若いタップ・リチャーズとジェイク・ノートンは引き返し、37歳のデイヴ・ハーンと36歳のコンラッド・アンカー、そしてシェルパ頭のダワ(40歳)とアン・パサン(34歳)が引き続き登高します。


が、


ヾ( ̄□ ̄;) サーブ! 私はここまでです、引き返します!


ルートは岩屑の散らばる一枚岩(スラブ)の連なりをおよそ90mくらい横切っていくトラバース・ルートでしたが、その一枚岩はどれも35度以上の角度で傾いており、末端は崖になっている。


それは岩の滑り台みたいなもので、滑落したクライマーはロケットみたいに射出され、北壁の下まで一気に叩き落とされる。調査遠征隊がマロリーの遺体周辺で見た損傷の激しい遺体の群れは、おそらくこの辺りから滑落したものでした。


そこは危険な場所ですが、ロープを付けていると動きが制限されて煩わしい。凍った雪でなく岩にアイゼンの爪を利かせて登るのは難しく、イッテQではイモトがアイガーで難儀してましたが、彼らはさらに高く空気の薄いエヴェレストでそれを試みます。


たちまちシェルパのアン・パサンが立ち止まり、自分は無理だと大声で伝える。そしてサーダーのダワもセカンド・ステップの下まで到達すると、「自分もこれ以上登らない」と無線でサイモンスン隊長に伝えました。


( ̄ー ̄)v- 2人とも登頂経験のあるベテランですが、登ったのは南東稜だった。熟練のシェルパの判断を、デイヴ・ハーンはこう振り返ります。


( ̄○ ̄) ……2人は時間を気にしていたし、彼らの経験から見て妥当な判断だった。南面だったら、頂上からこれだけ手前にいて午前10時では遅すぎる。

( ̄○ ̄) あちら側だったら、まだこの程度の高さにいる理由がないので引き返して当然だ。


8500mを越えて「この程度」。素人は読んでいて慄然としますが、ハーンさんはさらにこう語ります。


( ̄○ ̄) しかし、私の観点からは、北面では状況が違う。困難で時間のかかる部分は前半に集中しているから、そうした悪所はもうほとんど済ませたと分かっていた。

( ̄○ ̄) 下りの途中で日が暮れることはほぼ間違いないだろうが、それは前回に北面から登頂した時に経験済みだから、大丈夫だろうという見込みは立っていた。


これは北面からの登頂経験者にしか持てない感覚で、同じエヴェレストでもルートが違えば別の山と変わらないという認識を素人に示すもの。南面ではもう時間切れでした。


それでもやはり、北面でもこの時間にはもっと高い位置にいるべきでした。彼らには北東稜でのクライミング場面を撮影する仕事もあり、そのために第6キャンプからの出発が遅れていた。さらに天候や登攀続行するか否かの話し合いにも時間を費やしており、最後に残ったハーンとアンカーが「慎重派の安全限界」を越えて登攀を強行したのは明らかでした。


撤退を決めた4人がそれぞれの位置から見守る中、ハーンとアンカーはセカンド・ステップに近づいていく。その時ハーンが携行していたビデオカメラが動かなくなり、ハーンさんは「はあ!?」となります。


(; ̄□ ̄) 私たちはセカンド・ステップの取り付きに達し、いよいよアンカーがマロリーの謎にまつわる最大の懸案事項に取りかかろうとしているのに、このろくでなしカメラが動かない!!


BBCと契約してるハーンさんはビデオカメラもBBCから借りていましたが、最初から「極地で使うと言ってるだろうが!」な代物で、ケースも付いてなく、使用条件下でのテストもしていなかった。高所カメラマンのハーンさんは「恐れていた最悪の事態」にブチ切れます。


(; ゜皿 ゜) ダム!シット!ファック!! 心霊スポットロケじゃないんだぞバカカメラ!!!

