( ̄○ ̄)/ オデールが最後に見たマロリーとアーヴィンが登っていたのは、ファースト・ステップじゃない。


著者のヨッヘン・ヘムレブはあらゆる資料を突き合わせた末にそう確信し、実際にオデールの視点から稜線を観察したアンディ・ポウリッツも同意見でした。


ヾ( ̄○ ̄) もしも2人がファースト・ステップへの北壁の直登ルートを採っていたなら、オデールの証言とは合わない。

( ̄○ ̄)/ オデールは2人が「岩の段差(ロック・ステップ)の下の小雪稜上に、小さな黒い点になっていた」と報告書に書いている。だが実際にはその位置に小雪稜など存在しない。


オデールは2人の遭難直後にはセカンド・ステップだったと証言していましたが、1年後の遠征報告書では「ファースト・ステップだったと思う」に変わっていた。(晩年に再びセカンド・ステップに訂正)


( ̄ー ̄)v- 目撃したと言ってもほんの一瞬。それは後に色々言われれば揺らぎもするが、晩年に再び「セカンド・ステップだったと思う」と言ったのは、オデールは本心では最初からずっとそう思っていたのかも。


実際にオデールの視点から稜線を見たアンディ・ポウリッツは「サード・ステップ以外あり得ない」と断言しました。それを確かめにこれから登る。先導して固定ロープを設置し続けるコンラッド・アンカーは「俺の出番」とワクワクしてました。


アタック隊がファースト・ステップを登り切る頃には日が差してきて、風も穏やかになってきた。そこまでに前進か退却かを判断するつもりだった登攀隊長のデイヴ・ハーンは「何とか行ける」と考えました。


( ̄∀ ̄;) ファースト・ステップとセカンド・ステップをつなぐ稜線は、クライマー言葉で言うと「楽しませてくれる」場所だ。


それは危険な場所という意味で、稜線の幅が狭くなり、塔のような岩や雪稜がギザギザになって続いている。(イモトがメンタル折れかけたアイガーも、そういう起伏の激しいナイフ・リッジだった)


ヾ( ̄∀ ̄;) 私は以前そこを通ったが、今回は通らなくてもまったく後悔しない。


デイヴ・ハーンは「今回は代替ルートで行く」と決める。実はギザギザで切り立った稜線上を行かなくても、その切り立った絶壁にちょっとした横断(トラバース)ルートがあるのだそう。


┏(; ̄∀ ̄)ゞ HAHAHA。でも、こっちにも「楽しませてくれる」場所はいくつもあるがね。


とくにある箇所では、先が見えないのに勘で回り込まねばならない。


┏(; ̄∀ ̄)ゞ そこでは基本的に「たぶん向こう側に足を置く場所や掴むものがあるだろう」って思い込んで渡らなきゃならない。一応、以前のどこかの遠征隊が張っていったロープはあるけどね。


この「残置された固定ロープ」というのがまた香ばしく、ぶっちゃけ古くてところどころコーティングが擦り切れている。一応は登山の原則は「古いロープは使うな」なんですが、…………


カラビナに通している→ヾ( ̄∀ ̄;)┓ 誰だってとりあえず引っ掛ける。なんにも引っ掛けないよりマシだから。

ちょっと引っ張ってみる→ヾ( ̄∀ ̄)b でも、もし足を滑らせて落ちても切れないと信じてるとしたら、それは信仰の大飛躍というものさ。


そこで「ロープの強度テストをする者は1人もいなかった」。何かこう、標高8500m地点で男前すぎて何かこう(涙) 全員こうして何事もなくトラバース終了って何かこう………


ここまではハーンさん曰わく「不気味なほどの角度で傾く岩場」で、その次に来るのは「雪の中庭」。トチ狂った地形の中にぽっかりと2.5×3.5mほどの平地が現れ、キノコみたいな形の岩が立っている。ここはひと休みするのに丁度よく、クライマー4人とシェルパ2人がホッとできました。


時刻は午前10時。これから真正面に迫るセカンド・ステップを乗り越え、頂上を目指さねばなりません。


ヾ( ̄○ ̄;) ……ちぎれ雲が流れてる。今のところ天気は穏やかだが、安定してる訳ではないな。

(; ̄○ ̄) 酸素の残量が不安だ。このまま登っていけば、帰る途中に無くなるかもしれない。

( ̄○ ̄;) 1996年の南東稜の大量遭難は、登頂までに時間がかかりすぎてその日のうちにテントに戻れず、嵐に捕まったのが原因ですサーブ。「退却の潮時」をいつに設定しますか?


ここからは個人の判断になる。まだまだ時間のかかる難所が続くし、天候の変化はどうにもできない。酸素の補給が途切れた後は、各々の気力と体力を頼りにするしかない……


( ̄○ ̄;)( ̄ー ̄;) 俺たちは、これ以上登らない。


意外なことに、共に25歳のタップ・リチャーズとジェイク・ノートンが今を「退却の潮時」と判断します。


( ̄ー ̄;) ……決断した時は辛かった。ジェイクもまだまだ元気いっぱいだったからね。


タップ・リチャーズは後にそう語ります。


( ̄○ ̄;) どうにも意気が上がらない日ってのはあるけれど、そうじゃなくて、その時はただ自分のために決断した。


( ̄○ ̄;) 2週間くらい前に見たクライマーの遺体が、しきりに思い出された。私は25歳にして頭にこう叩き込まれたんだ-----「人生は、望めば何でもできるわけじゃない」とね。


( ̄ー ̄)v- 若いのに、そこまで達していてよく「潮時」だと判断したなぁ。



その選択を無線で聞いたサイモンスン隊長は、撤退を決めた若者たちをねぎらいます。


( ̄○ ̄)q 君たちは若い。いずれまたチャンスは巡ってくる………


「若手クライマーが思いがけずヒマラヤ遠征に参加して、エヴェレストの頂上の間近まで迫っているのに退却せねばならないとしたら、とても悔しいでしょう」


これはサイモンスン隊長の言葉。


( ̄○ ̄) ……人は常に「これが唯一のチャンス」と思っているものです。私はエヴェレストに登頂するまで数回挑戦しましたが、1回ごとに引き返すのが難しくなっていった。

( ̄○ ̄) 理性は「引き返せ」と言うのですが、感情の面で難しくなるんです。リチャーズとノートンはまだ1回目という事もあるでしょうが、退却できるのは賢明なことだ。


第5キャンプでそれを聞いたアンディ・ポウリッツはがっかりします。若い2人に登頂のチャンスを譲った彼には、「残念だが……」としか言いようがありませんでした。登山は自己責任で、それ故に己は自由なのだから…………



ここからはデイヴ・ハーンとコンラッド・アンカー。そしてサーダーのダワ・シェルパとアン・パサン・シェルパの4人になる。徐々に徐々に、頂上の高みを目指す人間は限られていきました。