そう言えばNHKの幻解・超常ファイルの記事だった( ̄∀ ̄;)v- いろいろ寄り道してそっちに行きたくなりますが、一応そこに戻っとこう。


番組の序盤に「幽霊やお化けを見たことはありますか?」ってアンケートの結果が示されましたが、まずセルフツッコミ機能が「あかんやないか天下のNHK。賢しく分別するのはええけど説明せい」。幽霊とお化けは同一ではなくて、お化けには妖怪も含まれるんすね。ソコはハッキリしてくれやんと。


( ̄ー ̄)v- あと幽霊と心霊の違い。心霊の方は超常現象そのものを指すので、「心霊写真じゃなくて幽霊写真と呼ぶものじゃないのか」だけど、写ってるのが幽霊とは断定されてないから心霊写真と呼ばれるんだとか。


なまじ変な基礎知識を溜め込んで生きてきた私みたいなのにはもどかしい所もありますが、天下のNHKのスタンスは「要点を分かりやすく伝える」なので、ここを入り口にしていろいろ深みにハマるのも面白うございます。(ただし社会生活に支障をきたさないレベルで)


( ̄∀ ̄)v- 5人に1人が「幽霊やお化けを見たことがある」と言われれば多いな!!と思いますが、円グラフにすると「こんなもんか?」感がみなぎりますね。多分この番組は円グラフの黄色い部分の人たちが対象だったんじゃ。


幽霊を見るのは脳と知覚器官の仕組みによるものか、低周波音や電磁波といった外部条件か、はたまた暗示を受けやすいという習性ゆえか?……おそらく、いつどこでとは限定できないけれど、そうした要因が偶然に重なった時に、人は幽霊を見るんじゃないかな。


( ̄ー ̄)v- つまり錯覚や自己暗示。これは米国の心霊写真家ウィリアム・マムラーが詐欺罪で訴えられた裁判に似てますな。検察はフェイク心霊写真の作り方は証明できたけど、マムラーがそれをやったって証明にはならなかった。状況証拠しかないと言うのは、この番組で明かされた「人はなぜ幽霊を見るか?」の説明と同じですな。


2~4枚目が解き明かすのは人の認知機能の不完全さ。見える=分かる(see)を同一の英単語で表すくらいに急ぐあまり、得体の知れないものに出くわしたら「ここは心霊スポットだから」みたいな暗示にかかるという事みたいです。


( ̄∀ ̄)v- 人はそうやってパパッと結論づけないと居られない。恐怖は人間の最も古い感情で、身を守るために素早く全身に行き渡るものだから、得体の知れないものは早く理解して安心したいんすね。人が人であるが故の仕組みだから、人間が絶えない限り幽霊も目撃され続けるんでしょうね。


海外でも怨霊、強い恨みを抱いて現れる幽霊はいますが、日本では仏教由来の因果応報の観念が強いのと、生きてる時にあまり激しい自己主張をしない事が理由かも。近世の庶民の三大怨霊は「累ヶ淵」の累、「四谷怪談」のお岩、「番町皿屋敷」のお菊だそうですが、どれも源になる伝承がある。男の怨霊では佐倉宗吾、小幡小平次が庶民階級の代表ですが、女幽霊ほどアグレッシブに活動していない。道理で動かない・成仏しにくいと思われた女幽霊の霊威は凄いんすね。


( ̄∀ ̄)v- 伝承がいちばん古いのは累ヶ淵。四谷怪談は未だに梨園の人々が「四谷さま」と畏まって呼び参詣を怠りませんが、明治の初めに落語化された「真景累ヶ淵」の方が、文明開化後の幽霊=神経の病って風潮に対応しています。昔は因果応報で説明づけられた世代をまたぐ怪異、新妻が死に追いやった前妻に見えて殺してしまう過ちなどは、精神の疲弊のせいとも言えますな。


( ̄∀ ̄)v- 世代をまたぐ怪異の不気味さは、明治時代に落語化された「真景累ヶ淵」が強烈。日本のサイコホラーの源流にあたるかも。


そういう意味では歌舞伎の脚本を書いた皿屋敷の桜田治助も、四谷怪談の四世鶴屋南北も慧眼だった。江戸時代の頃からそういう知見はあったんすね。特に南北には希代の早替わり役者の尾上松助や、お岩さんが提灯から出る等の斬新なセットを作った道具方棟梁の長谷川勘兵衛がいた。「得体の知れない怖いもの」を目に見えるようにした狂言作者や役者や職人さんのいい仕事が、今の幽霊のイメージに繋がってるんすな。


( ̄∀ ̄)v- 昔ながらの因果応報の観念は、おそらく今の「自己責任」に繋がっている。ある結果に意味合いを持たせる感覚は、言葉は近代的になっても変わらないやうな。迷信の払拭でもあった明治維新は幽霊業界にとっては受難でしたが、案外根強く残っている。それは幽霊談が、道理では収まらない人の感情を語るものでもあったからかも。



( ̄∀ ̄)v- 概論としての番組でしたな。でも、そこから枝分かれして広がる裾野は広大でございます。


おあとがよろしいようで。おまけにこちらもなかなか奥深い、いい河童の復元模型をお付けしました。