滝めぐりの後は筋骨めぐり。何事かと思うでしょうが、筋骨とは飛騨地方の方言で、「人の筋骨のように入り組んだ裏路地」なんだとか。


( ̄∀ ̄)v-今はJR飛騨金山駅の近くに連なる民家や商屋をまとめてそう呼びます。以前、東海地方のローカル番組「ぐっさん家」のぐっさんが訪れるまで、私は知りませんでした。


実はこの筋骨のどこかに、遠い親戚のお宅がある。縁遠いのでどこにあるかも知りませんが、時間があったので国道沿いのドライブインに車を停めて、テクテク歩いて回ってみました。


-v( ̄○ ̄*) 飛騨高山ほど観光地っぽくないけど、迷路みたいな路地に和菓子屋さんとか豆腐屋さんとかあって面白いなあ。


飛騨金山(下呂市金山町)は飛騨と美濃の境目にあって、かつての天領(高山)・苗木藩(中津川)・郡上藩・尾張藩の4つの藩境に位置します。少し前までは益田郡金山町でしたが、いつの間にか下呂市になってました。


( ̄∀ ̄;)v- お腹が空いてたから以前テレビで見た黒豆大福かコロッケを食べたかったんですが、お店はお休み。ふらりと来るとこんなもんです。


しかしドライブインで貰った観光地図を見ながら徘徊してると、両面スクナ由来の「鎮守山」なる場所にたどり着き、よーし、110mだし登ってみるか!


( ̄∀ ̄)v- 両面スクナとは5世紀初め頃、仁徳天皇の時代に飛騨にいたと言われる怪人(鬼神)で、2つの顔に2対の手足があり、悪行三昧だったので大和朝廷に討伐されたとされるもの。古事記には載ってないけれど、日本書紀にはちょこっと載ってます。


いわゆる正史では悪鬼ですが、地元では英雄。大和朝廷から「いわしに行くぞ」と伝えられた時に「飛騨くんだりまで来て貰っちゃ悪いから美濃まで行くわ」と答えたそうですが、それはおそらく飛騨~美濃にかけて勢力のあった豪族だったから。飛騨が大和朝廷に帰服するまでの経緯だったんすね。


( ̄∀ ̄)v- その証拠と言うべきか、両面スクナはまずはこの地の鎮守山で陀羅尼を唱えて国家安全・五穀豊穣を祈った後、美濃の下之保(関市)の高沢山に飛んでった。悪鬼羅刹ならそげな祈願はしませんわな。


そこで両面スクナは朝廷から派遣された建振熊命に敗北する。「朝廷から見れば僻地の山賊」というご当地妖怪は全国におり、両面スクナの名は飛騨名産の「スクナ南瓜」にも生きておりまする。


( ̄∀ ̄;)v- ちょっとゼエハア。鎮守山の上には観音堂と、両面スクナの像がありました。


円空も木像を彫ってますが、両面スクナと言われるともっとワイルドなイメージなんですね。穏やかな顔と憤怒の顔が前後についていて。


-v( ̄○ ̄;)……確かに二面四肢。でも、漂う雰囲気は飛騨のさるぼぼ……


さるぼぼも最近は目鼻口がついてたりキティちゃんが被ってたりしますが、のっぺらぼうの布人形。安産のお守りで、飛騨方言でさる(猿)ぼぼ(赤ちゃん)。県民にはメジャーです。のっぺらぼうだからさるぼぼなんだよ、怖いとか言われて顔描いてんじゃないわよプンスカ。閑話休題。


( ̄∀ ̄)v- 飛騨民にとっては両面スクナはお祀りする対象。中央政府から見れば「僻地の妖怪」でも、表裏一体でそれがついてくるのがいいですね。顔が無いのも味がありました。



4枚目は両面スクナが見下ろす筋骨の町並み。さなかでは個人宅の表札などが写り込むので、高い所から撮りました。


( ̄∀ ̄)v- 帰りにJAのスーパーで汐ブリ発見。飛騨街道はブリ街道とも言い、富山県から塩漬けのブリが運ばれる道でした。美味しそうだけど、やっぱり高いわあ。