※心霊スポットロケなら、ここでカメラが止まるのはむしろお約束。


しかし怒り心頭でしばらくカメラをいじくり回した後、「それどころじゃない」と気づきます。-----足元に注意しろ、さもないとカメラどころかカメラマンがお陀仏になる………


(; ゜∀ ゜)/ いよぅ相棒。噴火は治まったか?

(ノ皿T;) ……カメラは蘇生したけどよ。誰かもう1人いて俺の前でラッセル車になってくれたら、お前が雪壁を登ってくるかっけぇ場面をじっくり撮れたわ。


その辺りには積雪があった。セカンド・ステップは高さ30mの黒ずんだ石灰岩の岩壁帯で、岩質はそこの上部・下部より堅い。岩場は3つに分かれていて、垂直に切り立っているのはその1つで、これからアンカーがフリーで登る場所でした。


上部岩壁まではハーンが撮影しながら先導し、岩壁の間の狭い溝を攀り登る。そこには北壁をすっかり下まで見通せる「高所恐怖症殺し」の地点があり、落ちたら体が四散すること間違いなしでした。


d( ̄∀ ̄) よし行くか。


1枚目はそんなセカンド・ステップ基部で「邪魔だから」と酸素マスクを外し、めっさイイ笑顔のアンカーさん。(ここは標高8580mです)


一応は、1975年の中国隊が取り付けていったアルミ製のハシゴがあるにはある。撮影担当のハーンさんはそこで自己確保(セルフビレイ)の体勢をとり、アンカーさんは上部岩壁をひと通り見て登るルートを探ります。


ヾ( ̄○ ̄) ……ハシゴの右手に右側が被った割れ目(クラック)が伸びてるな。


そこを固定ロープ無しで1~2m登りますが、すぐに「岩が脆くて腐ってる」と言って放棄する。岩は内部の水分が凍結と融解を繰り返すうちに脆くなり、それを「腐ってる」と言うのだそうです。


( ̄○ ̄)/ ハシゴの左側、日が差さない部分にも割れ目がある。拳を入れるには広すぎるし、体を入れるには狭すぎるが………


ハーンさんがハシゴに引っかけたカラビナの位置を直しているうちに、アンカーは早々と割れ目の最上部までフリーで登る。肘と肩を岩の割れ目に押し込んでアーム・ロック(文字通り)を決め、そこまで靴先から膝を持ち上げて、体全体を上に引き上げる……


-v( ̄○ ̄;) 岩場でなく斜面の話だと思うけど、マロリーの登り方は「前方に伸ばして折り曲げた膝に一気に上半身を引き寄せて、次の瞬間には立ち上がり前進している」「蛇のように滑らか」だったという。岩登りでも、上手い人はスルスルと登っていくんだな……


ヾ( ̄○ ̄;)ゞ ……速いなあ。


ビデオカメラを回すハーンさんが呆気にとられている間にアンカーはハシゴの上端まで登りきり、そこから右へ右へと移ってオーバーハングの岩を乗り越える。そうして岩壁に手をかけるポイントを見つけては体を引き寄せ、危なげなくセカンド・ステップの頂上に立ちました。


( ̄∀ ̄) 一応はロープを掛ける中間支点(プロテクション)を2ヶ所とったけどね、あくまでも念のためで、使わなかった。

( ̄∀ ̄) あのハシゴは助けになると言うより、邪魔だったね。


無酸素で何でそんなバクチができるのアンカーさん。世界最高峰の頂上直下でフリークライミング、まさに花道。しかも余裕あり……


ヾ( ̄○ ̄) 岩が腐ってないのは、俺が登ったあの一筋のクラックだけ。……マロリーはあの中途半端な幅のクラックに、おそらくニーバー(腕と膝で体を固定する技術)を利かせ、それから体を引きつけて登ったんだろう。

( ̄○ ̄) 長いピッチじゃないが、息が苦しくなるのは確かだ。熟達のクライマーなら、あの上部岩壁を人工的な補助手段に頼らず登れるだろう。


それにはハーンも同意見ですが、彼はこういう留保条件をつけます。


( ̄○ ̄) ……だが、それがマロリーの能力の限界だっただろうと思う。彼の能力の範囲内だったのは確かだが、1924年にはそもそもセカンド・ステップの基部は未踏だった。

