1枚目がツタンカーメン王墓を発見したハワード・カーター。隣はスポンサーの英国貴族のカーナヴォン卿。王墓発見の翌年に急逝したことが「ファラオの呪い」伝説の筆頭のエピソードとして語られます。


( ̄ー ̄)v- 死因は頬の虫刺され痕を剃刀で傷つけて感染症に罹り、重い肺炎になったから。王墓発見後に新聞社の報道合戦やエジプト考古局の介入でノイローゼみたいになったカーターに三行半を突きつけられ、和解する暇なく亡くなりました。


けれどもこの写真が撮られた頃は歓喜の絶頂期で、見つかった遺物の輝きはずっと変わらない。王墓の造りは入り口から地下に階段が伸び、前室・玄室・付属室・宝物庫の4部屋に分かれていました。


部屋の境目はすべて封鎖壁で塗り込められ、玄室の前にはツタンカーメン王の生前の姿を象った一対の番人像が置かれていた。これは後にエジプト考古局が「唯一無二の遺物でなければ発掘権を持つカーナヴォン卿の未亡人に譲る」と譲歩したため、今は片方が大英博物館にあります。


( ̄∀ ̄)v- 王墓には様々な日用品が納められていたけれど、筆記用具はあるのに古文書(パピルス紙)が無かった。貴重な文書が像の中に隠されていた例があったため、この番人像はX線にかけられましたがありませんでした。


そして一番最後に開封された玄室の、発見当時の写真が2枚目。部屋いっぱいに棺を納めた厨子があり、外から持ち込める大きさではないので中で組み立てたもの。金箔張りの木製で四重になっており、それぞれに精緻な装飾が施されてます。


( ̄∀ ̄)v- 3枚目はいちばん外側の第1の厨子で、金とファイアンス(金属を釉薬にした古代エジプトの陶器:鮮やかな青が特徴で王族にのみ使われた)で繁栄を表すティト・安定や永続を意味するジェドという象形文字がびっしり施されてます。


その中に第2の厨子があり、冥界の神に謁見するツタンカーメン王の姿が浮き彫りになっている。さらにその中に第3・第4の厨子が入っていて、翼を広げた女神に守られたその中に人型棺が安置されていました。


( ̄∀ ̄)v- 1つの厨子を解体するのに3ヶ月かかったそう。二度と開けられないことを想定して造られた厨子を開封するのは、その後の修復・復元も考えねばならないし大変だったんすね。



四重の厨子だけでも大変に手間暇がかかってますが、さらに「本丸」の人型棺も3重構造。有名な黄金のマスクはミイラそのものが被っており、古代エジプトの贅と職人技がさらに極まります。