(* ̄○ ̄) ……1953年にサー・エドマンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイがマウント・エヴェレストに首尾よく登頂した時、私は複雑な気持ちを抱きました。


本書の冒頭にはマロリーの長女のクレア・ミリカン(フランセス・クレア・リー・マロリー)の言葉が寄せられており、彼女はこう語ります。


(* ̄○ ̄) その成功はとても嬉しいことでした。その反面、これで私の父、ジョージ・マロリーは人々に忘れられてしまうのだろうかとも思いました。


(* ̄○ ̄) 父が山頂を目指す4日前、ノートン隊長とハワード・サマーヴィルがエヴェレスト北壁の8530mまで登るという歴史的な偉業を成し遂げました。しかし、登山史をよほど熱心に研究する人以外、誰がノートンやサマーヴィルのことを、あるいは切り立った氷雪世界の見事な写真を持ち帰ったノエル大尉のことを覚えているでしょうか? 後年のシプトンやスマイス、ロングランドの試みを誰が覚えているでしょうか?


(* ̄○ ̄) ……この春に父の遺体が発見されたことは本書に詳しく記されていますが、知らせを受けた当初は、父の安息の場を荒らされたようで、不快な思いに近いものを感じました。父の魂は肉体から遠く離れながらもどこかそのあたりにある、という気がしていたからです。


(* ̄○ ̄) それでも、父を発見したクライマー達と実際に話しているうちに、徐々に気持ちは変わっていきました。皆さんは父を敬って下さっている、父が今もあの山と共に安らかにあると感じ取って下さっていると分かってくるにつれて、だんだん昔の気持ちが甦ってきました。


(* ̄○ ̄) 父は早めに引き返していたら、あの冷たく寒い岩棚で骨折して横たわっていることもなかったかもしれないし、私が成人するまで、すばらしい父親でいてくれたのではないか、と。


彼女はサイモンスン隊長から遺品のゴーグルを差し出され、「私が8歳の時に父が見せてくれたものだと思う」と感じます。


(* ̄○ ̄) 父から、母の写真を山頂に置いてくると聞いた覚えがあります。それが無いということは、死ぬ前に父は世界の最高点に達して、実は喜びを味わっていたということなのでしょうか? 謎はそのまま残りました。-----多分その方が、興味は尽きないでしょう。


マロリーの息子も孫も登山家になり、孫のジョージ・マロリー二世は1995年に米国隊のメンバーとしてエヴェレストに登頂。頂上に祖母のルースと祖父マロリーの写真を置き、「これでやりかけだった一族の事業が果たせた」と語りました。


( ̄∀ ̄)v- 天性の「華のあるクライマー」の遺伝子は健在なんですね。


この調査遠征記録の締めに当たって、著者(文章は作家に依頼した)のヘムレブさんはある言葉をひもといてます。


「あえて神話をもてあそぶ者は、理性の手の届かぬ領域で動き回ることになる」


これはエヴェレスト史家でサード・ステップの命名者のオードリー・ソーケルドが自身の著書に書いた言葉ですが、実際にマロリーの遺体を見つけ、現時点では限りなく「謎」の解明に近づいたヘムレブさんは「ジョージ・マロリーは神話ではなかった」と胸を張ります。


( ̄○ ̄) 彼は神話ではなかったし、理性の手の届かぬ存在でもなかった。

( ̄○ ̄) ジョージ・リー・マロリーは華やかで優雅なクライマーでありながら、家庭生活と立身とエヴェレスト熱に身を裂かれる1人の男だった。

( ̄○ ̄) アンドリュー・カミン・アーヴィンの歴史は痛ましいほど短かったが、頑健で聡明で真面目で、生まれついてのエンジニアだった。


2人の最後はもはや不可侵の神話ではなく、未だに推測でしか語れない部分は多いのですが、登頂される前のエヴェレストほど曖昧模糊としたものではなくなりました。


( ̄○ ̄) もちろん、この新たな証拠と分析結果を子細に検討した人の中には、自分なりの物語に固執する人もいるだろう。


ここがちょっと面白い。


( ̄○ ̄) 実は、そういう人はマロリーとアーヴィンについて明かしていると言うよりも、個人としての自分を明かしている事に気づいていない。

( ̄○ ̄) それはマロリーとアーヴィンの物語が「よく出来たミステリー」だからという事ではなく、それが私たち1人1人に、何かを問うている------それも、1人1人に別々のことを問うているからだ。

( ̄○ ̄) そのような個人的な「物語」はどれも、事実の中に個人の哲学を紛れ込ませたものとなる------成功と失敗、自由意志と運命、死すべき存在と永遠の存在、そういったものに関する哲学を紛れ込ませたものになる。


