「耐えられないと思ったら言えよ」


郷土館の駐車場で車に乗り込み、すぐにエンジンをかけずに義兄が言った。「無理にここで暮らす必要はない。家を売って町を出ればいい」


智史は反射的に「なんで?」と言い、義兄が戸惑った表情で「嫌だろ、普通」と呟いた。そういう意味かと遅まきながら理解して、智史はちょっと笑った。


「そう言われても、俺は生まれてこのかた“普通”ってよく分からないし」

「俺から見ればこの上なく普通だぞ」


義兄は不快な事を言われたように顔をしかめ、窓を開けて煙草に火をつけた。


「彩みたいな癇癪持ちと所帯を持って、俺から見たらそこまで尽くさなくてもいい位やってくれてる。俺だったら“これ以上余分なものは背負えない”と愛想を尽かす所だ」


癇癪持ちは義兄もだと思ったが口には出さず、智史は煙草を貰って自分も火をつけた。


「きっと俺には、それが楽だったんだよ。そういうものだと思ってあまり深く考えずにいただけさ」

「なら考えろ」


運転席の窓から煙を吐き出し、義兄は少し苛立った声を出した。「ここが子供を育てるに値する場所か、この先やっていける場所か、考える事は山ほどある筈だ」


煙草を吸いながら少し考えてみたが、根の部分は変わりようがない。「その為に全部知ろうと思ったんだから」と智史は言った。


「たとえば俺達がよそに逃げても、もうそんな問題じゃないと思う。確かにとんでもない事だけど、知らずに部外者でいるよりずっといい」

「俺一人で済むことだ」


こちらを見ずに義兄が言った。


「いつどうやってか知らないが、あそこで死んで終わらせる。死骸があったって事は、何をどうしようがそうなるって事さ」

「冗談じゃないね」


思わず強い声が出て、義兄が驚いたように振り返った。