1999年の調査遠征から得られた客観的事実は以下の5つ。


●マロリーの遺体がファースト・ステップから北寄りの8160m地点にあった事。

●ハーンとアンカーが再現してみせた上部北東稜の登攀から、1924年にオデールが最後にマロリーとアーヴィンを目撃したのは「サード・ステップ」か「セカンド・ステップとサード・ステップの間」の可能性が高いという事。

●少なくともマロリーにはセカンド・ステップは登り切れたという事。(1999年に現代の補助器具なしで登ったアンカーの証言/ただし後に意見を変えている)

●マロリーが持っていた酸素ボンベ等の携行品のチェックリストや、腕時計等の遺品。

●No.9ボンベ(2本、もしくは3本ずつ持っていった酸素ボンベの1本目)がファースト・ステップの手前に遺棄されていた事。


-v( ̄○ ̄;) ……どれも実際に現場に行かなければ得られなかった情報だけど、ここからどこまで「マロリーとアーヴィンの最後の1日」が解き明かせるのか?


(; ̄ー ̄) ……天候は良かった。あとは酸素と時間の問題だが、私たちはシャーロック・ホームズの調査方法をそのまま見習わねばならない。


ヘムレブさんはそう考えます。


(; ̄○ ̄) つまり私たちに出来るのは、絶対にあり得ないことを除外する事によって、いくつかの可能性を提示すること。それだけだ。


そこで4つの可能性(シナリオ)が読者に提示される。シャーロック・ホームズがダーーーーーーッと喋って「と言う訳だ、ワトソン君」と締めるまでは長いですが、本書だと割と簡潔です。


まず前提は、オデールが最後に垣間見た2人が「力強くテキパキ登っていた」こと。その時彼らがセカンド・ステップより上にいたのなら、No.9ボンベの次、2本目のボンベはちょうど空になるところ。


1999年にいつの間にか酸素切れになっていたデイヴ・ハーンは、目に見えて動きが鈍くなった。1924年にオデールが見たマロリーとアーヴィンが「力強くテキパキ登っていた」ならば、2本目のボンベの酸素流量を絞っていたか、3本目に交換した事になる。


( ̄○ ̄)/ まずはシナリオ①。これは2人がそれぞれ2本ずつしかボンベを持っていなかった場合。この場合ではファースト・ステップ越えを断念し、速やかに下り始めた事になる。


( ̄○ ̄)/ そしてシナリオ③。これはボンベが2本ずつで、途中から酸素が切れた状態で登頂した場合。……数日前に同じように無酸素でグレート・クーロワールの上部に達したノートン隊長と同じくらいの登攀速度(時速38km)で考えると、登頂は午後7時。ちょうど日没ごろになる。

※これだとまだ完全に暗くなる午後8時半までに頂上ピラミッドを下りきるのも不可能で、ましてや困難なセカンド・ステップは下りられない。(照明器具も持っていない)


( ̄○ ̄)/シナリオ④は2人が3本ずつのボンベを持っていて、3本目が空になる午後4時ごろに登頂した場合。この場合なら明るいうちにセカンド・ステップもファースト・ステップも下り切れるが、その下のイエローバンドで真っ暗になり、第6キャンプに帰り着けなかったのではないか。


いろんな可能性があるものですが、日没までに第6キャンプに戻れるシナリオは「セカンド・ステップの手前、もしくは越えた所で引き返した」場合しか無く、一番可能性が高いものとして、ヘムレブさんはこれを挙げます。


( ̄○ ̄)/ シナリオ②……マロリーの遺体はファースト・ステップより下で発見されている。暗闇の中でセカンド・ステップを攀り下ることが不可能ならば、考えられるのは「日のあるうちにセカンド・ステップもファースト・ステップも下り切った」だろう。


ヘムレブさんは最後に2人が目撃されたのは「セカンド・ステップを越えた場所で、サード・ステップより手前」と確信していた。彼らはセカンド・ステップを越えた時点ですぐに引き返せばまだ明るいうちに第6キャンプに戻れましたが、すぐに引き返したのではなく、サード・ステップまである程度進んでいた。(オデールが目撃したのはその頃)


( ̄○ ̄)/ マロリーのポケットには、日除けのゴーグルが入っていた。彼はノートン隊長が雪盲にかかったのを見てから、日中は必ずゴーグルを着けていた------もし彼が昼間に滑落したのなら、日除けゴーグルがポケットの中にあるはずがない。

※ただ、ポケットに入っていたのは予備のゴーグルだったとする見方もある。その場合は昼間に滑落して、着けていたゴーグルは失われた事になる。


( ̄○ ̄)/ 暗闇ではセカンド・ステップは下りられない。おそらく夕闇の中でセカンド・ステップ、そしてファースト・ステップを攀り下りたんだ。


「酸素があろうがなかろうが、マロリー達は登り続けて登頂しただろう」という意見は昔から多かったのですが、それだと下山の途中で夜になり、生還できる可能性は格段に低くなる。ヘムレブさんは「もしオデールが目撃した時に登っていたのがサード・ステップだったなら、そのまま登って登頂は出来ただろう」と考えますが、あくまでも彼自身の確信は「セカンド・ステップとファースト・ステップの間で目撃された」でした。


( ̄○ ̄) ……1924年は雪の少ない年だったが、同じような状況の1999年でも、頂上雪田にはかなりの積雪があった。オデールも第6キャンプより上に「かなりの量の新雪を見た」と報告している。


セカンド・ステップを越えたところから、酸素も余力もあったが登れなかった。雪が深すぎたとか、雪崩の危険があってそれ以上進むのを断念したかも。現に前回の遠征では、雪崩でポーター7人を犠牲にしていた……


( ̄○ ̄) マロリーは、酸素マスクを顔に固定するベルトをポケットにしまっていた。おそらく全てのボンベが空になり、酸素器具は全部捨てたんだろう。ボンベに酸素があるなら、そんな事はしない。

( ̄○ ̄) いつか誰かがセカンド・ステップとファースト・ステップの間でまた別の空ボンベやパック・フレーム(ボンベ背負子)を見つけたら、もっと確実なことが言えるだろう。

( ̄○ ̄) よく言われているように、マロリーは「頂上に置いてくる」と言っていた奥さんの写真や手紙を持っていなかった。登頂していれば証拠写真を撮ったであろうカメラも見つからなかった。


あと分かっているのは、まだ日がある午後4時すぎに第6キャンプから下り始めたオデールの証言。第6キャンプに戻ってくるマロリーとアーヴィンのために第4キャンプまで下るオデールは、途中で何度も振り返って上を見ます。


「何度も何度も頂稜を目でなぞったが、クライマーのいる気配は何ひとつ認められなかった」


オデールは午後6時45分にノース・コルの第4キャンプにたどり着き、そこで待っていたハザードと交替で頂稜を見守ります。


「夜は晴れ上がっていたので、私たちはその晩遅くまで起きていて、マロリーとアーヴィンの降りてくる気配、急を報せる発光灯の気配を探した」

「そのうちに、頭上の広大な山腹に滲んでいた日没の後のかすかな明るみが、西ロンブク氷河の高い峰々に反射して漏れ出してくる月光にとって代わられた」



しかし月は午後11時すぎに沈み、その淡い光も消えた。そして訪れた暗闇のどこかで、マロリーとアーヴィンは息絶えます。