( ̄○ ̄) ファースト・ステップを越えれば、セカンド・ステップの基部までの道程はそれほど困難じゃない。しかし天候や積雪の度合い、あらゆる条件の組み合わせから、当時の彼らにそれが可能だったかどうかは、何とも言えない……


とりあえずセカンド・ステップをフリーで登り切ったアンカーが第3キャンプのサイモンスン隊長にそれを伝えると、すぐに「マロリーにも登れたと思うか?」と尋ねられます。


p( ̄○ ̄) もちろん、必死になって危険も忘れりゃ、登れる。

p( ̄○ ̄) 難度?……高度0mなら5.8だけど、この高さだと5.10って感じだな。


難度の目安は、5.8なら「平均的な週末クライマーが登れる程度」。5.10だと「熱心な週末クライマーがギリギリ登れる程度」。しかし興味深いことにアンカーは後に意見を変え、「マロリーとアーヴィンがセカンド・ステップの上部岩壁を登れたとは思わない」と述べています。


( ̄ー ̄)v- ……オデールも目撃証言を撤回した。月日の経過は、いろんなモノを変えるのだろうか?


結局は、マロリーとアーヴィンがセカンド・ステップを越えたかどうかはハッキリしない。ただ著者のヨッヘン・ヘムレブは、あくまでもオデールが最後に2人を見た地点の地形から、「セカンド・ステップの頂上より右寄りにいた」と考えます。


(; ̄○ ̄)q( ̄¬ ̄;) ……水も飲んだし食い物も詰め込んだ。これから頂上に向かう。


結果的にはよく分からないセカンド・ステップ越えの後、ハーンとアンカーはきっちり頂上を目指します。2枚目はセカンド・ステップを抜けた先の台地を進むアンカーで、3枚目はセカンド・ステップ頂上から眼下を見下ろすハーンさん。背景には鞍の形をしたノース・コルと、エヴェレスト北峰のチャンツェが見えます。


-v( ̄ー ̄;) 高い………………………


セカンド・ステップからサード・ステップ(8690m)の基部に向かう道だけが、この1日のうちで滑落の心配がない。そこは黒っぽくガチガチに凍りついた岩や石に雪がこびりつき、縞模様になっている広大な台地でした。


( ̄○ ̄;) 雲が低くなってきたし、大気が湿っぽくなってきた。雪が降るか雲に包まれるかどっちかだな。


それでも風は強くなく、雲の切れ間から射す日差しで時々体が暖まる。彼らはぐずぐずな岩の集まり-----サード・ステップを15分もかけずに登り切ります。


下の方では、望遠レンズでそれを見ていたヨッヘン・ヘムレブさんが大歓喜。↓


(; ゜д ゜) おぉぉおおおおお僕は75年前にタイムスリップしてるんじゃない!! この眺め!! 「稜線上のとある岩の段差の下、小雪稜上に小さな黒い点が一つ浮き出し、そのまま動いていく」………

(; ゜д ゜) 「また一つ別の黒点が現れて、小雪稜上の黒点に合流すべく、雪の上を移動していく。そのころ第一の黒点は、大きな岩の段差に接近しており、ほどなくそのてっぺんに現れた。もう一つの点も、同じようなあんばいだった」……………


何かもう風の谷のナウシカのクライマックス、「その者青き衣を纏いて金色の野に降り立つべし」状態。ヘムレブさんはガガガガガと焦点距離倍増レンズではるか高みを行くハーンとアンカーを写真に撮り、「僕の方がオデールより低い位置にいるけれど、その角度はほぼ完全に一致しているゥウウ!!」と興奮します。



5枚目はヘムレブさんがガガガガガと撮影した、サード・ステップ上のハーンとアンカーの姿。


……こうだったのか? 1924年6月8日、午後12時50分にオデールが見た「マロリーとアーヴィンの最後の姿」は、これと同じだったのか?……………