幻灯機を使ったファンタスマゴリアはその原理が日本にも伝わって「写し絵」という見世物になりましたが、これは初期の光学機器が最初は娯楽のために生まれたという逆コースかも。(今は教材やプレゼンに使うスライドになっている)


(* ̄○ ̄) 便利なものね。それが可能であれば、どんな技術でも実現せずにいられない、人間の本能みたいなものよ。


電脳化された脳のみ自前で、あとは完全義体の草薙素子少佐(攻殻機動隊)がええこと言うてはる。非番で酔っ払っててもお呼びがかかれば一発で体内のアルコールを分解できるし、脳さえ無事なら体はいくらでも取り換え可能。未だSFですが、技術が行き着く所まで行き着く時代は近くなっているのかも。


( ̄∀ ̄)v-「人はなぜ幽霊を見るか?」のまだまだ前説に、多分に俺様用メモの「写真の歴史」のおさらいを。記事の写真は無機質な初期のカメラでは退屈なんで、19世紀から連綿と続くやる気まんまんの心霊写真家や霊媒vsゴーストハンターの対決ぶりを載せてみました。


写真の始まりは1826年、フランスのニエプスさんから。彼はヨーロッパで伝統的だった木版画や銅版画から着想を得て、感光材料に天然のアスファルトを使いました。現像は暑い日に屋外で8時間日光を当ててアスファルトを固め、固まらなかった部分を油で洗い流すと画像が残った。これが写真の始まりです。


次に1839年に、フランスのダゲールさんが、銀が化学変化で黒くなる事に着目。銀メッキを施した銅板にヨウ素を当てることで感光材料とし、現像は水銀蒸気を当てて行った。


( ̄∀ ̄)v- それが銀板写真(ダゲレオタイプ)。撮影に2~30分かかるのと現像に手間がかかり、写った像が左右反転しているとか、1枚限りの現像しか出来ず焼き増し不可でしたが、肖像写真がよく残っている。お好きな方にはノスタルジックな魅力があり、わざわざ当時のやり方で撮影する方もいます。


私たちの身近な「写真」はネガポジ法というので撮られていて、まずは撮影してネガを作り、それをもう一度 感光材料を塗った紙(印画紙)に写すことで写真を作る。まずは1841年に英国のタルボットさんがそれまでは紙だったネガをガラスに変え、1851年に同じく英国人のアーチャーさんが湿板に改良。これはガラス板にコロジオンという銀化合物を塗ったもので、乾く前に撮影しなければならないから「湿板」と呼ばれました。


( ̄∀ ̄)v- この時に感光時間が数秒から1~2分に縮まった。さらに1871年に英国人のマドックスさんが、液体のコロジオンの代わりにゼラチンをガラス板に塗って乾いてから使う「乾板」を開発。そして老舗イーストマン・コダック社がセルロイド製のロールフィルムを開発し、保存するには重い乾板に取って代わる。駆け足で振り返る「写真の歴史」はこんな感じだす。


( ̄∀ ̄)v- 載せた写真は1900年代のもので、感光材料が乾板からロールフィルムに移り変わる過渡期かと。既に18世紀のファンタスマゴリアに「仕掛けがある」と考えた人々がいましたが、写真の時代になると撮る方も疑う方もやる気まんまん。れっきとした学者先生からプロの奇術師・興行師がトリックを解明するのも珍しくなくなります。


( ̄∀ ̄;)v- 写真だけでなくライブの交霊会、降霊術という催しも流行したのですが、とりあえず4枚目の英国の奇術師ウィリアム・マリオットさんのノリノリぶりが凄いです。



日本でも明治43年(1910年)に東京帝国大学で、乾板を使った念写を含む公開実験を行った。けれども以後はそうしたテーマを学問として扱う事はなくなり、私の世代が子供の頃に恐れおののいた5枚目みたいなジャンルに集約されました。