さて、お仕事の訪問先変更の混乱も一段落して、やっと一息つけると思ったら朝から雨………


( ̄∀ ̄)v- なので午前中はガシガシ泳いで、午後にご近所流れ旅。御嵩町の伏見という地区から流れてきました。


御嵩町には実は中山道の宿場が2つあり、私がよく行く御嵩宿の手前に伏見宿というところがあります。ただ中山道が整備された90年後に作られた宿場で、大昔に火事で本陣や脇本陣が焼失してしまい、御嵩宿ほど宿場町の佇まいが残っていません。


( ̄∀ ̄)v- もともと1694年(元禄7年)に川の流れが変わったせいで、それまであった土田宿(現在の可児市)がなくなり太田宿(現・美濃加茂市)ができた。その際に、それまでは仮の宿場だった伏見宿が本宿に昇格したそう。江戸時代にはたいそう賑わい、幕府に献上されるラクダが滞留した事があるのだとか。


宿場町らしき建物はあるにはあるんですが、隣の御嵩宿に行くまでにすぐに通り過ぎてしまう。伏見地区には規模の大きい古墳もあるんですが、私は今ひとつ土地勘がない。


-v( ̄○ ̄;) すみません、ここに行きたいんですけど……

(* ゜▽ ゜) ハイどちらへ?


車にナビなんかついてないし、詳しい地図がないから役場で聞く。何となく見当をつけてた場所は大ハズレで、尋ねれば5分で着いたのがハイこちら、河北山洞興寺(臨済宗妙心寺派)でございます。


別名子安観音。お寺の敷地内に安産子育て守護の子安観音が祀られてるんですが、ご本尊は秘仏で非公開?のやう。弘法大師像もあり、可児新四国八十八ヶ所のトリ。新四国(本家のミニチュア)って全国にどんだけあるんだろう。


お寺の創建もはっきりした年代は分かっておらず、一説にはご当地戦国武将の斎藤正義(斎藤道三の養子)の正室が出家して草庵を結んだのが始まりだとか。斎藤正義は公卿の近衛家から道三に貰われ近くの烏蜂城(兼山城)の主になった人ですが、33歳という若さで配下の久々利城主・土岐頼興により暗殺される。


( ̄ー ̄)v- 斎藤道三と対立する事が目立ってきた為、道三が始末させた説アリ。美濃は織田信長(ノブ)に盗られる前からこんなんばっかや。


そーんなこーんな物騒なローカル史実も、今やこの小学校近くの静かなお寺を見るだけでは分からない。どこの田舎の神社仏閣も、ちょっと調べてみると興味深いんでしょうね。


山門からでなく脇からお寺の敷地に入りましたが、ああここ寺格は決して低くない。ええ鐘楼や庭園がありました。


-v( ̄○ ̄;) この観音様はご本尊の代わりよね。


岐阜県にも秘仏はいくつかあり、御嵩宿の願興寺(天台宗)の薬師如来像もそう。あちらは12年に1度の公開ですが、こちらは公開無しかな? 今ちょっと調べきれませんでした。



本堂から少し離れた場所に観音堂があり、お寺とはまた別に古くから在って、伊勢湾台風やら何やらで現在に至るとの由来書きがありました。