目の前に横たわる遺体は、クライマーにとっては「エヴェレストの聖像(イコン)」そのもの。一番の目的はあの有名なカメラを探す事でしたが、それは容易なことではありませんでした。
(; ̄∀ ̄) ……単純でもなければ、手早く済ませられるものでもない。重さ500gのアイスアックスでコンクリートを打ち砕いてみれば分かると思うが、ガチガチに凍りついている瓦礫や岩を少しずつ削り取って、斜面に半分くらい沈み込んでるマロリーの体を掘り出していくのは、奴隷なみのただただ重労働だった。
その作業の様子を、デイヴ・ハーンがそう語ります。
(; ̄∀ ̄) 同時に危険な作業でもあった。足元はデコボコしているし、急角度で傾いている。一歩踏み誤ればいともたやすく滑落し、斜面の縁から放り出されてしまう。
(; ̄∀ ̄) 膝を伸ばして立ち上がる時には、これからどこに足を乗せるか先に確認しておいた方がいい。さらに興味深いことに、時々、頭上を落石が唸りをあげて通りすぎていく。
そんな8160m地点の危険な斜面で、彼らは「邪魔になるから」と酸素器具を外していましたが、だから余計に疲労の度合いも激しくなる。ただ、好きでやってる訳ではない緩慢なペースには、充分に時間をかけて遺体を観察できる利点がありました。
( ̄○ ̄;) ……右脚の脛骨とひ骨が靴の上で折れ、右肘が折れているか脱臼してる。体の右側に沿って切り傷や擦り傷、挫傷の痕がたくさんあるし、体に巻きついたクライミング・ロープが胸郭を締めつけ皮膚に食い込んでいる。
(; ̄○ ̄) ……腰に二重に巻きつけているロープはボロボロになっていて、その先が足と上半身に巻きついてる。遺体の傷みは驚くほど少ないが、烏(ゴラク)に突つかれて、片脚と臀部、腹部の凹みが損傷している。
観察しながら慎重に氷を取り除くクライマー達は、マロリーがあまりにも薄着な事に驚嘆せざるを得ませんでした。
ヾ( ̄○ ̄;) 私たちはふっくら厚いダウン・スーツを着込み、腰に回したクライミング・ハーネスが生地に埋まって見えないくらいだ。なのに彼が着ているものは、全部合わせても、たぶんフリース2枚分くらい。何てこった!………
それが1924年ではいちばん極地向けのいでたちだった。実は1922年の第2次遠征の時、酸素を使って最高度に達したジョージ・フィンチが軽くて暖かい羽毛入りのジャケットを考案していましたが、不評で採用されませんでした。
見た目(シルエットとか)にこだわったとしたらあまりにも致命的。デイヴ・ハーンは「彼らが頑健なクライマーだったのは間違いないが、何か見込み違いが起きた時に許される余地はない。わずかな余地もない」と感じます。
-v( ̄ー ̄) ……ここにひとつの難しさがあるなや。1920年代にどこまで「許される余地」を想定できたかは、1999年に断じきれるものじゃない。
( ̄ー ̄)v- ……時代ごとの常識から、未踏の極地への備えの感覚は違うはず。現代の私たちが「その装備ではムリだ」と感じることも、はるか昔の「不備」から分かったことだし…………
つまる所「後からなら何とでも言える」。問題は後から断じる側が、どこまで「昔には無理だった」に思いを致すことが出来るかなんじゃないかなあ。
( ̄ー ̄)v- 閑話休題。これはあらゆる所に適用できるような気がしないでもナッシング。
凍りついた岩屑に半ば埋もれたマロリーを発掘すること1時間。彼の上着のポケットや、首から下げた物入れから見つかった品は以下の通りです。
●3万フィート(9144m)まで計れる高度計:ガラスの蓋は割れ、針は無くなっていた。
●ブランズ・アンド・カンパニー社製の固形物味付け肉の缶詰
●皮革ケース入りの爪鋏
●封筒に入った手紙:保存状態は完璧で、インクに滲みやかすれは全く無し。
●絹のハンカチ2枚:マロリーの頭文字の刺繍入り。もう1束の手紙がくるんであった。
●チューブ入りのワセリン
●指なし手袋の片方
●鹿角の柄の折り畳みナイフ
●使用可能の箱入りマッチ
●靴紐と帯紐が1束
●ベルト:酸素マスクをオートバイ用のヘルメットに取り付ける為のもの。
●隊員のジェフリー・ブルースからもらった書き付け
●潰れていない日除けゴーグル
-v( ̄○ ̄;) 登頂していたなら頂上から撮影したフィルムが入っているはずの、コダックの小型カメラは無い。そして「頂上に置いてくる」と言っていた、奥さんの写真も持っていない………
これらの遺品は衣服や皮膚片のサンプルと同様に、ひとつひとつビニール袋に入れられアンディ・ポウリッツのザックに納まる。BBCはマロリーとアーヴィンの遺族に調査遠征の意向を伝え、「遺体が見つかったらDNA鑑定できるサンプルを持ち帰って欲しい」と依頼されていました。
( ̄∀ ̄;) ……辺りには、深く畏敬する気持ちがみなぎっていた。
マロリーの遺品を運び下ろしたアンディ・ポウリッツさんは、遺品を分類して収納する作業中、皆ほとんど口をきかなかったと語ります。
( ̄∀ ̄;) なんと言っても、そこにいるのは私たちの偉大な英雄で、私たちが触れているのは遺体でなくマロリーその人なんだと、不思議な感覚に囚われていた。身がすくむ思いだったよ。
ひと通りの調査が終わると、彼らは細かい石を集めてマロリーの埋葬に取りかかります。
(; ̄∀ ̄) やってみるとひどい大仕事だった。そこら辺の緩んだ小石はぜんぶ雪崩に流されていて、周りにはガチガチに凍りついた石しかないんだ。結局、斜面全体から石や岩を探して運んできた。
「これでもうマロリーが烏に悩まされる心配はない」くらいの石や岩が集められ、遺体が覆われる。最後にポウリッツがブリストルの英国国教会の主教から預かってきた埋葬祈祷文を読み上げ、彼らは下降を始めます。
( ̄∀ ̄;) こう言うとちょっとおかしい気がするけれど。
若いジェイク・ノートンがそう振り返る。
( ̄∀ ̄;) 私たちの誰ひとりとして、彼を残していきたいとは思っていなかった。「ジョージ」と一緒にいると、心が落ち着いた。私たちはもっと永い時間、彼と一緒に過ごしたかった。
( ̄∀ ̄;) 彼には、それほど存在感があった。たとえ死んでいても。
下降を始めたのは午後3時半ごろで、全員が心身共に疲れきっていました。たいていの事故は下降中に起きる。遺品を運ぶアンディ・ポウリッツはザックを背負い、ルートを選んで急斜面を下り始めます。
( ̄○ ̄;) ……一歩踏み出すごとに、私は自分に言い聞かせた。「我が家には、2人の子供と妻が待っているんだぞ」と。
( ̄○ ̄;) 一歩一歩が問題なんだ。それに私のザックには、マロリーの遺品が入ってる!………
隙あらばなぎ倒そうとする時速80kmの風に耐え、午後5時半に全員が無事に高度7800mの第5キャンプに帰りつく。そしてようやくベースキャンプにいるヨッヘン・ヘムレブに第1報が入ります。