これはオカルトやスピリチュアルがお商売と完全に切り離せない事の説明にもなりますが、19世紀の米国でこんな裁判がありました。


( ̄ー ̄)v- 1枚目は1871年に撮影された心霊写真。1865年に亡くなった初代大統領エイブラハム・リンカーンの夫人を撮ったものですが、その背後に白いぼんやりとした人影が移っている。これがリンカーン大統領の幽霊で、撮影したウィリアム・マムラーは米国初の心霊写真家と呼ばれました。


欧米にはデスマスクをとる文化があり、写真が生まれてからは近親者を偲ぶよすがに臨終後の姿を写真に残す習慣ができていました。臨終後に撮る遺影のような意味合いですが、まだ写真は庶民には高価なものだったので、生前の写真というのはあまり無かったんすね。写真を撮るというのがそもそも一大イベントだった。


当時の米国では平均的な撮影料は2ドルで、故人の魂を撮れるというマムラーのカメラでの撮影料はその5倍の10ドル。これは当時の労働者のお給料の1/3から半分に相当したそうですが、依頼は3ヶ月待ちまで殺到したとか。ただ臨終後の近親者を撮るだけでなく、近親者を亡くした人が、自分のそばにいる故人と一緒に写して欲しかったんすね。


( ̄ー ̄)v- マムラーはある日から偶然に霊を撮れるようになったといい、数多の依頼をコンスタントにこなしていましたが、これに「まやかしだ」と声を上げる人が出た。米国で初めてサーカスなどの興行を手がけたフィニアス・バーナムという興行師が、1869年にマムラーを詐欺罪で訴えました。


霊媒や偽心霊写真に対しては、英国でも学者だけでなくプロの奇術師や興行師が表立って異論を唱えました。商売敵でもあろうし、タネがあるのを前提に、いかにしてタネがないように人々を驚かせるかに心血を注ぐプロには「俺らはこれで飯食ってんだよ」って矜持や、亡き人への情を逆手にとるやり方への反発があったんすな。それは邪道だ、みたいな。


( ̄∀ ̄)v- 数多のニセ霊媒が化けの皮を剥がされましたが、英国には未だにタネが分からないD.D.ヒュームという凄い人がいた。ニセ霊媒ならもはや達人の域で伝説になってます。


でも英国では訴訟沙汰まで追い込まず、ハンターも紳士の装いでシレッとした顔で同じトリックを再現してみせるようなユーモアがあった。米国ではそこまで遊び心がなく、後の訴訟大国の片鱗が窺えますな。


裁判は7日間続き、検察側は「あらかじめ“幽霊”を撮影した乾板を使えば簡単に心霊写真が撮れる」と検証してマムラーは詐欺師だと主張しましたが、判決は無罪でした。


( ̄ー ̄)v 技術的に難しい事じゃないとの証明は出来ましたが、それをマムラーがやったという証明にはならない。状況証拠しか無かったんすね。


さらに重要なのは、マムラーに亡き親族との2ショットなどを撮ってもらった人々がすべて彼を擁護したこと。「彼は故人を知らないのに、写真には確かに故人が写っている」と主張する人々が多く、これでは直接の被害者がいない。マムラーはそれ以後 心霊写真家として営業できなくなりましたが、とりあえず有罪にはなりませんでした。


( ̄ー ̄)v- 推測ならば、「マムラーはひそかに依頼人の身内の写真(乾板)を入手していたのでは」って見方もある。比較的裕福な依頼人には1枚や2枚の肖像写真があり、それを撮った同業者から乾板などを入手できたのではとか。同業者は口止め料をもらっていたとか、訴訟沙汰に巻き込まれたくないので黙っていたのかもしれない。


マムラーに撮ってもらうには3ヶ月待ちだったから、それだけの時間があれば「亡き親族の写真や乾板」は入手できたろう。必ずしもそれば無ければ撮れないということもない。依頼人は故人の面影を求める遺族だから、「間違いなく故人が写っている」には希望的な見方も入るだろう……


“写真が偽物なら、彼らの癒やしもウソになる”



陪審員や裁判官がマムラーを無罪にした理由は多分にこれで、これが心霊を商売やカルトと完全に切り離せない理由。そしてまた同時に、「人間は論理だけで生きていない」の証左でもありました。