マロリーとアーヴィンが第6キャンプを出発したのは1924年6月8日の早朝でしたが、時刻ははっきりしていません。


“この晴天を利して、(私たちの)出発はおそらく明日早朝”


前日にマロリーがポーターに託したメモ(第4キャンプにいた撮影担当のジョン・ノエル大尉あて)にはそれだけしか書かれていない。その日のエヴェレストの日の出の時刻は天文用コンピュータの算出によると、午前5時15分。(夜明けは午前4時少し前)でした。


( ̄○ ̄;) マロリーは早起きなクライマーだった。そして彼らはほぼ全ての照明器具を第6キャンプに残していった……登頂して、日没までには戻って来るつもりだったんだろう。


後にノートン隊長は「夜間にSOSを知らせる明かりを見なかった」「マロリーは前回の遠征で頂上アタックに照明器具を持って行かず苦労したから、忘れるはずがない」と証言しましたが、彼らがいなくなった直後にオデールが第6キャンプのテントでマグネシウム発光灯を見つけ、1933年の英国の捜索隊は折り畳み式ランタンと懐中電灯を見つけていた。これは持って行くのを忘れたんじゃなく、不要だと思ったんだろう。


( ̄ー ̄)v- 酸素さえ使えば日没までに片が付くと思っていた。そう信じていた…………


夜明けの午前4時前後に目を覚まし、朝食や身支度の間に午前5時15分の日の出を迎えたのなら、第6キャンプを出たのはおそらく午前5時半ごろ。


この日の午後に無人の第6キャンプに上がったオデールは、「テントの中には酸素ボンベとその部品などが散らばり、外にも酸素器具の部品やパック・フレームがあった」と報告しており、「酸素器具に不調が出て、修理していて出発が遅れたのだろう」とも語っています。


( ̄ー ̄)v- それはオデールが目撃した「登っていく2人」が、午後12時50分というあまりにも遅い時刻にそこにいたから。


マロリーが撮影担当のノエル大尉に送ったメモでは、「午前8時には頂上直下のイエローバンドを横切っているか、スカイライン(ファースト~サードステップを含む北東稜の上部)を登高中」の予定でした。


午後になって第6キャンプに上がったオデールにしてみれば、5時間近く遅れている。だから彼はテントの内外を見て「酸素器具が故障して出発が遅れた」と考えたし、実際そうだったかもしれない。


(; ̄○ ̄)/ だが、ここにも「メモの行間を読む」技術が要ると思う。


ヘムレブさんはこう指摘します。


(; ̄○ ̄)/「2日間で90気圧で来た」と同じだ。マロリーがノエル大尉に宛てた「午前8時には頂上直下のイエローバンドをトラバースしているか、スカイラインを登高中」という文章の主旨は、「どちらかのルート上にいるが、まだどちらを採るか決めてない」なんだ。


行間を読むという技術は日本語だけじゃなかったのか雷電。確かに「イエローバンドを斜めに登るルート」はノートン隊長とサマーヴィルが採ってリタイアしたルートだし、もう1つ、上部北東稜に直接上がって稜線添いに「スカイラインを登高するルート」がありました。


-v( ̄○ ̄;) 後者は今で言うマロリールート(古典ルート)。マロリーはこちらを採りましたが、ノエル大尉に伝言を託した時にはまだ迷っていたようです。


(; ̄○ ̄)/ ……どちらのルートを採るにせよ、マロリーは「午前8時には登頂のメドがつく」と信じていた。だからあの文章になったんだ。


ならば何故、午後12時50分という遅い時刻にスカイライン上で目撃されたんだろう。出発が遅れたから? そこまで登るのに手間取ったから?………


(; ̄○ ̄)/ もし彼らがメモ通りに早朝5時~5時半に出発したのなら、我々がファースト・ステップ付近で回収した酸素ボンベでおおまかな到達時刻が分かる。


調査遠征隊が発見して持ち帰った古い空ボンベは、マロリーがリストアップしたNo.9ボンベで、内圧は110気圧と書かれていました。これは満タン時より10気圧低く、毎分2.2リットルの最大流量で3時間40分保つ。(満タンだったら4時間保った)


(; ̄○ ̄)/ ……マロリーかアーヴィンのどちらが使っていたかは分からないが、No.9ボンベは午前8時45分~9時15分の間に空になってファースト・ステップの手前に遺棄された。メモ通りの登攀だったなら、確かに遅れてはいたが、1時間くらいしか遅れてない。


なら何故、午後12時50分にその付近で目撃された?


-v( ̄○ ̄;) ……いや。No.9ボンベが遺棄されたのはファースト・ステップ付近で間違いないけど、ここであの論争が浮上する。「オデールが最後に見た2人は、上部北東稜のどこにいたのか?」………………


オデールは最初はセカンド・ステップと証言し、後にファースト・ステップに訂正。そして晩年には再び「セカンド・ステップだった」と訂正し直した。

1999年に同じ場所から上部北東稜を観察したアンディ・ポウリッツは「サード・ステップ以外あり得ない」。

少し低い位置から「角度は一致する」と頂上アタッカーのハーンとアンカーを仰ぎ見たヘムレブさんは、「セカンド・ステップを越えて右寄りの稜線上」………………


-v( ̄ー ̄;) 第6キャンプを出発したのが午前5時~5時半という確証もない。午前8時45分~9時15分の間にNo.9ボンベが遺棄されたというのも推測でしかない。


だがもしその通りだったなら、午後12時50分にファースト・ステップ上でマロリーとアーヴィンが目撃されたのは遅すぎる。セカンド、もしくはサード・ステップ上だったなら、それだけ時間がかかるのはおかしくない…………


( ̄ー ̄)v-「エヴェレスト初登頂の謎」を書いたトム・ホルツェルは、「登頂して下山中だったんじゃないのか?」とも考えてます。

※下山中にルートが不明瞭になると、少し登り直して上から探すことがある。それを目撃されたのでは?という説。

※あとは後年に見つかった、ファースト・ステップを登らず迂回するルートを通ったのではないかとする説。ただし1933年の英国の捜索隊はそのルートで3時間手間取った挙げ句、渡りきれなかった。


(; ̄○ ̄)/ ……2人が最後に目撃されたのがファースト・ステップだったかセカンド・ステップだったかは、既に重要ではない。その時彼らは、セカンド・ステップを登りきった先にいたんだ。


天候は良かった。あとは酸素と時間の問題で、これも全てが推測でしかないのですが、「マロリーとアーヴィンは各自3本ずつのボンベを持って第6キャンプを出た」を前提にすると、こんな経過になります。


(; ̄○ ̄)/ マロリーかアーヴィンのどちらかがNo.9ボンベを空にして、新しいボンベに交換した。

(; ̄○ ̄)/ それが酸素が満タンで、最大流量にセットされたなら、4時間後の午後12時45分~1時15分の間に空になる。ちょうどオデールが目撃した頃だ。

(; ̄○ ̄)/ それが最後のボンベだったなら、オデールが証言した「力強くテキパキ登っていた」にはならない。きっと3本目のボンベに交換していた。


3本目の最後のボンベが満タンだったなら、それが空になるのは4時間後-----午後4時45分~5時15分。



日没は午後7時過ぎで、8時半くらいまではまだ真っ暗にはならない。けれども最大3本ずつ持っていった酸素ボンベはそこまで保たないし、どこで空になったか分からない。確実に言えるのは、「3本ずつでは足りなかった」という事だけでした。