正確にはいつの間にか大谷山から八坂山に移動して、八十八ヶ所巡拝道から御嶽社参道に入ってました。


( ̄∀ ̄;)v- まあいいかー。


木曽御嶽からはけっこう離れてるんですが、遠く望めるからか私んち近辺にも「行者様」と呼ばれる石像がチラホラ残っています。


木曽御嶽は覚明と普寛という2人の行者に開山され、江戸時代後期に木曽御嶽信仰が始まります。それ以前まではすべての修験道の主祭神の蔵王権現信仰の場でしたが、習合して御嶽大神こと御嶽蔵王大権現となる。


( ̄∀ ̄)v- それまでの神を排除せず、習合という形で残してきたんすね。


明治の神仏分離令で木曽御嶽信仰は神道に分類されましたが、神であり仏である「権現」は各地にそのまま在る。いいものですなぁ。


-v( ̄○ ̄*) おお、ストーンヘンジと見紛う石碑群。このカオスさ、ぱっと見のうさん臭さがたまらない……


「お寺はお寺、神社は神社」で育った目から見ると、かつての神仏習合の山岳信仰はなんかこうキッチュでカオス。ここが八坂山の御嶽神社です。


(; ̄○ ̄)v- ご当地民しか分からない行者様の石碑や戦時中の軍人さんの顕彰碑、あと成田山や白山、いろんな山の神様の名が刻まれた石碑が盛り盛りだわ。


一言で言えば胡散臭い。でもこれはそれぞれ尊ばれ、だんだん増えていった信仰の対象なんすよね。


天気は良かったけど、霞んでいて木曽御嶽山は見えませんでした。お詣りして登山者の寄せ書きノートを見ると、けっこう遠方からも登山者がたくさん来てました。


“ちょうじょうでたべるおべんとうはおいしい!”


-v( ̄∀ ̄*) 小さなお子さんの言葉が可愛い。


“今日もトレーニングで来ました。ヘッドランプで登るのも大切です。”


-v( ̄□ ̄;) 夜に!?


いろんな登山者がいるもので(他人のことは言えない)、ローカル低山ながら奥深さを感じました。ラストは八坂山登山口の毘沙門堂。閉まってる扉に目を近づけた後、背中を向けたらダウンジャケットの裾が賽銭箱をかすって音を立て、「うわあ!!」と叫んだのは内緒です。


-v( ̄○ ̄;) 無人のお堂の扉が開いたと勘違いしました。



帰りはイチョウがきれいに色づいた神明神社で写真をパチリ。車に戻ってから鼻をヒクヒクさせ、「しまったギンナンを踏んだ!」と思ったのも内緒です。