。若者を殺めた学者は、知らず知らずのうちに「ピラミッドの頂上で生贄を殺す神官」になっていたというお話。ミステリーの短編集でしたが幻想小説の範疇に入る作品で、映画にすれば怪奇映画になりそうですね。巧い作品でした。


( ̄ー ̄)v- 中南米~南米の生贄の儀式では神官も生贄もコカの葉などの幻覚作用のあるものを摂っていたそうで、この小説の現代の若者もマリファナやってたかな。マヤやアステカの「血の饗宴」「血の酩酊」はそれ由来でもあるとされ、恐怖心を和らげ神のステージに上がりやすくするためだったと言われますが、現代人が「なんて野蛮な」とドン引きしながらも好奇心を抱くのは、年季の入った宗教観と集団心理と薬物によって引き出されたモノは、時代を問わず全ての人間が普遍的に持つモノだからでは。


個人差はありますが、こうした「昏い郷愁」は学術的な探究や文学などの創作物に活かされる。質のよい研究結果や創作物に昇華されるには、それなりの下地(知識や表現力)が要るんすね。噂話として根付く都市伝説も、たとえば杉沢村のように幾つかの事実(津山三十人殺しなど)を下地にして組み合わせ、やけにリアリティのある話にしていた。説得力=因果の構築。見世物小屋の「可哀想なのはこの子でござい~」という口上は、それが既に、見世物に真実味を持たせるギミックだった。


( ̄ー ̄)v- ……つまるところは、ショーマンシップか。



古代アステカの生贄の儀式が現代の殺人事件にリンクするというのはこれも荒唐無稽なんだけど、この小説では殺人者が考古学者であったこと、別荘に遺物のコレクションがあり湖のほとりという設定が因果を繋げた。それでも幻想文学ってのは難しいんすよね、やっぱりハンバーグの繋ぎみたいな「何か」が要るから。