この辺りから一部道が分かりにくくなり、立ち止まって先を見渡す事が多くなる。丸木や岩で作られた登山道が細かい瓦礫や枯れ草に隠れていたり、道に見えるけど単なる斜面だったりしてちょっと緊張。


ヾ( ̄○ ̄;)ヾ 下りてくる人も、登ってくる人もいないなぁ。


子供の頃に祖父について、松茸採りに入った山に似ている。ただアカマツの木はなく、堆積した落ち葉や枯れ草の間にキノコは不在……


ヾ( ̄ー ̄;)ヾ 割とダイレクトにアレな山で、猪撃ちのハンターが撒いていった散弾の薬莢とか、血抜きした後の真っ赤な池とかありました。

※ダイレクトなのは現在進行形。訪問先の利用者さんが「猪の罠に鹿がかかったから食べた」とか、まだ毛がついてる猪のモモ肉をスライスしたりします。


(ノ△T)v- 「いや包丁が切れないから出来ません」とおののいたら、「ああワシ旋盤工やったから大丈夫!」とチュイイイン!と速攻で研がれた。逃げ場ねーわよ。


そんなこんなが走馬灯のように脳裏をめぐる。大丈夫か自分、有酸素運動しに来てるけど、脳に酸素まわってなくないか?……


ヾ( ̄○ ̄;)ヾ あ。


慎重にルートを探してたどりながら登っていると、大きな岩が見えてきた。これは八合目あたりにある「岩屋」です。


-v( ̄○ ̄;) ちょっと休憩。スポーツドリンクをごきゅごきゅ飲んで、イイ趣の巨石を観察。


ここは昔の修験者の拠点で、今はよそに移されたけど不動明王が祀られていたのだそう。ちょっと奥まった岩屋の中には、さもありなんって雰囲気の石詰みが並んでました。


-v( ̄○ ̄;) ……巨石じたいはもっと昔からあって、夏至や冬至に特定の角度に日が射すことを示す線刻が刻まれてる?………


縄文時代の太陽暦の名残りとしては、下呂市金山町に金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡)がある。縄文遺跡は近くの郡上市にもありますが、ここもそうだった?


-v( ̄○ ̄;) 説明看板で明言はされてないけど、自然にできた石組みには見えないわ。でもどこから運んだのこんな岩………


ええと線刻、線刻はどれ?………ああこれか。確かに人が刻んだようにも見えるけど……


縄文時代くらいに作られた太陽観測の場が、さらに時代が下って修験場の拠点になってたんだろか。今は山歩き愛好家が行き帰するけど、高賀神社の神事で氏子さん達も登るそう。何か感慨深いすね。


岩屋の前には修験場時代の石碑があって、よく読めないけど「煩悩」の二文字が読み取れました。


(; ゜д ゜)/六根清浄ーーーーーー!!


御嶽修験に限らず、白装束や山伏姿でシャウトしながら登高する信仰登山の人々が脳裏に浮かぶ。六根とは人間の器官のことで、眼・耳・鼻・舌・身・意を表す。それらは本来は無にして清浄だけど、煩悩によって穢されているんですって。



だから信仰登山は、それを再び元の清浄な状態に戻すのが目的。木曽御嶽で出くわすとビビりますが、趣味としての、スポーツとしての登山の動機にも通じるところはありますね。