戦乱や疫病で身近な脅威になった「死」は、平穏な時代には再び人の心から遠ざかる。けれども技術の進歩が下地になって、ヨーロッパでは死の寓話化だった「死の舞踏」が、よりダイナミックに進化しました。


( ̄∀ ̄)v- 体感する娯楽としての「死の舞踏」。1646年にドイツで発明された幻灯機がさらに改良を重ねられ、ベルギー生まれのロベールソンさんが開発したのが移動式幻灯(ファンタスコープ)。ロベールソンさんはこれを引っさげてパリに凱旋。廃墟になってた修道院の礼拝堂を劇場にして、ホラー映画の始まりとも言える「ファンタスマゴリア」を興行しました。


( ̄∀ ̄)v- Phantasmagorias(魔術幻燈)。ホラー映画好きにはグッとくる響きで、確か米国にこれを名にしたホラー専門誌があった気がすると思って検索したら、「年3回発行のスティーブン・キング専門誌」と出た。さすが帝王。


図書館で借りてきた「図説・世界霊界伝承事典」によると、シニカルな記述に安定感がみなぎるピーター・ヘイニング氏が「幽霊をつくる装置。18世紀終盤から19世紀の大半を通じ、ヨーロッパでもっとも人気のあった庶民の娯楽のひとつ」と書いてます。


( ̄∀ ̄)v- 原理は今のスライド(静止画像や文章をスクリーンに映し出す)と同じで、ガラス板に描いた幽霊の絵を映し出していた。でもってただ映すだけでなく、幻灯機に車輪をつけて動かして絵を動かし、幽霊が動いてるように見せたんすね。まだ映画のフィルムはおろか写真の技術もない時代、これは観客には衝撃的でした。


「ロベールソンの上映会に行くべし。そうすれば死人が山ほど生きかえるのを見られるだろう。彼は妖怪を呼びおこし、大勢の怪物に命令する」


興行を見て1798年にそう書いた評論家がいたそうで、特にパリではフランス革命後にギロチンにかけられたダントン、マラー、ロベスピエールといった歴史上の人物が闇に浮かび上がるさまを見ておののいたそう。扱われたのは骸骨や死霊、降霊術や血まみれの修道女などと幅広く、効果音や光の点滅といったギミックも使われたとか。


今でも逆にレトロで斬新な興行として受けるような気がしますが、始まった当初はマジもんだと喧伝していたらしく、フランスから英国、そしてヨーロッパ中に広まったファンタスマゴリアについては、ピーター・ヘイニング氏はこう総括しています。


( ̄○ ̄) この幽霊をつくる装置はなにせ説得力があったので、悪どい操り手はいったんコツを飲み込むと、これを用いてカモを相手に亡き関係者の霊を「呼び出して」やった。

( ̄○ ̄) たくさんのこうした連中が、死者を連れ戻せるとふれこんで、ヨーロッパ中に跋扈した。だが何ヵ国にもおいて、その道の大家が必死に努力をした結果、やっとトリックを使っていることが証明され、庶民もそう簡単に財布の紐をゆるめることはなくなった。


ここでああ、いわゆる霊感商法とか、亡き肉親への情を悪用する知恵も同時に生まれたんだなと分かる。オカルトの中で、とくに心霊やスピリチュアル系はお商売やプチカルトの問題に抵触しやすく、完全には切り離せない。そりゃあこんだけ歴史が古ければ……ですな。



幻灯機という光学機器から「像を映す」技術はさらにさらに発展し、ついに映した像を保存する「写真」が発明される。それは大きな発明でしたが、オカルトの分野では大槻先生vsたま出版の韮澤さんからバラエティ要素を抜いたような「心霊写真家や霊媒vsゴーストハンター」の歴史の始まりでもありました。