調査遠征隊はマロリーの遺体を発見し、さらにその登攀の謎を解くために頂上まで登りましたが、もうひとつ重要な発見がありました。


それは第6キャンプで補給が途絶えたため遠慮して登頂を断念したアンディ・ポウリッツとトム・ポーラッドが成し遂げる。彼らは頂上アタック隊と別れた後、5月16日に金属探知器を持って8160m地点に向かいます。


( ̄○ ̄) 例の行方知れずのカメラ。1924年にサマーヴィルがマロリーに渡したというカメラを、最後にもう一度探したかった。


2人は2週間前にマロリーを埋葬した場所にたどり着きますが、そこがいかに急斜面だったかを再び思い知る。遺体を覆った細かい岩や石は崩れ落ち、埋葬した時のままではなくなっていました。


( ̄ー ̄;) ………。


ちょっと乱れていた岩と石の埋葬衣の前で、ポウリッツはいっとき跪いて過ごします。


( ̄○ ̄;) ……私たちが発見してからもう2週間も経つのに、今もなお信じがたいほど心が騒いだ。その気持ちは、説明のしようがない。


それからポーラッドと2人で、遺体を覆った岩や石の一部を丁寧に取り除ける。再び眠りを妨げる非礼を詫びながら、彼らは金属探知器を取り出します。


ヾ( ̄○ ̄;) あっ。


驚いた事に、最初のひと撫でで反応があった。初めて発見した時は金属探知器はなく、見落としていた遺品がいくつか出てきました。


●皮革製のオートバイ・ヘルメットの鋲が1つと尾錠が1つ

●文字盤のガラスが失われた腕時計:ポケットに入っていたがガラスや分針は無かった


(; ̄○ ̄)/ ……遺体周辺にもカメラは無いな………


もし登頂していたのなら、頂上から写真を撮ったはず。だからこそコダックの小型カメラは長年に渡って発見を待ち望まれていましたが、それは見つかりませんでした。


( ̄ー ̄)v-「登頂していたのではないか」という説の根拠には、このカメラや、マロリーが「頂上に置いてくる」と言っていた奥さんの写真を持っていなかった事が挙げられます。

( ̄ー ̄)v- ハンカチにくるまれた手紙の束を持っていましたが、遠征中に頻繁にやりとりしていた奥さんからの手紙だけが無い。マロリーは愛妻家で知られていたので、頂上に置いてきて、その後飛ばされたんじゃないかとか。


他には何も見つからなかった。ポーラッドは再びマロリーを埋葬し直す前に、これまで誰もしなかったこと、マロリーの顔を入念に調べます。


( ̄○ ̄;) ……顎には髭が短く生えていて、目は閉じている。

( ̄○ ̄;) 額にいかにも致命的な外傷があり、砕けた頭蓋が飛び出している。


表情は穏やかだった。2人は遺体を元通りに直し、そっと岩や石で被って再び埋葬式を執り行う。マロリーは後世のクライマーに丁重に弔われ、ようやく安息を取り戻しました。


( ̄ー ̄)v- ……エヴェレストの高みでは、まだ沢山の死者が埋葬されず野晒しになっている。そしてまだアンドリュー・“サンディ”・アーヴィンは見つかっていない……

※2001年にヨッヘン・ヘムレブは再度調査遠征隊を編成してアーヴィンを探したが見つかっていないよう。(記録は出版済みだがまだ未訳)

※トム・ホルツェルは2009年にエヴェレストの航空写真の解析からアーヴィンの遺体らしき物体の位置を特定したというが、続報待ち。いずれにせよ王洪宝が見た「英国人の遺体」はアーヴィンだと考えられている。


ポウリッツとポーラッドが持ち帰った腕時計は、ベースキャンプで「滑落の時刻が分かる?」と騒がれました。針はなくなっていましたが、文字盤には時針と分針があった場所を示すサビがついていた。それだと午後、もしくは午前1時25分で時計が止まっていたことになる………


しかし針や文字盤を覆うガラスはポケットに無く、時計が壊れたのは滑落の際にではなく、その時には壊れていて、用済みでポケットに入れていたと考えられる。さらに後に専門家が鑑定し、「分針が折れた位置とサビの位置が一致しない」と分かります。


( ̄○ ̄) 時計が何か衝撃を受けて止まったなら、内部のテン輪軸が折れます。でも、この時計の文字盤を外して作動状況を調べると、器械は普通に動く。内部までは壊れていませんね。


壊れてないのは何気に凄い。推理小説ならこれで滑落した時刻が判明する所ですが、現実はなかなかうまくいかないですね……



しかし“物証”は推測よりも多くを語る。腕時計から分かることはあまり無かったけれど、その他の品々は大いに語ってくれました。