「わたしの旧友ジョージ・マロリーの、エヴェレスト登山に関するしばしば引用される発言「それがそこにあるから」は、いつもわたしの背筋に冷たいものを走らせた。それは少しもジョージ・マロリーらしい匂いがしないのだ」

-------ハワード・サマーヴィルの、1964年のアルパイン・クラブへの告別の辞


マロリーの言葉だとされる「そこにそれ(山)があるから」は、1922年の第二次遠征の翌年に米国で講演活動中に、ニューヨーク・タイムズ紙の記者の質問にそう答えたのが元だと言われます。


q( ̄○ ̄) あなたは何故エヴェレストに登ろうとしたんですか?(Why did you climb Mt.Everest?)

( ̄○ ̄) それがそこにあるからだ。(Because it's there.)


これについてはトム・ホルツェルの著書「エヴェレスト初登頂の謎」に詳しく書かれており、原典は1923年3月18日のニューヨーク・タイムズに掲載されたものだそう。


マロリーはその記事が出た時にはニューヨークにいなかった。講演旅行の移動中に記者が独占インタビューした際のコメントのようですが、この言葉は、遠征仲間のサマーヴィルをはじめ、マロリーをよく知っていた友人や知人にとっては違和感があったみたいです。


( ̄○ ̄) 文字通りに見てもマロリーは「そこに山があるから」という、すべての登山における動機を語った訳ではない。彼は「何故エヴェレストに登るのか?」という問いかけに対して「Because it's there.」と答えただけだ。

( ̄○ ̄)「it's」はエヴェレストのことだ。


だからトム・ホルツェルはマロリーのその言葉を「そこにそれ(エヴェレスト)があるからだ」と書いてますが、一般的には登山そのものを指す「そこに山があるからだ」で広く認知されてます。


( ̄ー ̄)v- 記者がウザくて、沢尻エリカ様の「別に」みたいなニュアンスでそう答えたのか?


サマーヴィルら知己が「それを聞く度に背筋に冷たいものが走った」のは、普段のマロリーからは想像できない言い回しだったからだろう。彼は基本的に他人に無造作な言葉を遣う人ではなく、実際には記者にダーーーーーーーッと「エヴェレストに登る理由」を答えており、記者が適当にまとめた「Because it's there.」が後世に残り、なおかつ「登山そのものの動機・本質」として膾炙したんですね。


ダーーーーーーーッと答えた内容はこんな感じ。↓


( ̄○ ̄) ……地理学者は山頂の石を求める。それはそこがある褶曲(地層が波打つ地形)のてっぺんであるか底であるかを決定するでしょう。


( ̄○ ̄) しかしこうした事は副産物なのです。シャクルトン(南極横断しようとした探検家)は科学的観測をするために南極へ行ったと思いますか? 彼は自分が行った観測を、次回の遠征の資金集めの一助としました。時として、科学は探検のダシなのです。


( ̄○ ̄) クライミングに何か「効用」があるか、世界最高峰の登攀を試みることに何か「効用」があるかと誰かに訊かれたら、私としては「皆無」と答えざるを得ないだろう。


( ̄○ ̄) 科学目的に対する寄与など、まるで無い。ただ単に、達成衝動を満足させたいだけであり、この先に何があるかこの目で確かめたいという抑えきれない欲望が、人の心の中には脈打っている。地球の両極が征服された今、ヒマラヤのその強力な峰は、探検者に残された最大の征服目標である。


ヨッヘン・ヘムレブはこの言葉を以て、マロリーやアーヴィンをはじめとするエヴェレストの初期の挑戦者たちを他の人々と区別するものは、この「抑えきれない欲望」だと書いています。


( ̄ー ̄)v- その時には、エヴェレストはまだ未踏峰だった。


公式には1953年に未踏峰ではなくなりましたが、それ以後も「北東稜からの初登頂」「西稜から」「南西壁から」が延々と続く。ほぼ全方位から登られ尽くしても、二登、三登どころじゃなく登られ続けている。


( ̄ー ̄)v- 何が人をそこまでさせるのか。世界最高峰だから、いちばん高い山だから?……


つまるところマロリーとアーヴィンは頂上アタックに失敗し、もし登頂していたとしても生還できなかった。「たとえ彼らが登頂したとしても、初登頂者は生きて帰ってきたエドマンド・ヒラリー卿とテンジン・ノルゲイだ」という意見は登山家の間でも根強い。帰ってこそ冒険、帰ってこそ登頂…………


