見つけたのは「中年組」のコンラッド・アンカーで、彼はあまりあれこれ考えず、もっぱら本能を頼りに動いていました。


ヾ( ̄○ ̄;) なんか俺のゴーストが、下の方を探せと言ってるわ……


アンカーさんはスノー・テラスの下の縁まで降りていき、そこから先が2000mほど切れ落ちた断崖になっているのを確認した後、北面の広大な斜面をジグザグに登り直します。


( ̄○ ̄;) ……ん?


そこで何かが目に止まった。それはその辺りの岩より白く、雪よりも白い何かでしたが、近づいていくと遺体だと分かりました。


( ̄○ ̄;) ……これは最近の遺体じゃない。かなり長い間ここにあったんだ。


そして全員に集合をかけ、最初にやって来たのは若いジェイク・ノートンでしたが、彼は茫然として岩に腰を降ろします。


( ゜□ ゜;) ……まったくなあ……まさか調査の初日に、何か見つかるなんて思ってもいなかった。調査区域をちょっと偵察するつもりだったのに………


そこには「なぜ今まで見つからなかったんだ?」としか思えない、見通しのよい斜面に足を下にしてうつ伏せに横たわる遺体がありました。


( ̄○ ̄;) ……まだ誰と分かった訳でもなかったが、私は何の疑いもなく考えていた-----いま自分たちが見ている男は、75年間もこの山にかじりついていたのだと。


衣服は吹き飛ばされ、体はほぼ剥き出しになり、その肌は色が抜けて真っ白だった。「まるでギリシアかローマの大理石の彫像を見ている気がした」と、後から来たデイヴ・ハーンは感じます。


集まってきたクライマー達はある者は立ちつくし、ある者は跪いて、無言で「大理石の彫像のような遺体」を見つめます。まさか初日に見つかるとは思っていなかった戸惑いと、遺体そのものから感じられる何かに「喜びなど一切なかった」そう。


その遺体はスノー・テラスに散在する他の無残な遺体とは明らかに異質でした。頭を上にして顔を伏せ、全身をいっぱいに伸ばし、滑落停止の基本姿勢のままで凍りついている。まるでついさっき滑落したばかりのように。


頭部と上半身は何十年もの間に堆積した岩屑に埋まって氷漬けになっていましたが、両腕はいまだに逞しい筋肉をつけたまま頭の上に伸び、指先を凍りついた岩に深く食い込ませている。片足は骨折していましたが、それを庇うようにもう一方の足を上に交叉させている。足の筋肉もいまだに力強さを残しており、まるで舞踏家のように優雅だった。


( ̄○ ̄;) 私たちは、そこでひとつの時代を見ていた。今では書物を通じてしか知る事のできない時代を。


デイヴ・ハーンがそう振り返る。彼らはその遺体が身につけていた天然繊維の衣服や毛皮で裏打ちされた皮革のヘルメット、体に巻いているロープの種類などから「エヴェレスト登山史の黎明期」を実感として感じます。


遺体は革の鋲靴を履いていた。これが使われていたのはせいぜい第二次世界大戦の頃までで、その後はもっと進歩した登山靴とクランポン(ドイツ語でアイゼン)の組み合わせに代わっていました。


( ̄ー ̄)v- 1949年から1979年までの間、チベットが鎖国状態だったため西欧人はエヴェレストに登れなかった。そして遺体発見場所の高度は8160m地点。1924年から1938年までの間、エヴェレストのこれだけ高い場所で死んだ者はいない……


コツコツヾ( ̄ー ̄;) ……“アンドリュー・カミン・アーヴィン 1902-1924”。


早くも若いジェイク・ノートンが近くの岩に墓碑銘を彫り始める。しかし一番後にやってきたアンディ・ポウリッツは、遺体を見てこう呟きます。


(; ̄○ ̄) これは彼じゃない。

( ̄○ ̄) 俺は彼(アーヴィン)だと思うぜ?


他のメンバーが「何をバカな事を」という目でポウリッツを見て、アンカーが反論する。彼らは「見つかるならアーヴィンの遺体の筈だ」と思っていたので、ポウリッツの言葉は見当違いに思えました。


しかし考古学の心得のあるタップ・リチャーズがノートンと共に遺体の衣服を調べてみると、シャツの首筋に古いクリーニングタグが残っていました。


“G.Mallory”


(; ゜д ゜)(; ゜~ ゜)(; ̄○ ̄)( ̄ー ̄;)( ゜□ ゜;) ………………………えっ?


