草木染めの「色吉」さんで、カップに入ったじゅずの実が何となく気になってお買い上げ。


(* ̄∀ ̄) ちょっと量が少ないから90円でいいですわ。

( ̄○ ̄;) ありがとうございます。


帰宅して母に見せたら「裏のあぜ道に腐るほどある」と言われましたが、この店先での一期一会がいいんだよお母ん。お手玉の中に入れるもよし、糸を通してストラップにするもよし。まだ作ってません。


その隣には下嵯峨屋という屋号のお宅が家を休憩所として提供されており、レトロな囲炉裏のある軒下でひと休み。屋内から見えるのは地蔵堂で、この上にあるお寺のご住職が文化10年(1813年)に、川で地蔵尊が浮かび上がっている岩を見つけてここに祀ったのだそう。


地蔵堂の隣には「寒山拾得」という文字が掲げられた石碑があり、中国か台湾から来たカポーがしばらくまじまじ見ていた。場所が空いてから近くでよく見ると、これはあれかな。信州ではメジャーな道祖神(男女一対)?………


( ̄ー ̄)v- 検索してみたら男同士だった。中国の唐の時代に拾得と寒山という禅僧かつ詩人がいて、森鴎外が小説に書いたり、日本画(禅画)の題材になっている。なんでも拾得が天台山で食事係をしてて、仲良しで山ごもりしてる寒山にご飯を分けてあげていたらしい。


双方ともに奇行が多く、実在の人物だったかはちょっと曖昧。掛け軸だとどっちもロケンロールな身なりで、寒山は巻物、拾得はホウキを持っており、前者は文殊菩薩で後者は普賢菩薩なんだとも。スッゴい下卑た笑顔で描かれたりしますが、これは形の無い権威に囚われないとか、アナーキーで自由な事を表してるんですって。


( ̄ー ̄)v- ちょっと判別しづらいですが、この浮き彫りは片方が巻物、片方がホウキを持っている。石碑という形で寒山拾得を表したものは他に無いそうです。誰が彫ったんでしょうねえ。



森鴎外の小説は、唐のお役人が高僧のほまれ高いと聞く寒山・拾得に会いに行き、へり下って挨拶したら嗤われたという寓話っぽいお話。「ナニこいつ、噂だけで俺らにうやうやしく頭下げてるよ」と嗤われたお役人は、陸軍軍医総監まで務めた森鴎外じしんを投影したものって批評もありますです。


( ̄ー ̄)v- 島崎藤村は馬籠宿の本陣の生まれで、そのお母さんは妻籠宿の本陣からお嫁入りした人。日本の文学者とのご縁がありますなぁ。