寒山拾得碑の脇から石段が伸びており、そこを上るとお寺があります。


( ̄∀ ̄)v- 瑠璃山光徳寺。臨済宗妙心寺派の古いお寺で、伝承では開基は明応9年(1500年)。妻籠宿の町並みを見下ろす高台にあり、ご本尊は薬師如来です。


本堂に入ると、いきなり「白隠禅師250年遠諱」というポスターがお出迎え。遠諱は「おんき」と読むそうで、仏教のある宗派の開祖や中興の祖の五十年忌以降、かつ五十年ごとに行われる法会なんですって。


( ̄∀ ̄;)v- 臨済宗のHPを見たら「平成28年に宗祖・臨済義玄禅師1150年、平成29年には中興の祖・白隠慧鶴禅師250年遠諱を臨黄全宗派あげて執り行います」と熱く書かれてた。臨黄とは臨済宗と黄ばく宗(変換できない)のことで、後者は臨済宗から独立した一派。でも宗祖や中興の祖を同じくするんすね。


白隠禅師(白隠慧鶴)は江戸時代の臨済僧で、徳川綱吉の時代に生まれた人。禅の修行をやってやってやりまくって到達したのが、ちょっと長いけど↓の「白隠禅師座禅和讃」です。


“衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
譬(たと)えば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず

六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそえて いつか生死(しょうじ)を離るべき
夫(そ)れ摩呵エンの禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
其の品多き諸善行 皆この中(うち)に帰するなり

一座の功をなす人も 積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いずくに有りぬべき 浄土即ち遠からず
辱(かたじけ)なくも此の法(のり)を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得ること限りなし

いわんや自ら回向して 直(じき)に自性を証すれば
自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり

因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声

三昧無碍の空ひろく 四智円明の月さえん
此の時何をか求むべき 寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり”


(; ̄∀ ̄)v- うちは臨済宗の檀家一年生なもんで、コレが記された経本があるんすよ。父が亡くなった後 毎日必死でお仏壇の前で唱えましたが、十三回忌を前にして頭から抜け落ちまして、俺様用メモで書きました。


ポスターで見て-v( ̄□ ̄;)うわかっけぇ! 出だしの「衆生本来仏なり」がなんてキャッチー!……と痺れました。


宗派共通でもっともメジャーな般若心経だと、そら解釈は難しいけど「色即是空 空即是色」なんすよね。あと「無無明亦無無明尽」。ある=ない&ない=ある。んで「救いは無い=救いが尽きる事はない」。どっちやねん!!とツッコミたくなりますが、それを超えると賢者モードに入って、もう揺らがない。


個人的には般若心経はちょっと突き放される感がアリ。私には「めんどくさい老師に禅問答を仕掛けられ、取り残された」ような感覚があるんすね。単に自分が悟ってないからですが。


( ̄ー ̄)v- 白隠禅師の座禅和讃は優しいっすね。最初に「衆生本来仏なり」って結論から入って、パンピーにも分かりやすく説いてる感じ。また、そのために編み出した文言というのがよく分かる。どの宗派にも「その時代に即した語り方」ができる僧侶がいて、こうして名を残すんですね。


閑話休題


本堂にはわたくし大好物のおみくじがあり、珍しいことに箱から箸で取るシステム。一気に5本くらい取ってしまい、やや焦ってチョイスした卦は吉でした。


( ̄∀ ̄)v- 天井からは「日本最初の人力車」が吊されてました。人力車というか、時代劇に出てくる駕籠に車輪を取り付けたもの。幕末~明治初期に、このお寺のご住職が考案されたんですって。



ゆっくり散策した後は、駐車場から降りられる川原で足を冷やしました。これはなかなか良い透明度。宿場町の水路から流れ込む水はとてもきれいで冷たかったです。