“予備の酸素ボンベは計6本。2本1組で、1組の重さは16ポンド(7.3kg)。”


(; ゜д ゜) これは……………


手書きのチェックリストの一項目に、ヘムレブは度肝を抜かれます。これまで誰も、マロリーとアーヴィンの頂上アタックの準備の詳細を知らなかった。第4キャンプを出発する時の最後の写真では、2人はパック・フレームと呼ばれる酸素ボンベ用背負子(しょいこ)にボンベを着けていた。しかしそれ以外にも、あと6本持っていっていた………


(; ゜д ゜) ……これは旧来の「マロリーとアーヴィンの最後の1日」の筋書き全体が書き換わるかもしれない。


ヘムレブは1924年の英国隊の登山報告書の、エドワード・ノートン隊長の記述を読み返す。ノートンはサマーヴィルと組んだ最後の頂上アタックで雪盲にかかっており、第4キャンプテントで横たわっていた。その傍らで、マロリーが最終アタック計画を説明します。


( ̄○ ̄;) ……彼はこう説明した。「もう1度だけ頂上を狙う。今回は酸素を使う事にして、下の第3キャンプまでブルースと一緒に降りて、ポーターを各キャンプに配置できる数だけ集めてきた」……


最後のアタック計画を遠征隊長のノートンに説明する前に、もうその計画に沿って動いていた。でもそうすると、マロリーとアーヴィンはまず第6キャンプに登り着くまでにボンベを何本使ったんだろう? そこから最後の頂上アタック用に、あと何本使えたんだろうか?


その疑問には、ノートン隊長が記述で答えていました。


( ̄○ ̄;) ……私たちはそもそも輸送力(ポーター)不足で、無酸素での最終アタックを決めていた。だがその点は、マロリーとアーヴィンが「第6キャンプまでは実質的に無酸素で行く」という事で切り抜けた。

( ̄○ ̄;) 第6キャンプには私とサマーヴィルがテントその他の宿泊用具を含めて設営したままだから、使えるポーターは1人残らず、酸素ボンベの荷上げに使う事にした………


これまでマロリーとアーヴィンが1924年の6月6日に最後に第4キャンプを出発した時に、なぜポーターを8人も連れて行ったのかはあまり疑問視されていなかった。新たにキャンプを設営するならそれくらいの人数が必要だけど、既に第6キャンプが出来ていて物資も置かれているのなら、せいぜい1人か2人のポーターで足りるのに……


( ̄ー ̄)v- マロリーの性格としてよく指摘されるのは「手のつけられない忘れん坊」と「時たま衝動に駆られる」の2点ですが、この時の彼は慎重に、綿密に計画を立てていました。


( ̄ー ̄)v- やはり前回の遠征で酸素を使って最高度に達したジョージ・フィンチの例が頭を離れていなかった。それだからこそ、この土壇場で迅速に登攀計画を練り、準備できたんだろう……


6月5日には最終アタックに備えて、ジェフリー・ブルースが第3キャンプから補給物資を荷上げしていた。缶詰の圧搾コーン・ビーフ、ビール酵母を加えた固形物ブイヨン、堅パンと牛タン、フォアグラの缶詰、そして灯油・ガソリン混合油や高所クッカー用の固形燃料。


さらにマロリーが第5から第6キャンプに荷上げする食料としては紅茶、ミルク、マカロニ、ハムとタンの薄切り、ドライフルーツ、堅パン、ミントキャンディ、バタースコッチ、生姜入りクッキーがリストに書かれていました。


( ̄¬ ̄)v- 美味しそうなので、つい書き写してしまう。


食料は選り好みできるほど豊富にあった。肝心なのは酸素ボンベですが、マロリーは自分とアーヴィンの分のボンベを既に第3キャンプに運び上げており、さらに6月5日にブルースに追加分を荷上げしてもらっていました。


