少し前に独文学者の中野京子氏が「怖い絵」シリーズで詳しく書かれてましたが、絵画が宗教画だけでなくなると、幽霊というか「死」をモチーフにした絵が増えてきます。


( ̄∀ ̄)v- それがハッキリしてきたのが中世ヨーロッパ。番組では下地にあるのは14世紀半ばから15世紀半ばまで断続的に続いた百年戦争や、黒死病(ペスト)の大流行があると説明されました。


百年戦争は直系が途絶えたフランスの王位継承権にイングランド王が名乗りをあげて始まった戦争で、ジャンヌ・ダルクがオルレアンを解放したのが有名ですが、百年に渡る戦争で膨大な死者が出て、政情不安に畳みかけるようにペストが広範囲で猛威をふるった。この大量死の時代に生まれた絵画様式が「死の舞踏」というものでした。


英語ではダンス・オブ・デス。フランス語ではダンス・マカブル。骸骨がヒャッハーしてる絵画で、「身分の区別なく、人はいずれ死に統合される」って死生観を表したもので、特にフランスのがやけに装飾に気合いを入れているカタコンベもその範疇に入るかも。


( ̄ー ̄)v- 墓地が足りなくなったから地下の採石場を活用したにせよ、飾りつけに気合いが入りすぎ。キリスト教の範疇を超えてますな。


似た格言にラテン語由来のメメント・モリ(死を想え)がありますが、そちらは本来は「いつか死ぬんだから生を堪能しろ」って前向きな意味らしい。絵画様式の「死の舞踏」は割と大仰に、どうせみんな死ぬんだー!と、骸骨が宴会してる様子なんかで死を寓話化する。それは大量死の恐怖への開き直りとか、寓話化してワンクッション置いて受け入れようとする試みなんすね。


死は時々身内にやってくるだけの縁遠い、まあそのうち来るだろうってものではなくなった。戦乱や疫病で明日は我が身になるかもしれない。「死の舞踏」は聖人が死者を救済する宗教的な視点からでなく、不特定多数の庶民の目線から生まれたんすね。


( ̄ー ̄)v- ヨーロッパにはあと16世紀から魔女狩りも来る。イングランドが捕らえたジャンヌ・ダルクが処刑されたのはもう少し前ですが、既に異端審問で悪魔と通じた者とされる下地ができていた。黒死病と同様に、生きている間から生きた死穢(魔女)を恐れる心性が根付いていたんすね。中世ヨーロッパでは、魔女は人の姿をした疫病だった。



日本ではよく「応仁の乱や東京大空襲で膨大な死者が出てるのに、その幽霊がなぜ出ない?」って意見がありますが、頷ける一方で、もはや個人として出られるレベルではないんじゃないかって気もしますな。あまりの大量死では個は死に統合されてしまい、個ではなくなる。ひょっとしたらそんな仮説も立てられるかも?……