5人は黙り込んでしばらく顔を見合わせ、ようやく誰かが呟きます。


(; ゜□ ゜) なんで、アーヴィンがマロリーのシャツを着てるんだ?


しばらく後に、もうひとつネーム・ラベルが見つかります。


“G.Leigh Ma(llory)”


全部残ってはいなかったけど、今度はフルネーム。5人のクライマーはみな酸素器具を外して脇に置いていたせいもあり、理解するまでしばらく時間がかかりました。


( ̄□ ̄;) ……まいったな。これはマロリーだよ、まいったな…………


膝が萎えて座り込んでしまったポウリッツの横で、ハーンが困惑して繰り返す。ポウリッツさんはずいぶん後に、なぜ自分が遺体を見た瞬間に「アーヴィンじゃない」と呟いたかを理解します。


(; ̄○ ̄) 今なら分かる。遺体の体勢のせいだ。王洪宝の見た「英国人の遺体」は仰向けで口を開け、頬を烏につつかれていた筈だった。

(; ̄○ ̄) 私たちが見つけた遺体はうつ伏せで、頭はほぼ岩屑に埋まっていた。それにその場所は1960年の中国隊の第6キャンプからだとずいぶん遠くて、王洪宝が「ちょっと散歩に出て見つけた」という話とは合わない。


けれどもその時は全員が当惑し、訳もなくうろたえていたのだそう。それはこんな理由からでした。


( ̄○ ̄;) ……私たちはアンドリュー・アーヴィンを発見したのではなかった。王洪宝の見た「英国人の遺体」を再発見したのではなかった。


(; ̄ー ̄) 私たちが目の前にしているのはジョージ・ハーバート・リー・マロリーその人……その人の勇気と覇気を畏れ敬いながら、私たちは育ってきた。


( ̄○ ̄;) ……2人が行方を絶ってから75年間、ジョージ・マロリーは過ちを犯さない、滑落もしないと思われてきた。そのかれが過ちを犯した、滑落したと分かってショックだった。私たちはその考えに馴染めなかった。


登山家たちはたいがい古い登攀記録や先人の登山歴を糧にしており、未だ遭難の真相は明らかではないものの、「マロリーが滑落する筈がない」という見方はほとんど常識になっていました。けれども目の前の遺体は明らかに、滑落してこれ以上落ちまいと踏ん張った姿勢のままで絶命していた。これ以上ない証拠を見てもなお、彼らがそれを理解するのは簡単なことではありませんでした。


( ̄ー ̄)v- ……人は自分の見たいものを見て、信じたいことを真実だと思い込む節がある。それが間違っていたと気づいた時、頭の切り替えはなかなか簡単にできるものじゃない………


1999年のこの発見で初めてこの遺体の写真を見た時のショックは大きかった。端正な面立ちでとても美しい身体を持っていた(画家のモデルを務めた写真がある)彼が、がらんどうの彫像のようになっていた。朽ち果てずに……


世紀の大発見の喜びに浸る余裕はない。捜索班には遺体発見状況やその様子、遺品を詳しく調べて報告する義務と責任がありました。


( ̄○ ̄;) ……明日にもモンスーンが始まるかもしれない。遺体をくまなく調査して、埋葬もしなければ。


彼らにはやるべき事がたくさんあり、周辺に何か遺留品(とくにカメラ)がないか調べ、遺体は降ろせないのでそれなりの埋葬を行わねばなりませんでした。


( ̄○ ̄;) もうひとつ別の問題がある。私たちが仕事を進めるためには、彼を苦しめなければならなかった。


長い間高度8160mの岩場に留まっていたマロリーの体は、二度と敗退するまいという彼の望みそのままに地面に凍りついていて動かすのは容易ではなく、むやみに動かせば損傷を与えてしまいそうでした。


( ̄○ ̄;) まずは遺体と周囲の状況を写真に撮って、その次に何をするべきか考えよう。



そうして全員で話し合い、「彼が何を望んでいるかを自分たちで判断し、そのように行動しよう」という事になりました。