( ̄ー ̄)v- それまでまったく重要視されていなかった酸素ボンベがたちまち「最重要」になったから、さらに上までそれを運ぶポーターが8人も必要だったんですね。


予備のボンベは少なくとも6本あった。オデールが撮った「最後の写真」では、こちらに背を向けたアーヴィンは2本のボンベを背負っていますが、マロリーは1本しか背負っていない。これをヘムレブは「最終の第6キャンプまで、酸素を極力使わないよう気をつけていた」と考えます。


( ̄ー ̄)v- 第4キャンプを出発し、まずは第5キャンプまで登ったマロリーとアーヴィン、そして8人のポーターの歩みは遅かった。(その日のうちに第4キャンプに戻ったポーター4人の往復時間から換算) それは酸素ボンベを持っていたけど、使っていなかったから………


6月6日の夕方に第5キャンプに着いて1泊。そして翌7日に第6キャンプに到着してもう1泊。ここで残り4人のポーターは引き返し、1日遅れでサポート隊員として第5キャンプに登ってきたオデールに伝言メモを渡します。


“ここ(第6キャンプ)まで、2日間で90気圧で来た。”


当時の酸素ボンベは満タンで120気圧。だからマロリーとアーヴィンは第6キャンプに着くまでに、1人あたりわずか3/4本の酸素しか使っていませんでした。


90気圧で供給される酸素の量は毎分1.5リットル。この割合で流せば4時間半しか保ちませんが、第5キャンプから第6キャンプまで登るには10時間かかる。マロリーが「90気圧で来た」と書いたのは、「酸素を吸いっぱなしではなく節約していた」という意味のようでした。


問題は「第6キャンプから先に、使用可能なボンベをあと何本持っていたのか?」。


( ̄ー ̄)v- マロリーが背負っていた1本、アーヴィンが背負っていた2本。そしてポーターが運び上げたのがあと6本(推定)…………


マロリーが第6キャンプから、第5キャンプのオデールに宛てたメモには「我々はおそらくボンベ2本ずつで頂上へ向かうだろう」と書いてあった。ならば残りは4本かと思いますが、ヘムレブはこの文章の「おそらく」と「だろう」に注目しました。


ヾ( ̄○ ̄;) ……マロリーは「我々はボンベ2本で頂上へ向かわざるを得ない」とは書いていない。「おそらく……だろう」という書き方は、それを選ぶ余地がある事を示唆している。


第6キャンプまでに各々が3/4本使った。(ほとんどまる1本) そこで満タンのボンベは残り7本。そしてマロリーとアーヴィンが出発した後に第6キャンプに着いたオデールは、「テント内には酸素ボンベなどが散らばっていた」と証言している。


( ̄ー ̄)v- この証言では「酸素ボンベ」という単語が複数形になっており、少なくとも2本以上の空ボンベが置いてあったよう。

( ̄ー ̄)v- うち2本は、マロリー達が第6キャンプに着くまでに使った後の空ボンベ。そして研究家たちは「あと1本の空ボンベがあり、それは第6キャンプで1泊する消耗を抑えるために、睡眠中に2人が1本のボンベを共有したもの」と考えてます。


ならば頂上アタックの際に残っている使用可能なボンベは、あと6本。マロリーは「おそらく2本ずつで行く」と言っていましたが、ならばあと2本残るはずの使用可能なボンベは第6キャンプに残っていませんでした。


(; ̄○ ̄) マロリーは「おそらく2本ずつ」と言ったが、実際には3本ずつ持っていったんじゃ?


ヘムレブさんはそう考えます。と言うのは、1924年当時はただでさえ酸素を使った登攀はメジャーではなかった上に、下山時にも必要だという認識は無かったから。


(; ̄○ ̄) ……マロリーも「登るために要る」という認識だった。だから下りの為にテントに置いて行ったりしなかっただろう。


「おそらく2本ずつで行くだろう」=「状況次第ではもっと持って行く」。ヘムレブさんはこの解釈を採りました。



1924年6月8日、マロリーとアーヴィンはそれぞれ3本ずつの酸素ボンベを持って第6キャンプを出発した。ボンベはすべて満タンではなかったけれど、流量全開でほぼ12時間分。


バルブを絞ればもっと保つ。あくまでも推定の域を出ませんが、そこから彼らの行動に時刻の目安がついていきます。