「人はなぜ幽霊を見るのか」には多方面からの考察がありますが、人の認知機能・脳の働きに入る前に黒千明のお美しさをどぞ。


( ̄∀ ̄)v- 番組では黒と白の装いの栗山千明さんが問題提起・解明パートに分かれて登場。黒千明はまんま高橋ツトム原作の「スカイハイ」の怨みの門の番人・イズコですな。

※「お逝きなさい」が決め台詞。殺人などで不慮の死を迎えた魂がたどり着く門におり、「このまま生まれ変わる」「憎い相手を1人だけ呪い殺せるが地獄に堕ちる」「ただ地上を彷徨う」を選ばせる門番。映画版では菅野美穂さんが演じた。


( ̄∀ ̄)v- 写真はその字の如く「真(まこと)を写す」と書く。人は風呂上がりに自分を鏡で見てまだイケると思いますが(私だけか)、写真に写った自分を見ると気分はダウナー。CMに「♪この写真は一生残る~」なんて歌が流れますが、頷けますよね。これが「真」かと。


鏡で見るのと写真で見る自分は違う。たぶん鏡で見る方は、見たくない部分を細かく見てないんでしょうね。目で見て脳で認識する際に、ありのままに見たくない部分に補正をかけてる気がする。目だけなら、カメラと同じように像を写しているだけのはず。それでも性懲りなしに、集合写真や免許更新の写真撮影時には顎を引いて小顔に見せようと足掻くわけですが。


( ̄∀ ̄)v- そういう意味では、写真は情け容赦なく「真」を写す。ただ、それが魂とか、人の本質まで写せるかと言えば分からない。本来は見えないモノってのが人間の共有概念だから、心霊写真はあり得ないモノだったり、本物だったら凄いと思われるんすな。


日本に写真技術が伝来したのは1848年で、最初は銀板写真(ダゲレオタイプ)だったそう。1枚目は薩摩藩第11代藩主の島津斉彬公で、銀板写真。その10年後の安政~幕末には湿板写真となり、明治時代から乾板写真になったそう。撮影にかかる時間は意外に短く、銀板写真で1~2分。湿板写真で1分を切ったそうです。


( ̄∀ ̄)v- 2枚目はさあ全力で突っ込めフルベッキ写真。フルベッキ群像写真とも呼ばれ、若き日の伊藤博文や岩倉具視だけでなく、後に明治天皇の替え玉となった若者が写っているとされた謎の写真。これはどの技術かなと思って検察したら、湿板写真との事でした。


初期の写真技術について、現代のカメラマンで「昔の技術にはかなわない」と書いておられる方がいました。今と比べれば撮るのに時間がかかるけど、自動補正機能がないのにブレがなく、写った像が半端なく鮮明なところが凄いんですって。プロは機器頼りではないから、撮り手の技や集中力に向けた賛辞でもあるかと。


4枚目は欧米で大切に保管されていた銀板写真。死後の写真(ポストモーテム・フォトグラフ)とは違うかもしれませんが、銀板写真はとても脆かったのでケースで保存しなければならなかったとか。ずっと以前に記事で鳩山郁子氏の漫画「ダゲレオタイピスト-銀板写真師-」のレビューを書いたことがありますが、そこではあれほどの技術を駆使しながら、「人の本質までは撮れない」と語る写真師の姿が描かれました。



人はなぜ亡き人の写真を必要とするのかとか、その写真も決してすべてを写す訳ではないとか、いろんな意味で味わい深い作品でした。