-v( ̄ー ̄) ……人は自分の見たいものを見る。どれだけ多くの証拠を集めて突き合わせても、完全に「自己」を除外することは不可能に近い。「真実を追求する」は、実は己と対峙して、己を排除する苦行なんですね。


( ̄○ ̄) 結局、「2人は登頂したか?」という質問への回答としては、もう1つ質問を重ねる他はないだろう。

( ̄○ ̄)「それは貴いことか?」と。


「エヴェレスト初登頂の謎」を書いたトム・ホルツェルは、それに対する答えとして「Because it's there.」への思いでこう締めました。


( ̄○ ̄) もし彼自身がそれを口にしなかったとしても、この言い回しは、彼という人間と、エヴェレストを征服せんとする彼の情熱を完璧に要約している。「それがそこにあるから」はマロリーの墓碑銘として永遠に残るだろう。


ヘムレブさんはこう。


( ̄○ ̄) 何より貴いことは、2人が、その時代に与えられた諸条件の中で、あれだけの登攀を成し遂げたこと。登頂したかどうかより、そのことこそが、マロリーとアーヴィンの物語を貴いものにしている。


最近は夢枕獏の「神々の山嶺」が映画化されたり、ジェフリー・アーチャーが書いたマロリーとアーヴィンの物語も映画化されるよう。ぶっちゃけた話、さきの天下のユニバーサルの「エヴェレスト」は興行的にふるわなかったと思いますが、個人的には商業登山やネット配信以前の「止むに止まれぬ衝動」のリバイバルを期待中。


( ̄∀ ̄)v- それが根源的なモノであろうから。映画館まで行った「エヴェレスト」の前説のつもりで長々と書きましたが、長ったらしくて本当にすみません。図書館から「本返せ」とハガキが来ました………


出来るだけ正確な情報を書こうとしましたが、細かい間違いはご愛敬で(涙) ただ書くためにいろいろ調べていたら初めて知ったことも多く、3枚目のやけにイイ顔してる「ヨークシャーの狂人」ことモーリス・ウィルソン(1934年にノース・コルの基部で遭難死)の遺体は、1935年にエリック・シプトンの遠征隊に発見され、クレバスに埋葬されていたそうです。


( ̄∀ ̄)HAHAHA。女装してたし、女装子ちゃん日記があったぜ?


口の悪さに定評のあるエリック・シプトンがホラ吹いたと思っていましたが、未訳の伝記(これがまた「I'll climb Mt.Everest Alone」という非常にいいタイトル)の英文の紹介をサラッと読んだら事実だったよう。やだ読みたい。


( ̄ー ̄)v- 遺体と共に見つかった日記の内容が相当にスピリチュアルとか「いあ!いあ!」方面だったそう。極限状態で「いない筈の連れ」を作り出すサードマン現象というものの説明に引用されてもおり、また別の意味で興味深いです。


実はヘムレブさんは、調査遠征の時にモーリス・ウィルソンの遺品も見つけていた。(詳しく書いたれや可哀想に……)


マロリーほど優等生ではなかったエリック・シプトンは、オデールと遠征に出た時にも「あいつ岩をサンドイッチと間違えて食ってた」と毒舌全開。古老から嫌われて1953年のエヴェレスト初登頂には関われませんでしたが、その助けになるルート偵察の功績は高く、ずいぶん後に英国山岳会の偉いさんになりました。


ノエル・ユワト・オデールは1933年からのマロリー/アーヴィン捜索遠征隊には志願しても加われず、1953年のヒラリー/テンジン隊に参加要請が来た。でも年齢を理由に断ったそうです。


本書の翻訳者のひとりの海津正彦氏は、1972年にロンドンに滞在中に、当時81か82歳のオデールに会ったことがあるのだそう。


( ̄○ ̄) ……こちらは26歳になったばかりの若造で、相手は老大家。ろくな英語も喋れなかったし、山岳会の集まりで少しだけ連れ立って歩いた。


海津氏は「あの細長くて柔和な横顔をちらりちらりと窺うだけで、話しかけることもできなかった」とあとがきに書いています。オデールは1987年に亡くなりましたが、相変わらず穏やかな人だったよう。


どうしても華々しく目立つのはマロリーとアーヴィンなのですが、もし本書が映画化されたなら、2人が消息を絶った時、1人で第6キャンプから上の「死の領域」に踏み込んだオデールが「このままどこまでも登っていきたい気がする」と感じた場面を観たいですね。


( ̄ー ̄)v- 雪と岩と氷しかない荒涼とした斜面。吹きつける雪の中で、ふと放心して立ち尽くす姿。頂上アタッカーに選ばれず、それに不平も漏らさなかった無私の人が、「頂上に呼ばれている」と感じた瞬間……


( ̄ー ̄)v- Because it's there.



あざっした!!