( ̄ー ̄)v- ならば何故、マロリーとアーヴィンの謎に心血を注ぐ人々が大勢いるのか。頂上近くで消息を絶ったという謎、その悲劇性ゆえに?…………


ヘムレブさんは言う。


ヾ( ̄○ ̄;) 2人が登頂できたはずがないと決めつける人々は、「あんなみすぼらしい連中に登れたはずがない」と言う。しかし1920年代の英国のクライマーの登高速度は、今のクライマーよりずっと速かった。酸素器具にも頼らずにだ。


未踏峰だったのと、そこに登るセオリーがまだ確立されていない時代だったのは無視できない。今の目から見れば、初期の英国のエヴェレスト遠征は確かに「無謀」だった。


( ̄ー ̄)v- でもそれは、彼らの犠牲を糧にして確立された「無謀」なわけで……………


だからこそマロリーの「止むに止まれぬ欲望」は「Because it's there.」にまとめられ、純化した。エヴェレスト登山は今や商業化されたりネットコンテンツの1つですが、そうなるまでに失われたもの、薄まったもの、忘れられているように見えるものとして、ヘムレブさんは「だから人はマロリーに惹きつけられるのだ」と結論づけてます。


-v( ̄∀ ̄;) 写真は現在の登山のダシあれこれ。今は登山もネット配信が盛んなようで。

※5枚目はニコニコ生放送の「高尾山の深夜登攀」のいわゆる生主。画面が弾幕(応援)だか草(WWW)だか分からんコメントに埋め尽くされ、心霊スポットでこれをやる「新耳袋殴り込み」ファンの私は基本的に嫌いじゃない。

※4枚目は非常に毀誉褒貶が激しい「エヴェレスト登山のネット配信」プロジェクトの一例。プロの登山家からは「あまりに困難な山の登山配信は、見られているという意識からクライマーの判断ミスを招く」という批判もあり。


クライマーの判断ミスへの危惧は、引率する顧客への責任を負う商業登山でも同様。お商売としてのネット配信(実況)が始まったのは1996年の南東稜の大量遭難からだそうですが、サイモンスン隊長が契約していたマウンテンゾーン・コムという配信元が、1999年に新たな問題に直面しました。


1999年10月、マロリーの遺体が見つかった調査遠征のおよそ半年後、シシャパンマ(8027m)登攀を配信中に雪崩が起こり、登っていた3人のクライマーのうち2人が呑み込まれます。


( ̄ー ̄)v- 助かったのは調査遠征隊でエヴェレストのセカンド・ステップをフリークライミングで登ったコンラッド・アンカー。それまで行方不明だった2人の遺体が16年後の今年5月に見つかり、弔いに行ったそうです。


この遭難事故が起こった時、マウンテンゾーン・コムは雪崩に呑まれたクライマーの家族に配慮して、公のニュースが流れるまでサイトで報じるのは控えました。


倫理的な問題。「自分なら家族の遭難をネットでドヤ顔でスッパ抜かれたくない」という判断。しかしそれは「自宅に居ながらにして登攀者になれる」のが売りの配信業では、まさにリアルを伝えられる局面だった。配信元によっては流すかもしれない。


( ̄ー ̄)v- 初登頂者のヒラリー卿は、今や頂上直下に順番待ちの行列ができてるエヴェレストを見て「少し山を休ませろ」と苦言を呈した。個々人のモチベーションは昔と変わらないかもしれませんが、1953年に登頂したヒラリー卿から見ても、エヴェレストはそういう山になってしまったんすね。


(; ̄ー ̄) ……マロリーやアーヴィンら「エヴェレストのパイオニア」を他の人たちと区別するものは、「抑えきれない欲望」であり、現在の私たちをびっくりさせるほどの情熱であり、決意である。


(; ̄○ ̄) それが私たちを彼の元に引きつけ、行方を絶ったのち4分の3世紀を経た今もなお、彼の最後の日々へと私たちを引きつける。


ヘムレブさんはこんなふうに感じます。


(; ̄○ ̄) マロリーが醸し出す何かは、私たち自身がかくあれかしと願っているものであり、それは純粋な目的意識とか、賭して揺るがぬ姿勢とか、一種独特の犯しがたさといったものと関係する何かなのだろう。


“私たち自身がかくあれかしと願っているものであり”



( ̄ー ̄)v- それは間違いない……